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フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー

”心の傷は体の傷と同じだ癒やそうと必死に治療する
        それでも傷跡は残る”


彼はフランスの貴族で、
ラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世
でありながら、モラリスト文学者でもあった。

モラリストとは、位置的には哲学に近いもので
ある。

人間を洞察し、人間の生き方を探求して、
それを断章形式のような独特の非連続的な
文章で│綴《つづ》り続けた人々のことである。

彼のような人物は他にもいた。有名どころでは、
ミシェル・ド・モンテーニュ、
ブレーズ・パスカルも同じ思想を持っていた。

一般的にはフランス語圏の思想家を指す事が多く、
こういった人間性探究の姿勢は、フランス文学に
脈打つ伝統とも言える。

人間の慣習や風習、性格や生き方などを意味し、
こうした人間の行動や、振舞い等、
全般を│省察《せいさつ》するのがモラリストである。
(省察の意味は、自らをかえりみて、よしあしを考える)

このモラリストに関しては、よく道徳家と混同
される事が多々あるが、道徳とは別の概念であり、
全く別物と思った方が良い。

道徳とは、本来は『道』と『徳』にはそれぞれ意味がある。
『道』とは、人が従うべきルールのことである。
『徳』とは、そのルールを守ることができる状態を指す。

そして道徳とは人に教えたり、説いたりするものであり、
教訓として間違った方向に行かないようにするものである。

モラリストとよく同種とされるのは、この点だけを
見るので勘違いが生まれやすいと思われる。

モラリストの場合は、断続的な形式の記述を好むという
特徴があり、その例としては、
前もって決められた構成に従うことない自由度の高い
ものを指す。

この違いは文字で読めば分かりやすいものなので、
今、読んでる方は理解を得られたと思う。

ただ、哲学的な言葉は生まれやすくもある。
自分自身を見つめ直して、正しい方向性に修正する
という事は、基礎的な哲学と言えるからだ。

”心の傷は体の傷と同じだ癒やそうと必死に治療する
        それでも傷跡は残る”

ラ・ロシュフコーのこの言葉は、実に自分自身を
見つめた時に出やすい言葉ではあるが、
こういった言葉は哲学の世界ではあまり多くはない。

そこにこそ哲学的思想とモラリストの思想の違いが
大きく出ている。
道徳、哲学、モラリストを簡単に言うのであれば、

道徳は先ほど話した通りだが、モラリストの場合、
何故、道徳とも哲学とも違うのかと言えば、
モラリストは基本的に思ったり感じた事を書くもの
であって、哲学は現実社会と必ず接していると言う
のが前提にある。

そして哲学の世界では、如何にして理論を以て
証明、或いは理論的に説明がつくかどうかを
検証したり、別の理論が出たりする場である。

その為、昔から存在する哲学の世界では、
現実と接するもの全てに於いて、証明や理論を
以て、それが正しいと言えるものかどうかになる。

モラリストの場合は、考える事に関しては同様で
あるが、ひとまず書く。ここに大きな違いがある。

”心の傷は体の傷と同じだ癒やそうと必死に治療する
        それでも傷跡は残る”

私はこのラ・ロシュフコーの言葉は非常に理論的にも
哲学的にも良い言葉だと思っている。

しかし、ラ・ロシュフコーにとっては、人生に起きた
事実であり、それを言葉としたものであって、
それ以上のものでは無いという点だ。

実際、道徳、哲学、モラリスト、の何れも知らないで
書いている人は大勢いる。

哲学を語るに当たっては、体験や経験を元にして
言葉としている人が多く見られる。

その世界は、時には幸せの絶頂である時もあれば、
命を絶つ程までに悩み抜いた末の言葉となっている。

現代社会に於いて、特に日本のように平和をお金で
買うような事をしている国に、哲学を語る程の事は
まず起きない。

実際、誰もが気が狂うような体験を何度もした人や、
頑張るという精神を貫いた人だからこそ言えるのが
哲学である。

生ぬるい環境で生まれる事はほとんど有り得ない
のが哲学というものだ。

誰もが自信と不安を兼ねて生きて来た。
それは生きている当時は、表面上には出さなかったが、
言葉として残している。

ただ単に思っただけの世界では、生まれないのが哲学
の言葉と言える。

ラ・ロシュフコーの思想は哲学的な要素も含んでいた
為、このような言葉は生まれた。

彼は貴族として産まれたが、死する時は貴族では
無かったと言える。
戦いにも何度も参戦し、その度に生き残ったが、
彼の存命中に起きたフランスの『フロンドの乱』では
貴族勢力は敗れ去り、絶対王政へと繋がった。

彼等は皆、自分の人生から得た確かな体験を元に、
言葉が生まれた。
私も相当な問題に巻き込まれ、元々、哲学は幼少期に
目覚めていた事もあり、白を黒に出来るような世界では、
哲学などは一切通用しない世界だった。

