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こわいもの

「巨大地震注意」
この字面を見たとき、頭のてっぺんから血の気が引いて体が嫌に冷えていく感覚を僕は知っていた。
2024.01.01それは世間が元日の、柔らかく平和に微睡んでいた夕方突如発生した。根っこから地面が震える感覚に子供が木を揺さぶる景色が見えて、場違いにもなんだか優しい情景だった。揺れている間床にへたりこんで呼吸が浅くなっていくのをどこか他人事のように眺めていた。身体が震えて上手く力が入らない。怖くて涙が出るのは久しぶりだった。死ぬことも、大事な人たちがいなくなることも怖かった。


あの日から2週間くらいはろくに寝ることもできずに、ずっと地面が揺れている感覚と心臓の音がやけにうるさかったことを覚えている。ここで説明しておきたいのは僕の住んでいる地域は震源地から遠く離れていてどちらかと言うと今回心配されている南海トラフの方が大きく関係している。
だからなぜ能登半島地震がここまで大きく深い傷になってしまったのか当時はあまり分からなかった。これはあとで思い出したことだけれど、所謂大きな地震を経験したのはこれが初めてじゃなかった。小学五年生、まだ自我もないような子どもで当時のことはあまり覚えていないというのが正直なところ。
幼いながらにとてもショックな出来事だったんだろうと今では思う。きっと精神的にかなりダメージを受けた僕の脳が僕自身を守るために蓋をしたんじゃないかというのが推論で、能登の地震をトリガーにその封が解けてしまった。

と、まぁこんな感じで地震は僕にとって一種のトラウマのようなものだ。じゃあまた何故今回の注意報にこれほど息の詰まる思いをしているのか。1つ前の日記にも書いたように最近は薄ら死んでもいいかなというのが心情で、こんなこと家族や友人に話せば心配をかけてしまうから言わないけれど、別に深刻な話でも人生を悲観しているわけでもない。ただどちらでもいいという感じ。曖昧で繊細な心の話だから僕の少ない語彙で可視化できないのがもどかしい(/. _.\)
言うならば、死ぬほど怖い思いをしてどうしようもない傷を抱えてまで生きていたくないというのが本音で、生きていればそういう傷は増えていくものだから、それなら機会があれば死んでもいいなぁってそれくらいの軽い気持ち。死を悲しみ、生を悦ぶのは人間の美徳に繋がる。そこに生まれる表現や芸術を僕は愛しているから。けれど、生きなさいとか生きなければというのは少々傲慢がすぎるのではないかと思う。それに僕らは人の死を重く捉えすぎる。生きていれば幸せもあるだろうよ。今死ねば出会えない人も言葉も音楽もあるだろう。でもさそんなもの死んだら何も持っていけないんだよ。向こうには何も持っていけはしないんだよ。生きていることは希望と絶望だ。死ぬことはその両方が無くなるということ。0100だから人生は何よりもスリリングな賭け事かもしれない。諦めてるとかそんな人生を達観したつもりもないけれどただ押し付けがましい世間や人に疲れてしまったの。


でも痛いのと汚いのと人に迷惑をかけるのは嫌いだから、できれば綺麗な形で死にたいし首吊りとか飛び降りとか動脈を切るとかはやめたい。かと言って薬でゆっくりじっくりなんてのも味気がないし、とここまで書いてて我ながらずいぶんと理想が高い。死んだら何も残らないのに死後も外面を気にするのもどうなのか。まぁ一人で逝くというのは実際多くの人を巻き込むことになるから簡単にはできないんだけどな。こういうことを考える時頭に浮かぶ顔が少なからずいるというのは感謝するべきなのだろう。



生きるのはやっぱり怖くて、足は竦んでしまうし、ちゃんと前を向いて歩くのも難しい。
それでも生きている今は、僕は僕の幸せのために生きていいんじゃないかと思うんだ。

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