noteは楽しいところです。 以前は誰かのnoteを積極的に読めなかった。 「みんなすげー…」と、読むと凹んでしまっていたから。 しかし、今はそんな気持ちにはならない。 自分がどうとか、誰かがどうとか、どうでも良くなったのかもしれない。 私がスキをポチるとき、それは 「この“感覚”持ってる人好きだな」がスキの基準だ。 偽らず、自然で、優しくて、時に激しく、時に苦しみ、光と影が見え隠れする感じ。 心って目に見えない。 心も体も一人一人違う。 いつも元気で強くて
お久しぶりである。 noteに「久々に書いてみませんか?」とアドバイスを頂いた。 だから描いている。 夏… 正直暑過ぎで、感覚鈍りました。 そして、これまで色んな事を語ってきた自分が恥ずかしくなりました。 (え!?今更?) 夏は子ども達と密に過ごした。 家族関係によい兆しが見え始めた瞬間がいくつか自分の中であった。 文章は描かないとどんどん描けなくなる。 そして、詩的な感覚が薄れていく。 「地に足が着く」というのは、なんとなく面白みがなくなってしまう怖さもある。
「俺、絶対こんなとこ住むの嫌。住む奴の気が知れないわ」 憧れの男性の先輩が放った言葉に、淡い恋心が一瞬で冷めた事を覚えている… 18歳から22歳までの4年間を私は名古屋で暮らしていた。 東北の田舎町から進学し、バスも電車も30分から1時間に一本あるかないかの不便で、おしゃれな店も無く、人間関係がひどく狭い場所から解放された4年間だった。 名古屋で出会った男性や女性達は華やかだった。 田舎者で、世間知らずで、おバカだった私は、バイトやサークルで知り合った男性達と遊び呆
とにかく、何かしないと自分には価値がないと思い込んでいた数年前。 子育てと仕事と家庭の完璧な両立なんか無理なのだけど、世の中の輝く女性達は、それを実現しているように見えてしまっていた。 仕事もだめ。 家事もだめ。 子育てもだめ。 同居とか最悪。 こんなハズじゃなかった… という思いが結婚してから何度も頭の中をぐるぐると回った。 「時短」「コスパ」「やりがい」「フリーランス」「副業」などライフスタイルを変化する事が今後の人生を大きく左右させる的な謎の強迫観念に駆られ、
カラン… シュワー… この音は? 氷 炭酸水…を私は連想している。 炭酸系飲料が大好物である。 いつから好きだったか? おそらく、3歳くらいからだ。 少し不良な父親からコーラを一口飲ませてもらい、「もっと。」と言った時から炭酸飲料の虜なのだと思う。 しかし、いつからか父が炭酸飲料を「糖分と着色料が体に悪い飲み物」認定し、飲ませる事を控えるようになる。そして私もなんとなく飲まなくなる。 時は過ぎ… 就職してから、憧れの好きな先輩(女性)が「炭酸水」を飲んでいた
「lemon sodaさんに観て欲しいアニメあるんですよ。“転スラ”と“忘却バッテリー”と“葬送のフリーレン”」 元ギャル看護師Bちゃんに勧められたアニメはほぼ面白い。 ただ、なぜか転スラはハマらなかった。 長いからかなぁ?私って飽きやすいのね、やっぱり。 葬送のフリーレンは現在進行形で鑑賞中。 で… その中でかなりハマったのが、 「忘却バッテリー」 アニメの挿入歌、今、ヤバない? オープニングはMrs.Green Appleのライラック。 エンディングがマカえん
毎日暑い。 かと思えば、急にやってくるバケツをひっくり返したような大雨に毎度ビビっているLemon sodaです。 恐ろしいです。 “異常気象”を感じずにはいられない。 このまま地球温暖化が進んで、生態系が壊れて、食糧難になって、なんか色々起こって、人類滅亡したらどうしよう… なんてジブリのセリフが頭をぐるぐる回り、考えても仕方ない事を悶々と考えてしまう残念な性だ…。 そんなときは誰かの思考を借りたい。 自分だけで考えているとおかしくなる。 あまり難しくなく、す
前回までの記事はこちら↓ 全国高等学校総合体育大会、つまりインターハイってヤツを目指して我々は動き出した。 今までは地区予選敗退が当たり前だった弱小高校。 そんな我々が地区予選4位となり、県大会出場の切符を手に入れたのだった。 みんなの意識は高まっていて、ここでのミスは許されない空気感が苦しい。 私はいつも誰かにカバーしてもらって試合をしていた。カバーが苦手だった。 「切り替えて、最後まで追うんだ!」 私には拾えない。 きっと、ミスをする。 あと一歩が出なかっ