全てはお金で解決できる世の中で、
幼い子供が生きるのは、正に地獄だった。
幼稚園の頃から集団虐めに合い、
お稽古や塾だけの日々で、日曜日も夏休みも無かった。

金にモノを言わせて、大学生を雇い、小学生が200ページ
にも及ぶ科学研究を出す事など、誰がどう見てもおかしい。

夏休み期間の30日は離島のホテルで缶詰め状態で、
朝は早くから勉強、朝御飯を食べた後も勉強、昼ご飯、勉強、
晩御飯を食べてまた勉強漬けで、それ以外にも塾を幾つも
掛け持ち、習い事もある中で、学校には行くが走って帰って
塾にいく日々の中、同級生と話す機会も無い以上、孤独でも
あり、虐めの対象にもなりやすい。

家でもテーブルマナーを間違っただけで殴られ、
切れて血を流した事も度々あった。

そうした環境の中、ただ親の言う通りに生きていた。
しかし、ある事がきっかけで、親が嘘をついている事が
分かり、私は初めて悩んだ。

それまでは言われるがままにしていたが、
幼い子供にとって塾の講師が言う事と、母親の言う事が
真逆である事を知り、その時の事は今でもハッキリ
覚えている。

あの時がきっかけで、私はまだ哲学という世界を
知らなかった為、『人間学』と称して、人間の事を
調べるようになっていった。

そして色々な熟慮が出来るようになった頃、
自分が今、考えている事が人類史上で初めてな訳が無い
という思いに駆られ、調べていくうちに、私の悩みと
同じ悩みを持っていた人物を見つけた。

それがソクラテスだった。

それからソクラテスの事を調べていくうちに、
自分にもそのチャンスが訪れた。

最初に東京に出て来た時は、大型オンラインゲームを
していて、雑誌社からスカウトされた。
最初は挨拶にわざわざ広島まで来て、話を聞いた。

それから2、3カ月後、再び来た時に、自分を試す
良い機会だと思い、話に乗って、東京に出た。

ソクラテスの悩みは、自分より賢い人はいるはず
だと思っていた。
私も全く同じ状況で、自分より賢い人に
教えを乞いたいと常々思っていた。
私と同じ程度、賢い人は2人だけいたが、
それでは教えを乞えないので、自分で哲学的思想の
持論をいくつか書き始めた。

事実、私と似たような境遇で産まれた人の中には、
小学生でありながら首吊り自殺をした子供もいた。

彼には弟もいた。
弟は兄の自殺からきっかり一年後に兄の部屋で
首吊り自殺をして死んだ。

私は兄が何故、一番苦しむ首吊り自殺をしたか
分かったが、ただの自殺として処理された。

そういう世界は日本でも現実にある。
ただ、隠して処理しているだけであって、
私が知る限り、親に屈して親のレールに乗った
人以外で、まともな精神の人は誰もいない。

私も一時期、腐り切った両親を筆頭に一族と
闘った。勝ち目は十分にあった。

しかし、父親は癌になり、その弱みを利用して、
私の中では、100%どうしようもない人間だと
解っていたのに、癌とパーキンソン病になった
父の嘘に1%の隙が出来た。

それは神話のように昔から言われている言葉を
信じたからだった。
「死を前にした人間は嘘をつかない」
充分に私のほうが圧倒的に賢い事には気づいて
いた、医者でありながら頭の悪い父が一番頭を
使って、何とか私を騙そうとしていた。

しかし、1%の神話の言葉を信じてしまい、
私の計画は全て倒れて、親族17人に勝てたはず
だったのに、負ける事になった。

あれからもう7年ほど経ったが、
まともと言えるのは私だけになってしまった。

私自身も当時は、身辺の整理をして、恩のある
人に会いに行き、自殺を図ったが失敗した。

しかし、過去の偉人たちの哲学的思想の言葉は
こうした状況の中で生まれたものだ。

アインシュタインでさえ、何度も気が触れる
ような体験をしている。

それほどまでの境地に行かないと、
哲学を理解する事は難しいものだと言える。

誰もが平凡な人生では無かった。
悲惨な人生を送った人のほうが多いくらいだ。

もし、哲学を知っていると思っているのであれば
それは恐らく勘違いしている。

苦悩の中から生まれれるものが哲学と言える
からだ。

”心の傷は体の傷と同じだ癒やそうと必死に治療する
        それでも傷跡は残る”

この言葉の通り、この言葉は比喩でも取れるし、
比喩だけとも言える言葉である。

何故なら、心の傷という言葉から始まっている時点で、
心の事を言っている事になるからだ。

彼もまたいい言葉を残した裏側では、
辛すぎる人生を送った事は、この言葉から感じ取れる。

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