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花粉と歴史ロマン 改訂版 その1 古事記・万葉集他

1 古事記と万葉集に登場する花粉

萩が満開の梨木神社と隣接する廬山寺

 古事記や万葉集には多くの植物が取り上げられ、具体的な事象に知識が及んでいたことがわかります。その中で「花粉」と関連する部分を調べ始めましたが、表面的な考察に終始してしまいました。童謡の「大黒さま」の歌詞に疑いを持たなかったことも一因でした。

① 「因幡の白兎」(奈良時代:古事記8世紀)

 大国主(おおくにぬし)の命(みこと)が、サメに毛をむしられた白兎(しろうさぎ)の傷をガマの穂綿を使って治したという「因幡(いなば)の白兎」の神話です。「穂わた」はいかにもウサギの毛皮の傷を癒すのに使えそうですが、穂綿に付着したガマの花粉成分が重要で、止血剤となる薬用が古くから知られています。

「和ハーブ協会」のHP*1によれば、「ガマの花粉は6~7月ころの花期に花粉が放出する前に採取します。新聞紙などの上で乾燥させれば、黄色の花粉が出てきて、簡単に集めることができます」。また、「ガマの花粉を乾燥したものは、生薬(しょうやく)で蒲黄(ほおう)といわれ」今日でも市販されています。

http://www.e-yakusou.com/sou/sou174.htm

 さて、童謡の歌詞ですが、『大きなふくろを かたにかけ 大黒さまが 来かかると ここにいなばの 白うさぎ 皮をむかれて あかはだか 大黒さまは あわれがり きれいな水に 身を洗い がまのほわたに くるまれと よくよくおしえて やりました』と、これで、分かった気になっていました。
 つまり、「がまのほわた」がウサギの毛皮を修復した。との誤解でした。
ところが、『大黒さまの いうとおり きれいな水に 身を洗い がまのほわたに くるまれば うさぎはもとの 白うさぎ』とあります。
 茶褐色の穂綿に包まれば、もとの白いウサギに戻るのは不自然です。「ガマの花粉が止血剤になる」ことがわかっても、「ガマの穂綿に包まる」ことと花粉の関係は説明されていないのです。 

 改めて、古事記の訳(福永武彦)をたどると、「ガマの花の黄色い花粉を取ってきて、それを地面に敷き散らして、その上をぐるぐるころげ廻ってみなさい」と花粉を認識した記述になっていたのです。止血剤の花粉が作用したのであれば白い毛皮が再生したことになります。「大黒さま」の歌詞は省略されていたのです。

 また、西郷信綱著「古事記の世界」(岩波新書 654)によれば、大国主はオホナムヂの後身であり、「白兎の話」は大国主になる前のオホナムヂが巫医として首長にふさわしい人物であったことが主題とされていました。そのオホナムヂの言葉は「今急(すみや)かにこの水門(ミナト)に往き、水を以ちて汝が身を洗ひて、即ち其の水門の蒲(カマ)の黄(花粉)を取り、敷き散らして、其の上に輾転(マイコロ)べば、汝が身、もとの膚の如、必ず差(イ)えむ」として、傷に対して「花粉」が有効であることを正確に記述しています。

 西郷氏は古事記に向かう姿勢として、現代の神話は、『古代の神話に動機づけられていても、それとは構造や機能を異にする新しい代用神話であった』として、代用神話に警戒する必要を示されています。童謡の世界であっても古代を幼稚さで改変せずに、「黄」を含めた作詞が必要です。

我が家の大黒天(九谷焼)、大国主命と同一視もされていますが、異なる雰囲気です。

 科学者の立場としては、大蔵直樹氏(2016)の研究があり、ガマの花粉成分の止血効果は経口でも外用でも動物実験で示されています。(「止血作用を持つ植物由来物質」:2016 vol 243, The Chemical Times)(  https://www.kanto.co.jp)

