プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神はドイツの社会学者マックス・ヴェーバーによって書かれた論文です。

この論文はタイトルそのままプロテスタンティズムの倫理が資本主義を発達させた、ということを説明しています。
キリスト教には大きく分けて「カトリック」と「プロテスタント」「東方正教会」という宗派が存在しますが、ヴェーバーが取り上げるのはプロテスタント、中でもカルヴァン派という宗派です。

カルヴァン派がそれまでのキリスト教と違う点は、①予定説 ②労働に対する意識 と言えるでしょう。
①予定説
カルヴァン派の教義の特徴に「予定説」というものがあります。これは「神によって救われる人間は予め決まっており、現世の努力で救いを得ることは出来ない」という残酷なものです。
努力で救われることがないのなら、何もしなかったり、諦めたりしそうなものですが、ヴェーバーはそうでは無いと言います。つまり、「もし自分が救われる側の人間であれば、禁欲的に労働に励むはずだ」とカルヴァン派は考えるのだそうです。
このように、予定説によって資本主義の肝心要、禁欲な精神が培われたと言えます。

②労働に対する意識
旧約聖書の創世記では、アダムとエバが知恵の実を食べ、永遠の命を失い、エデンの園から追放されるところが描かれています。アダムとエバは知恵の実を食べた罰として神からそれぞれ「労働」「出産」の苦しみが与えられます。
つまり、元々労働とは、「罪」なのです。
しかし、カルヴァン派では禁欲的な労働は良い事とされます。禁欲的に労働に励み、その結果、蓄財することは神の威光を高める行為であり、肯定されることなのです。

キリスト教の教えに富める者こそ悪であり、貧しい者こそ正しい、というものがあります。
つまり、従来のキリスト教において蓄財も悪と言えます。蓄財を悪とする文化では資本主義は発達しないでしょう。なぜなら、資本主義とは稼いだお金を投資に回して利益を得てそして更に利益を得る…という動きで発達していくのですから元のお金がなければ成り立たないでしょう。
 
このように予定説に起因する禁欲な労働、そして積極的な蓄財の肯定が、資本主義を発達させた、と言えます。

以上が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のざっくりとした解説です。現在の国を見てみると日本だったり中国、インドなど必ずしも資本主義が発達した国がプロテスタントという訳ではありませんが、ヴェーバーの説明にも一理あるなぁと思います。



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