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アイザック・アシモフ

アイザック・アシモフはアメリカの学者であり、
作家としても有名でありつつ、色々な知識を身につけ
多くの本を残した人物である。

私は哲学者や、学者やスポーツ選手などの
言葉を書く時には、なるべく深くはその人が
何をしていた人かは書かないようにしている。

話さなければならない時は書くが、
基本的には多くは語らずにいる。

一つには先入観が入ってしまうためでもあり、
肩書というものは所詮的なものである事を、
私は自分の人生を通して如何に無意味なのかを
知ってしまったからだ。

“人間は無用な知識を喜ぶ唯一の動物である”

本題のアイザック・アシモフが残した言葉である。
毎回思うが、彼の言葉はしっかり的を得ていて、
反論のしようが無い程、的確である。

自然界では全く無意味な事でも、確かに人間は
無用な知識を得て、喜ぶ唯一の動物だと言える。
人間が混沌の中にあるのは、このせいでもある。

言葉の通りではあるが、逆に言えばこの地球という
世界においては、知的生命体は人間だけだと
言っている。

しかし、この言葉は彼の知識の範囲内での意見であり
完全に正確とは言えない。
何故なら犬や猫は会話をしているからだ。

人間以外は話さないと決めつけてしまっている。
話すことが出来ない前提からの言葉である。

この話をしていたら、スーパーナチュラルでの話を
思い出す。ジェンセン・アクレスが演じるディーン
がある時、人以外の動物の声が聞こえるという話が
あった。

その時、最後に、犬が自分たちがお腹をさすって
貰うのには理由がある。と言うシーンで、ディーン
が何だ?と尋ねたが、呪いが解けて動物の言葉が
分からなくなる話があった。

我々は愛犬や愛猫に対して、喜ぶから頭やお腹を
撫でてはいるが、気持ちいいんだろうなと
私は勝手に思っている。しかし、本当の所は
当たり前だが、分からない。

分からないで思い出すのは、
私と父の会話では基本的に、ある議題について
討論する以外の会話はした事がない。

私はある程度幅を広く持ちつつ
思考するタイプであり、

父は逆に答えは一つしかないという
意見の人だった。

しかしよく考えれば、医者であった父は
幅広く知識を求めないというよりも、
他の知識を求められないのが、
医者であるからとも取れる。

私は近い親類だけでも、医者家系で十人以上は
医者であるが、医者の時代も終わりを迎えつつ
ある。あとは潰し合いの時代が年が進む事に
増えるだろう。

だからこそ言えるのだが、医者は開業医になる為に、
大学でまず六年、卒業する時に専攻を自分で決めて、
国家試験に受かって、そこから大学で研修医として
最低十年実体験として勉強しなければならない。

この十年の間は一切お金は貰えないため
週末などにバイトをして暮らすのが普通だ。
上記の点に於いては歯科も同様である。

裕福な家系だった事から、父は最初医者を目指さず
東京の普通の大学を卒業して実家に戻ってきた。
そこでまた東京で遊びたいという理由で、
六年いることができる医学部に一浪して入った。

私も会って一緒に飲んだことはあるが
父に勉強を教えて医学部に入れた人は、
東大主席で卒業し、誰もが知る
戦艦ヤマトの設計者でもあった。

会社での扱いもあり得ないほど厚遇だった。
出張費用上限無しだった。
簡単な話、出張先で家を買っても
問題ない待遇を受けていた。

話は尽きないがそれてしまったので元に戻そう。
つまりは、医者は色々な知識が
あるわけではないのだ。
これは共通して言える事でもあるし、
仕方のない事でもある。

通常の人は皆、医者の言う事を聞くが、
私は医者を色々知ってるだけに、
間違った事を言えば訂正させるし、
そんな医者だった場合は、
次から他の医者へ行くハッキリ言って断る。

父は常々言っていた。
患者さんはお客様だと。病気にかかった上に
通ってくださるお客様だといつも言っていた。

医者が偉そうにするのは間違っているとも
よく言っていた。
実際問題、医学の世界では特に脳に関しては
ぶっちゃけ1%程度しか
本当は分かってないとも話していた。
その為、副作用などが出ても原因は今でも
突き止める事は出来ない。

人体に関しても知識から
どの病気かを知るわけであって、
それは手探りでものを探すようなものなのだ。

医者の難しい所は開業しないと元が取れない
という所にある。私立の場合だと数千万かかるので
普通の人には非常に厳しいと言える。

父は宇宙に関してよく研究していた。
だからよく食事しながら議論した。
数少ない父の幅は狭いが、深く追求している
宇宙に関して話した時に父は、
「宇宙人はいない」と言った。

私は「これだけ広い宇宙に我々だけしかいない事
のほうが異常ではないのか」と反論した。
父は「科学的にあり得ないことだから
宇宙船などは存在しない」
と言った。

私は「じゃあ、今の文明が頂点なのか」と聞いた。
この言葉で父は何も言えなかった。

文明は進むが人類は成長しないと私は思っている。
人間は状況で変わる。
昔からだが、それが変わる事は決してない。

理由をつけて結果的には同じことを繰り返している。
はっきり断言できる事はこの世に少ない。

それは目で見えるもののほうが少ないのも事実だ。
お金は目で見える物で分かりやすい
多くの人々が欲するものだ。
しかし、愛や喜びなど形に出来ないもののほうが、
私は大切だと考えている。お金はあり過ぎず、
無さすぎる方がいい。欲を満たす程は必要ない。
欲は更なる欲を生む為、際限が無いからだ。
程よくお金はある程度が一番多くの事に、触れる
事も出来るし、お金では愛は買えないのも事実だ。

絶対的にそうだとは言えないが、少なくとも
幸せになるには愛は不可欠なものだと言える。

お金はある時もあれば無い時もある。
愛もその点に関しては同じだが
私個人の生きてきた今の時点では
お金よりも愛があるほうが幸せと言える。

それは永遠のテーマである事も理解はしている。
どちらも経験した人にしか分からないからだ。

“人間は無用な知識を喜ぶ唯一の動物である”

お金があれば人は自然と寄って来る。
そして大抵の人は、騙されるような形で
何かを買ってしまう。
そして人間不信になり、最後は孤独に満たされる。

お金が無くなれば、ただの普通の人になり、
残ったものは不必要なものだけになり、
買った時の幸せは、自分の心が招いた間違い
だと気づくが、手遅れになる。

こうして人間は同じ過ちを繰り返してきた。

それらを考慮するとアシモフの言葉は
正しいと言える。
お金は使えば無くなるが、愛は心が通い合えば
無くなる事は少ないからだ。

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