左:ガマ属花粉SEM像 単粒、右:4集粒

 さて、ガマの花粉を説明します。内容物ではなく容器としての外形です。
ガマ ( Typha latifolia L.) の属名は、ギリシア語の古い呼び名typheに由来し、沼を意味するtiphosから来たようです。
 種小名は広い葉を意味しますが、水面下から伸びた葉は、軸を中心にして左右に分かれ、それぞれねじれながら上方に伸びます。高く伸びた葉はどの方角からの風にもなびき、折れにくい構造になっているようです。軸の中心から茎が伸びて、先端の上部に雄花、下部に雌花がつながり開花後に雄花は散り、雌花は茶褐色の「ガマの穂」になります。 

 上の写真はどちらもガマです。メロンのように、表面にシワがあり、球形で発芽孔が一つあります。走査型電子顕微鏡で撮影したもの(左)は、表面の皺の形状が詳細にわかりますが、光学顕微鏡(右)では、外膜の断面構造が観察できます。また、4つの花粉は通常、花粉母細胞から離れて単粒になるものが多いのですが、ツツジ科やクチナシ、モウセンゴケなど、いずれも4細胞の発生段階にとどまっているものです。

② 万葉集(8世紀):長忌寸意吉麻呂(ながのおきまろ)

 持統天皇が参河国に行幸された際、同行した意吉麻呂(おきまろ)の歌
「引馬野に にほふ榛原入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに」についてです。

 この「榛原」の「榛」が、ハンノキなのかなのかハシバミなのか?
「にほはせ」とは?

「ニホヒ」には①嗅覚的なにおい、②視覚的な色彩・つや、③着物をかさねるとき、上の着物と下の着物との色の配合、④精神的なはなやかさ・あざやかさ・見事さ。(小西甚一「古文研究法」)や、「ニホフ」には、色彩を中心に嗅覚をも含んで全感覚的に用いられた。(多田一臣「古事記と万葉集」)との説明があり、ここでは、匂いはどちらも無いようなので、色彩に関わる「染める」から考えてみましょう。

ハンノキ属の花粉 SEM像(赤道観)

 山田宗睦氏(1978)(「花の文化史」)は、『万葉集に取り上げられた十四首のハリ(ハンノキ)の八首に「衣に摺りつ」が含まれ、秋に熟したハンノキの球果で染めたことを詠っている』として染色に意味を持たせています。
しかし、長忌寸意吉麻呂(ながのおきまろ)の和歌は、「旅のしるし」として人為的な「染めた」ものではなく、自然に花粉に「染まってしまった」ものと解釈できると思います。

左:ハンノキ樹形、中央:雄花と球果、右:花粉、極面観

 一方、中尾佐助著「花と木の文化史」によれば「萩」は、万葉集で取り上げられた回数(138回)が最多ですが、その背景として、「万葉の時代には自然破壊がすでに進行しており」「マツ林などの二次林に目立つ」「ハギが普通にあった」と考察されています。また、「ハギ」は、「芽子(はぎ)」として、原始的な摺染の材料として、やまあい(山藍)、つきくさ(鴨頭草)、かきつばた(垣津幡)、こなぎ(子水葱)、つちはり(土針)、はり(榛)とともに示されており(週刊朝日百科 96、世界の植物 織と染め)、ともに染色とも関連します。

萩の花の搾り汁、花による染色は褪色しやすいそうです。

 万葉集には、当時の人々に身近な植物が取り上げられていますが、漢名で示された「榛」には「萩」「ハンノキ」そして「ハシバミ」の可能性があります。
さて、「生育地」「花粉」の立場から地名を加えて考察しました。

 「参河国の引間野」は、現在、浜松市(馬込川)と愛知県豊川市(音羽川)に候補地がありますが、いずれにしても小河川の河口近くにあり、低湿地に囲まれた地域です。また、「引間野」には別名「曳馬野」があり、乾燥地の草原に適応した馬にとって湿地は、人に「曳かれる」必要のあった場に因んだものと想像されます。

結論です。
1「旅のしるし」が「旅先」ならば都市化された場所ではない
2「弘間野」は、現在、想定される地域が河口付近の低地である。
3「榛原」からは「榛」が優占する原野が想定される。
4「にほはせ」は、人為的に「染めた」ものではなく、自然下で「染まってしまった」ものである。

