【歌詞解釈】センチメンタル・キス|汐れいら
昨年末に出会ってからというもの、何度聴いてもやはりトキメキが続くこの曲。
ある番組の挿入歌でバズった曲のようだけど、
私とこの曲はサブスクのおすすめがきっかけの出会いで。
それがまた、先入観ゼロでスタートできたてよかったのかな。こういう出会いを沢山与えてくれるSpotifyには日々感謝の連続。
この曲は、恋愛関係のあった二人の終わりを煙草やドラマ(映画)に置き換えて表現している作品。
人と人の愛の終わりを、直接にばかりでなく間接的に表現することで、こんなにも繊細な気持ちを感じとることができるのかと感動の連続だった。もはや衝撃。そしてトキメキ続けている。
注意
解釈について書き始める前に。
(すぐ恥ずかしくなって消したくなっちゃうから、自分のためにもメモを。)
この解釈は今の私の勝手な解釈で、私の今までの経験と心から出た化学反応のようなもの。
きっとこれからも聴くたび、読み深めるたび受け取り方は変わっていくから、日記のような感覚と捉えて欲しいなぁと。何卒、、
1番
この曲において、【煙草】は恋または愛の感情を表してる。
「君」は【煙草】を吸ってないから、きっともう恋愛感情は「熱がうつっていく」くらいに冷たいのだろう。
「煙草を吸わない君の隙間 入り込んでもやさしかったな」この表現から「君」の感情はもうわかっているのかな、とても悲しさを感じる。
それでも「やさしい」のは、情というやつかな。
「短くなってしまった吸い殻の火消し役は 私だ」、
これは有限な【煙草】という名の恋愛感情を自ら途中で終わらせようとしているのだろう。
2番
二番冒頭は、結局終わりきれずにズルズルと長引く二人の関係性かな。
「巻き戻した最終回」は別れ話かな。
このドラマのメタファーが個人的に凄く好き。
ここからいよいよ悲しみが駆け上がっていく。
最高に好きな表現。
巻き戻して見ていた最終回のドラマから、チャンネルを変えた先の「君」の新たなドラマ。「主演だった」自分は脇役になっていたなんて。。
Cメロ
自分主演のドラマは、なんと映画化。
最終回を何度も巻き戻して見れたドラマ(恋愛)だったのに、映画は巻き戻せないからね。
「別れのシーン」(=最終回)はドラマと同じだった。でも映画は巻き戻せず、エンドロールへ。これで本当に最後なんだと感じさせる表現。
大サビ
ここも素晴らしい。最高に。
「愛してる」という気持ちはないから曖昧にして、また【煙草】に火をつけようとしてる。でもつけられなかったと。もうない愛は燃えないもんね。
「愛してる」は言葉にしなかったけど、着火させようと試みるところまでを見ると、まだこの主人公の子には感情が残っているよう。情かな。。
だから「理由なんて どうだっていいよ」なのかな。
そして釣られて泣いただけの嘘つきの「君」。
最後の「泣くなよ」までが彼女の繊細な感情を表しているようにさえ受け取れる。
まとめと感想
文章として綴ってみると、本当にメタファーが多かったな。それがまた何度も何度も読み深めたくなる、心を掴まれた要因かなと。
煙草とドラマを使って表現された何とも言えぬ主人公の感情。
私の心に響きまくった作品だった。
この主人公のようなどっちつかずな感情は、恋愛だけでなく人間関係にはありがちだよね。
どこかで感じた感情を思い出しては切なくなっていたのは、ここだけの話にしておこっと。
人生経験ってこういうところでまた生きてくる。だから楽しい。
とにかく、大好きという気持ちを言語化できてスッキリ。
続けられたらいいな。
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