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私がnoteに何かを綴る時

noteと出会い感謝したい事がある。 

それは、物書きの肩書きもない、知名度があるわけでもない、出版社との繋がりも何かもない私が文章を描いて人様に見てもらう事ができる事。

「描きたい」事を誰かが観て、何かしら感じながら通り過ぎ、そこに確かな交流がある。

文才はない。本を多く読んでいるわけでもない。
だが、私は日々の心の機微を記していく事が好きなのだと思う。

それはポジティブよりネガティブなものが多いかもしれない。出来ればどちらでもないフラットな状態で出来事を書いてみたいがなかなかそれは難しい。

恐らく、「悲しみ」とか「怒り」は描きやすい。

陰でも陽でもエネルギーが生まれる。

エネルギーが無ければこの世界は成立しないわけだから、生み出すには少なからず何かが働いているのだと思う。

行き場のないエネルギーは溜まっていくと爆発する。または何かを吸い取る。

精神科医は、運動の習慣を持つ事を勧める。

エネルギーの放散だ。

夫は良く運動する人で、精神的に弱る事はまず少ない。
ならば…私も!と思うのだがどうも習慣化出来ない。

私はnoteに綴る。
エネルギーを少し放散して自分を開放する。

人は色んな側面から出来ているにも関わらず自分の事を多角的に見つめる事はなかなか難しい。

だから私は描いて自分という人間を知る。

スパッとかっこよくなれる日もあれば、しょぼしょぼする日もある。呆れるくらい過去の事をぐだぐだ引きずって誰かを恨む日もある。暗い海の底に沈みたくなる日もある。怒りが体に満ちて恐ろしい事をしそうな日もある。

それが私です。

通り過ぎてくれる皆さん読んでくれてありがとうございます。
noteとのお付き合いは始まったばかりだ。
エネルギーを上手に放散できます様に。






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