 多量に花をつけたハンノキの林に分け入れば、衣服に降りかかる可能性が大きいはずです。ハシバミ(榛)もハンノキと同じカバノキ科の樹木で、尾状花序のたくさんの花粉を生産する共通点がありますが、ハギと同様に丘陵地に生育することから、ここでの「榛」はハンノキを示しているものと判断しました。

 ただし、持統天皇が参河国に行幸された年代が西暦702年11月8日とあり、この時期ではハンノキにしてもハシバミにしても開花前であり、「旅のしるし」となる花粉が散布される状況にはなく、時期の不一致は不明です。

なお、ハンノキの持つ不思議な生命力に関しては、外国でも古くから注目される樹木でした(ハンノキと水田稲作に続きます)。

③ 奈良の都:平城京の植物

 都市化が進んでいた平城京は、自然破壊が進み二次林化した周辺にはどのような植物が生育していたのでしょうか?

上段:左から、マツ属、トネリコ属、スギ、フヨウ属、キク科
下段:左から、ヨモギ属(SEM)、ヨモギ属、ヒシ属、ヤナギ属(SEM), ヤナギ属

 針葉樹は広葉樹よりも起源の古い植物です。被子植物と昆虫との関係が成立してから多様な花が生まれ、花粉も多様化しました。針葉樹の代表としてマツ属とスギ属の花粉を示しました。両方ともに風媒花として多量の花粉を生産しています。受粉が風任せなので量の多さで受粉機会を支えています。また、マツ属には、花粉本体の両脇に空気袋があり、遠方への飛散を可能にしています。他の針葉樹にも類似の機能を持つ器官があるのですが、スギ属にはありません。
 長球状のトネリコ属とヤナギ属の花粉は、網目模様が似ているのですが、トネリコ属は溝の中に孔があり異なります。走査型顕微鏡(SEM)では表面の形状がよくわかるのですが、断面の構造は通常の光学顕微鏡の焦点を変えることで判断できます。フヨウ属やキク科の花粉は、表面にがあり昆虫の体に付着しやすい虫媒花の特徴を持っています。なお、ヨモギ属はキク科ですが、棘が短くなり風媒花への移行が起きたようです。

 ベニバナ属花粉の特徴は、手持ちの資料にないので詳細は不明ですが、上記上段のキク科に類する棘のあるアザミ属と同じタイプです。

 金原正明さんが検出した植物の花粉写真を並べてみました。平安時代以降、自然林(照葉樹林)が減少を始め、マツ林が人為の影響下で増加したそうです。この他、遺跡から検出された花粉には、アカマツ、クロマツ、コナラ亜属、スギが偏在的に分布していた他、ムクゲとセンダンが検出されており、草花としては、ナデシコの仲間(オキノツメ)、ベニバナ(キク科)の花粉が検出されているそうです。

金原正明著「あおによし奈良の都」(文明と環境第9巻 「森と文明」1996 朝倉書店)

2 紅花(ベニバナ)Carthamus tinctorius L.とアザミ属

① 万葉集と古今和歌集

万葉集から、
「外(よそ)のみに見つつ恋せむ紅(くれない)の末摘花の色に出でずとも」
遠くから見るだけの恋心を、紅の原料となる末摘花に例えた歌ですね!
昔の受験参考書の「古文研究法(小西甚一著)」によれば、『比喩には
tenor(テナー:主旨)と、vehicle(ビークル:乗り物)』があり、恋心末摘花の色が対応するようです。ただし、乗り物に秘められた「色」には、外に出せないはずの恋心が表現されており、揺れる味わいがありますね!