これまでの記事はこちら↓ 2年の冬頃になると、チラホラ退部する子が出てきたり、全体的にバレーボールへのモチベーションも下がり、部員の雰囲気が悪くなってきた。 “顧問崇拝派”と“顧問アンチ派”に分かれ始め、部活に対する姿勢の熱量の差が生まれていたのだった。 崇拝派が高校生活でのルーズソックスも廃止に動き出し、ショートカットに髪を切り、スカート丈は膝下しようと決めてきたりした。 私は完全なアンチ派でもなかったが、崇拝派の一糸乱れぬ団結感も苦手で、少し距離を置いていた。
前回まではこちら なんで私がレギュラーに…とばかり思っていた。 何故ならスパイスもレシーブもサーブもさっぱりダメだし、得意なのはブロックだけ。 F美とGたんは後衛に廻ると後輩のリベロちゃん達と交換していたが、何故か私はフル出場…。 練習試合の日は、勝つとか負けるとかよりも「早く終わってほしい」とばかり考えていて、プレーに全く身が入らなかった。 中学の頃から 「お前のせいで勝ちのリズムが崩れるんだ」 「ミスが多くて点向こうにくれてやってるぞ」 「サーブくらい入れろ!」
前回まではこちら↓ バレー部は意外と楽しかった。 ゆるゆるの雰囲気で先輩達は優しく、可愛がってくれた。 2、3年の先輩達は10人にも満たない。 一年生の入部数は16名と先輩達を圧倒させていた事もあるだろう。 Cちゃんはマネージャーに憧れていたらしく、バレー部のマネージャーとして楽しそうに過ごしていて、私は安堵していた。 そして、田舎の中学のスター達はやはり上手くて、個性的で面白く、意外にも優しい子が多かった。下手な私にもコツなんかを色々教えてくれた。 なぜ、こんな
Prologue 2000年代の初期。 高校生になったら、ルーズソックスを履いて、スカートを短くし、茶髪にし、化粧を覚え、プリクラを撮ったり、カラオケに行ったり、彼氏が出来たり、バイトをしたり、勉強なんか二の次にして夜まで遊んで放課後を過ごす… 周りの友人が躊躇なくそんな風に変貌していく様子を眺めながら、そんな風に自分もなるのだろうか…と考えていた。 しかし、性格的に派手さも無ければ、親や教師に激しい反抗心を持ち合わせていなかった私は、中途半端で芋くさい
ようやく、DVDで映画「THE FIRST SLAM DUNK」を見た、時代の流れからやや外れているlemon sodaです…。 “流川”か“リョーチン” …悩んでたんですが、リョーチンが大好きになりましたね。 うん。 安齋先生がおっしゃった「諦めたらそこで試合終了ですよ」 …はこの歳になっても響くのだ。 さて。 夏休みが近づく。 夏休みは、少し仕事が忙しくなる。 利用する子ども達が、普段より長い時間を過ごすことになるからだ。 丁寧に計画を立てる。 私の勤
久しぶりに DefTechを聴いている。 19歳の時に彼らの音楽に出会ってそのメロディーラインの優しさとメッセージ性に惹かれた。 DefTech Irie Got〜ありがとうの詩〜がApplemusicから流れてきたとき、私は聴き入ってしまった。 めざましテレビで流れていた時は、何にも感じなかったのに… また… 1人の仲間が職場を去っていった。 彼女は自分を傷つけて、誰かの事も傷つけてしまう人だった。 私は入職時に彼女に沢山助けてもらった。 けれど、私と仲良くす
私は先週末東京にいた。 息子の空手の東京大会に家族4人で行く事になったからだ。 土日の1泊2日の旅。 土曜日まで事はこちら↓ 息子が極真空手道場に通い始めて2年になる。 無級の白帯からスタートし、今は7級。 青い帯に銀線が入っている。道場によって階級分けの帯の色は様々だ。 大会は全国各地で行われる。 道場から推薦される事もあるが、基本は武者修行というのか…自分が出たい思ったら出る。 息子が県外で行われる大会に出るのは東京で4回目。夫が熱心にサポートしているが、息
「Tokyo…」 …ばりの緊張感と高揚感である。 東北の田舎町の傍らで平凡な生活をしている。 都会には憧れはあるが、生活していく自信はない…。 高校卒業し、10代から20代の頃は研修やら遊びやら県外に出て回っていたが、結婚、子育て期間に入り、めっきり出歩かなくなった。 新型コロナウイルスの流行後はさらにだ。 家族旅行は県内を回るのがやっと。 と思っていたが… 「はる(長男)の空手の東京大会に家族みんなで行こう。新幹線で。」 と旦那から言われた時は驚いた。