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夜明けの海を想像してみて。

一日が始まる瞬間、あまり好きではないです。でも、夜明けという言葉は綺麗です。

そして、海。海は美しいけれど、大きすぎて同時に怖くもありますね。畏れという言葉がしっくりきます。

では、夜明けの海。
なんでなのか分からないけど、夜明けの海の言葉のイメージは晩夏、夏の終わりです。薄明かりの中、淡い夢みたいなグラデーションの空。寒色の空気が昇る朝日に照らされながらだんだん暖かい雰囲気を帯びていく。海は未だ寝静まっているようで、風も凪いで、静かな潮音だけがその空間を司る。そこにいつもの日常はない。風景と時間、そして自分とが溶けていくような感覚を催して、なんだか泣きたい気持ちになる。
こうやって実際に見たことも、したこともない体験に思いを馳せるんです。それがぼくの幸せ。
これがあるから生きていけるリストの内のひとつです。

萩原朔太郎の詩集に婦人と雨というのがあります。
 しとしとと降る雨の中を、かすかに匂つてゐる菜種のやうで、げにやさしくも濃やかな情緒がそこにある。ああ婦人! 婦人の側らに坐つてゐるとき、私の思惟は濕ひにぬれ、胸はなまめかしい香水の匂ひにひたる。げに婦人は生活の窓にふる雨のやうなものだ。そこに窓の硝子を距てて雨景をみる。けぶれる柳の情緒ある世界をみる。ああ婦人は空にふる雨の點點、しめやかな音樂のめろぢいのやうなものだ。我らをしていつも婦人に聽き惚らしめよ。かれらの實體に近よることなく、かれらの床しき匂ひとめろぢいに就いてのみ、いつも蜜のやうな情熱の思慕をよさしめよ。ああこの濕ひのある雨氣の中で、婦人らの濃やかな吐息をかんず。婦人は雨のやうなものだ。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1790_66588.html より

言葉が導く情景の美しさは時に現実を超えます。
まず婦人と雨ってなんですか。もう良い。この頃から雨はしとしとだったんだな。なんと言っても、詩全体が含む水分量がすごい!ブルーグレーの中に潜むピンクを感じました。なんて艶めかしくて麗しいのだろうか!それでいて生々しい。あぁ、ほんとうに、綺麗。ぼくに絵を描く才があればこの情景をどれほどまで忠実に再現できるんだろうかと思う。水彩画を習いたい。

ここまで語っておきながら正直僕は文学的なことはさっぱりです。だからこの詩も輪郭を捉えるにも至らないくらいの認識です。でも心が動いた。芸術において、大切なのはやはり感動だと思うのです。やはり言葉には敵わないな。この世界を象ってくれてありがとう。この世界をつまらなくも美しくもするのは結局君なんだろう。

だから僕は知りたい。知らないことは危険で、怖い。できるなら全てを知りたいけれどそんなのはきっと面白くない。少しでいいんだ。ぼくの世界を形作るための材料、それがほしい。そのためにもっと勉強して、人とたくさん話して、何十年も考えてそうやって少しずつぼくという世界を、夜明けの海みたいに愛せたらいいなと思うのです。

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