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皆が就活の軸を考えているので自分は休学の軸を考えてみた。

Guten Tag!

大学4年になる年で休学した自分の周りを見ると、当たり前ながら就活を始めていて(中には終わった人もいて)時に置き去りにされた気分になる。

でもそもそもそれを覚悟して休学したわけで、休学の目的もそんな浅はかなもんじゃない。

その目的という名の「休学の軸」を言語化しておこうと思う。時は遡ること去年の夏。

「旅の資金調達のためにワーキングホリデー制度を使えば良いじゃん。」

そう思ってドイツでワーホリをしようと決めてから早1年以上が経ったらしい。そう一言で言っても実際に単身で異国で働けるようになるまでの過程は長かった。本当長かった。まだトライアルの段階なのに入国して丸3ヶ月以上経ってますからね。

ドイツでのワーホリは同じ勤務先での仕事は最長半年なので、そろそろ帰国まで半年になりそうな自分としては早急に仕事を決めないと「半年も働けません、すみません」という結末になる。

最長半年という条件さえ雇用を渋られてしまうこともあるくらいだし、職に拘っている場合ではなかったのかもしれない。

というのも、自転車が好きだからに拘って、自転車店にばかり職探しをしに行って履歴書を配り歩き電話をかけ面接を受け過ぎた。そんな情熱だけで採用なんてそう甘い話なんかなくて、まずドイツ語を話せません、それに自転車技師の資格もありません、なんていう日本人を採用するわけはない。

と何故気付かなかったか。

多分自分の場合旅が本命、仕事は二の次だ、どうせ働くなら好きなことに関連したものとか将来に繋がるものがいいな、と変なプライドにしがみ付いていたからだと思う。人生一回くらい汗水流して自分の描く将来像とは別の分野の仕事もやってみるもんだ、どんな仕事をしたって異国で働けること自体に価値があるんだから、と思えていれば良かったのかもしれない。

何事も失敗してわかるもんで、事細かく計算していても貯金が危ういぞとなったり、現実はそうキラキラしたものではない。でも日本で多額の貯金をしてきてエージェントの支援を受けてますって方なら多少なりとも経済的、心理的余裕はあったのかもしれない。

自分の場合は「無理してでも自分のことは全て自分でやってみる」というのもこのドイツ生活のテーマではあったので、大学生が頑張って貯めた無けなしの必要最低限の貯金と、エージェントも介さない文字通り単身の1年間です。航空券、物件、ビザ、仕事、全て自分で手配してきました。

単語にすれば簡単そうですが、物件が決まらない焦りとか、ビザ申請の書類集めとか予約とか、やったこともないことを、時には英語で時にはドイツ語でやり取りするのって想像を絶する大変さやストレスがある。

ポジティブに捉えれば貴重な経験をさせてもらえているけど、現実は早く仕事を決めて働き始めないと家賃も食費も払えない状況になってくる。

親に頼って一時的に資金援助してもらえればいいのだけれど、それは今回の目的の軸に反する、と言っている時点でプライドが高いのだけれどこれを妥協してしまったら、休学までしてドイツに来た意味って何だったのか見失ってしまいそうなので譲れない、譲らない。

多分これが自分が休学した意味なんだろうなと思う。親の脛がなくなるまで齧り続けるのが子どもだ、とも言うけども20歳を過ぎて親に頼り切っていたら自分の場合その状況に安住してしまう。それを打開したくて何の身寄りもない、何のツテも縁もないドイツに来てみたのかもしれない。

誰かが言っていたけれど、旅をしたい気持ちとか異国に憧れる思いとか無謀なことに挑戦する冒険心みたいなものには賞味期限があるんだと。

今の自分の中では旅をしたい、世界中の絶景を自転車で周りたい、辛い思いをして登った先にある達成感を味わいたい、そんな思いが渦めいて仕方がないけども。でもそれに賞味期限があるというのなら今ドイツに来てみて良かったのかもしれない。ギリギリの状態で仕事を探し回る無謀な生活をしてみて良かったのかもしれない。

今までは将来こうなりたいから今はこれをすべきだと考えて行動してきたつもりだけど、今現在の生活みたいに大袈裟に言えば明日生きるためにとりあえず仕事を見つけなきゃといったサバイバル生活も案外悪くない。

自分生きてんだ、今を生きてんだ
って思えて、より人生を考えるきっかけになる。明日はここに旅しよう、明後日はここに履歴書を出しに行こうといった感じで、したいことのため、生きるためには1日も無駄になんかしてられるかって心持ちになれる。

就活の時期に差し掛かったのにとりあえず今は世界を旅したい、そんな気持ちでドイツに来てみましたが、生きるためには働かなきゃと気付けました。

当たり前だけども今までは誰かに頼り過ぎていたのでそんなこと考えたこともなく、皆が進む方へと舵を切っていた自分からすると、それに気付けたことは大きい。それにこのドイツ生活300日間を生き抜いて終えられたらそれも自信になる。今思えばこれが得たかったんだろうと思う。

つらつらと長く思いの丈を綴ってみたけども、語り切れぬ。兎にも角にも

「自分の力で生き抜けると確信したい」

これを休学の軸として、その軸をブラさぬように、残りのドイツ生活を奔走しようと思います。

Tschüss!

この大聖堂だって何百年とブレてないんだから俺もブレない。

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