古今和歌集から、
「人しれずおもへばくるし紅(くれない)のすえつむ花の色にいでなん」
こちらも、恋する者の思い(tenor :恋心)と、染料を思わせるベニバナの花(vehicle:現実の花の色)が対応しています。万葉集と同様の対比ですが、こちらの恋心は、染料の鮮やかさを醸し出すだろう状況が表現されている感じです。 

 学名の意味ですが、属名(Carthamaus)は「染める」を意味するアラビア語が起源であり、種小名(tinctorius)も(染色用の、染料の)として属名と同様の意味を持ちます。

 一方、花粉化石の検出記録に関して、History of the British Floraによれば 、英国ではアザミ属(Cirsium )と ヒレアザミ属(Carduus)はアザミ属型として間氷期や完新世の堆積物から検出されているが、ベニバナ属(Carthamaus)を特定したものはありません。これは、ベニバナの原産地が地中海沿岸にあって、欧州北西部の分布は想定されていなかったためと考えられます。
 また、日本の写真図鑑にも取り上げられたものがなく、自生種以外に植栽されたものとして扱われたためです。ここでは、アザミ属に類似するものとして紹介しましょう。
 キク科の花粉はキク亜科(球状)とタンポポ亜科(角張った球状)で大別されますが、アザミ属は、長い棘が特徴です。三好・藤木・木村(「日本産花粉図鑑」)によれば、「単独突起で長棘状紋で基部が広くピラミッド状」と記され、アザミの葉にある棘が花粉にも現れています。花粉形態としての棘は、媒介昆虫に付着するための構造とみなされますが、葉に見られる棘は草食動物に食われにくい形質であり、放牧地を生育地としています。

② アザミ属と欧州

JR外房線大網駅の改札口の床のタイルにデザインされたノハラアザミかな
なぜ、取り入れられたかは駅員さんも知りませんでした。
Carlina vulgaris フランスアルプスの放牧地で、撮影しました。これもアザミの仲間です。
葉柄の無い花の頭部が棘のあるロゼット葉の中央にあります。
写真がぶれて申し訳ない!この植物について、READER'S DIGESTに興味深い説明がありました。
以下、③に示します。

③ 英国の紋章とアザミ(綿アザミ・槍アザミ・カロライナアザミ)

 英国の紋章には、クローバー(アイルランド)、バラ(イングランド)、アザミ(スコットランド)がデザインされていますが、READER'S DIGESTによれば、
綿アザミCotten thistle:Onopordon acanthus)の項に、
 『スコットランドの初期の国王らはアザミを紋章として用いてきましたが、1503年に国の紋章となりました。スコットランドの国王(James Ⅲ)とイングランドのマーガレット王妃の結婚を祝う詩(そのアザミとそのバラ)に示されました』。ところが、1687年、ジェームスⅢがスコットランドの騎士団の紋章に制定した際に、スコットランド アザミと呼ばれました。ただし、それは綿アザミではなく、アメリカオニアザミ(Cirsium vulgare)、別名、槍アザミ(Spear thistle)でした。これは、現在、日本では外来の侵入生物に指定されているものです。

ところが、ところが、本来の「槍」を意味するアザミは別物につながります。上記写真Carlina vulgaris(Carlina thisle)こそが、槍が当てたはずのアザミであったことを示す以下の逸話があります。
Carlina vulgaris(Carlina thisle)の項に、 
 『8世紀、フランク国の国王Charlemagne (シャルルマーニュ)の軍隊が疫病に襲われたとき、彼は神に助けを祈ったと言われています。弓と矢を持った天使が現れ、君主に矢を放つように言いました「矢が当たった植物が病気を治します」。 矢はこの植物にあたり、それ以来、シャルルマーニュの名前が転じて「カロライナアザミ」または「カーラインアザミ」として知られるようになりました。それは樟脳のような特性を持ち、後に薬草学者によって防腐剤として使用されました』。
WILD FLOWERS  OF BRITAIN (READER'S DIGEST) p.352より、。

ヤナギランに囲まれた牧草地 サフランが咲いています。
この中にカロライナアザミがありました。
Colchicum autumnale サフラン(秋のクロッカス)草食動物は食べません。牧草地の植物です。

 中世の欧州を統一したフランク王国が支配しなかった英国で、フラク王国に因むカロライナアザミが、スコットランドの槍アザミに転じたことも不思議ですが、植物の同定の間違いが加わり、3種のアザミが関わったことがわかりました。


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