見出し画像

【マインド】「男と張り合いたいと思ってるの?」の質問て、まじで何なの?

「え、それってどういう意味ですか?」

って、思わず聞き返してしまった。
言われた直後は、たぶん自分の脳内で瞬間的にガー-ーっと考えまくって、でも質問の意味も意図も不明すぎて分からず、結局質問返しになってしまった。

字面だけでイメージすると、ちょっとつっけんどんな言い方の質問にも捉えられるけれど、決してそんなことはない。
とても穏やかで、会話の流れを止めることなく、自然に出てきた発言なんだと思う。
ある50代女性からの言葉。

私が仕事を抱えまくっており、あれもこれもやらなければならず、いっぱいいっぱいになりかけていた時期の会話だ。
私が猛烈に動きまくっていたので、きっと心配し、親身になって声を掛けてくださったのだ。だってその証拠に、高級な美味しいチョコレートだってくれたのだから。

彼女は私の質問返しに対し、うーんと・・・とちょっと考えながら、「男性と対等に仕事がしたいっていう気持ちがまるさんかくさんにはあるのかなって思って」みたいなことを言ってたような気がする。
「男性に負けたくないの?」みたいな追い質問も、確か。

閉口した。
返答に困った。

とりあえず、「よく分からないです」と答えてみた。

おそらく、コミュニケーション齟齬が生まれたはずである。
私が、「自分が男性と張り合いたいのかどうか」は分からない、もしかしたらそうなのかもしれない、どっちなんだろう?と自問しているように捉えられた可能性が高いからだ。

全然違う。
私の発した「よく分からないです」の意図は、「あなたの言っていることがマジで分からないです」っていうことなんだけど。

この記事をどれだけの方が読んでくださるのか分からないのだけど、私が考察したことをここに記す。

人は2つに分類されるのだ。
「男と張り合いたいと思っているの」の質問の意味が、「分かる人」と「分からない人」に。
そして、「分かる人」の中でもさらに「分かるし、実際、男と張り合いたいという人」と「分かるけど、男と張り合いたいわけではない人」の2つに分類される。

「男と張り合いたいと思っているの?」の質問の意味
1 分かる人
 1ー(1)  分かるし、実際、男と張り合いたいという人
 1-(2) 分かるけど、男と張り合いたいわけではない人
2 分からない人

私は、「2」だった。
何言ってんの?って感じだった。
分からなすぎて、この質問の意味をずっと反芻しながら何ヶ月も過ごした。
そして、自分の中で1つの結論を出した。

「質問は、質問者の心を映す鏡」

彼女は、自身の中に常にそういうマインドを持っているのだと察した。
その根拠として、それに続く会話で出てきた発言を挙げておきたい。

「まるさんかくさんも、女性の武器を使うといいわよ」

はい。
これも分類されるはず。

「女性の武器を使う」の発言の意味
1 分かる人 
 1ー(1)  分かるし、実際、女性の武器を使っている人 
 1-(2) 分かるけど、女性の武器を使わない人
2 分からない人

ここでも私は「2」に該当した。
私は人の心が読めない人間なのか、と絶望しかけたのだけど、それもなんか違うって思って。
反射的に、この方とは交わらないんだろうなっていう感覚が自分の中に充満していった感じだった。

「女の武器って具体的に何ですか?」
って聞き返したら、言葉を選びながら丁寧に教えてくれたのだけど、そういう質問返しが来ると思ってなかったのが分かるような答えだった。
「言葉を選びながら」の姿勢が、「女の武器」という言葉が包含しているドロッとした部分を印象づけている。

一通り聞いて「なるほど」って言ってみたけど、全然なるほどなかった。

お酒の場で、信頼している同僚男性に聞いてみた。
「女の武器って何?」って。

えーっ?って笑いながら、「言葉を選ばず」教えてくれた。
具体例を複数挙げてくれた。
「なるほど」
ようやくこれで理解した私。

つまり、「女性」という立場が持つ性的イメージを恣意的に利用して、その恩恵を最大限享受するってことか、と。

男性が教えてくれた例が物語っている。
もし自分が情報処理が苦手だとしたら、得意な人にPCの使い方を「教わる」のではなく、「できな~い」と(かわいく)泣きついて、その人に全部やってもらう。

分かりやすい。
その現場を私も見たことがある。
そしてそれを見た私が思ったことは、「それじゃ自分ができるようにならなくない?」ってことだった。

基本私は、「魚を与える」のではなく「魚の釣り方を教える」のが大事と思っている。立場が逆なら、「釣りのやり方を教えてもらう」のが筋と。
もちろん人によって得意・不得意あるから、適材適所で各人が力を発揮できるようなフィールドで活かされるのが一番ではあるけれど、でもそのレベル以下の場合は、頑張ってできることなら覚えたり学んだりしながら自分の仕事の幅を広げていくのが普通じゃないのかって。

このことを男性同僚に話したら、論点がずれているとのことだった。
そもそも、「女の武器」使うか使わないか論争に、その視点は不要なのだそうだ。
私は「2 分からない人」だから、ずっと分からないのだ。
(説明を受けて、理解はした)

そしてさらに興味深かったのは、男性側も「こいつ、女の武器を使ってるな」というのがリアルタイムで分かっているという点だ。
現に、○○さんと、△△さんと、●●さんは女の武器使うよねって男性同士でそのとき盛り上がってた。
なんということだ。
君は全く使わないよね、って笑われた。
というかそんな概念ないでしょ、って言われた。
そのとーり。

ここに、社会構造がもたらした闇を感じずにいられない。
「おんなこども」の時代が生み出したかつての社会通念は、今だって根強く残っている。
今では意外ではなくなったけれど、「女性側」がそれを利用するという言動も社会にはたくさん存在するっていうことに私は気づいた。

これは、女性だからお茶出しするとか、女性だから管理職にはなれないとか、そういうのとは違う話だ。性的役割分業の視点とはまた違う。
おそらく「女の武器を使う人」だって、過去の家父長制などが作り上げた負の時流に否定的なのだ。ジェンダーギャップはない方が良いに決まってるって叫ぶと思う。

そうではなくて、敢えて「女性」として「性的」にそのイメージを活用し、自分の立場に利益が出るように立ち振る舞うということが結構多いのだ。
女性が、女性として。男性に対して。

それをビジネスにしている場合は別だ。
お客さんはそれを求めてサービスを受ける。
金銭のやり取りが生じるのなら、対価があって然るべき。
しかもこの場合は男女が逆の立場になるケースもあるので、男女関係なく「サービス提供側」と「顧客側」という立場になるだけ。

反して、「女の武器」は。
男性側に何のメリットがあるのか?
そしてその男性たちは、女の武器を使っていることを瞬時に気づいているのだとしたら。
女の武器を使う側の女性の気持ちが測れない。
私も女性なのに。

「質問は、質問者の心を映す鏡」

自分の中に存在する心像みたいなものが言葉に表れるのだから、「男と張り合う」とか「女の武器を使う」とかっていう発言が出てくる人には、そういう視点でのモノの見方が在るんだ。

「男と張り合う」の言葉には、「女なのに」の条件付きが隠れているし、「女の武器」だって、そもそも「武器」という言葉を使用する時点で、男性と女性との「戦い」という概念が内包されている。
つまり、男性と対立するっていう考え方とか、負けたくないって思いとか、女性として自分の身を守るって姿勢とかは、この発言をする人たちが常に抱いていることの表れなんだなって。

なんか、せつなくなってしまった。
男女平等とか謳っている社会の流れがあったとしても、その裏番組では、自分たちの立場を利用しながら恩恵を享受しようとするスタンスを持ち得る女性たちもいるってことに対して。
そんなことにも気づかなかったのか自分は、って一瞬思ったけれど、気づかなくてしょうがないのだ。
「2 分からない人」なのだから。

ただ、突き詰めていって分かったことがある。
「1 分かる人」たちは、「2 分からない人」のことを、同じ女性でも別のカテゴリーに入る人というように無意識に見ているのかもしれないということだ。

ジェンダーギャップを埋めていくには、男女関係なく社会全体の共通認識が必要だと理解している。
でもその前に、同じ属性同士で理解し合っているという前提があってこそだと思っていた。
しかし女性の中でもある種の分断が起きているのだとしたら、その共感し合えない部分が、男女間の埋められない溝の存在を大きくしているなんてことになっていないだろうか。
「あなたは女性だけど、ちょっと違うよね」って、同じ女性から見られているような気がして、突き放された気持ちになってしまう。

いつの時代も、過去を生きる先輩たちの上げてきた声によって、社会に変化をもたらしてきた。
「生きづらい」って思った人が勇気を出して自分の思いを発信したから、その不都合が解消されるための方策が講じられ、実現までつながった。
その数が多ければ多いほど、社会に反映するタイミングもスピードも格段に期待できる。だからジェンダーギャップだって、きっと指数が改善していってくれると信じたい。

信じたいけれど、もしかしたら「このままでいい」って思う人たちもいるかもしれないという視点を持たなきゃいけない気もした。
男女間のことだと、どうしても女性側が弱者の立場に捉えられることが前提の話だから今まで気づかなかったけれど、その女性サイドにも思いや考え方にグラデーションがあるっていうこと、それから「性的」な視点で利害を捉える女性たちが存在するっていうこと、そもそも、それらが一緒くたになってて論点が捉えにくくなることなど、ジェンダーっていう言葉の中に煩雑さがあることに対し、改めてせつなさを感じている。

本当に難しい。
考えれば考えるほど、難しい。
そしてそういうことを人に話して、「そんな難しく考えなくても」って言われるのが目に見えるので、noteに綴ってみた。

皆さんは、どう捉えるだろうか。

庭のアナベルが綺麗に咲いた

梅雨入り、週末。
日本にいるなって実感する。
梅の実が熟す頃。
母が作る梅ジュースが今年も飲みたいな、と雨の降る窓を見ながら思う。

では、また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?