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【子育て】夫の育児に対する主体性を高める方法

前置きとして、
これは我が家の場合です。
私は子育ての専門家でもなければ、母になってわずか4年目であります。
これより良い方法はないかと、まだ模索中。



「なんで積極的に育児に関わってくれないのだろう?」
母になり、子育て対峙する中でパートナーへ抱く想い。これって、結構よくある話だと思う。

これを友人などと共有して、だよねだよねぇと共感し合い、他の家庭もそうだから我が家も受け入れようというマインドは、なんだか不健全な気がするのだ。

やっぱり夫には主体的に子育てを担って欲しいし、子どもからも、パパママどちらからも関わってもらっているという実感を持ってもらいたいという心情は大切にしたいところ。

ただこの「主体性」というのが厄介で、実務的に育児をしている夫であっても、おおかた次の3つにカテゴライズされるのではないかと考察する。

妻に「やらされている感」満載である状況

「これだけやっているのだから、もうこれ以上は無理」と上限を勝手に決める状況

「やっているのだから褒めてよ」という承認欲求が見える状況

我が家は、2番目と3番目が色濃い。

向き不向きの性差はあろうとも、やはり主体的に子育てに向き合ってくれると、日々の小さな揉め事は減るだろうし、出来ないこと難しいことをカバーし合おうとする態度も芽生えてくる。
それが理想だけど、まだ到達できない。
相手へ求めるばかりの状態は、イライラが増すばかり。
子どもにもそれが伝わり、負のループ。

だから私なりに、夫の主体性を高める方法を考えてみた。

まずは、主体的ではない要因について。
性格や考え方などは抜いて、環境面に焦点を置いた考察。

それは、
ステークホルダーがいないということ。

ステークホルダー:
企業や行政機関、NPO(非営利法人)等の利害と行動に直接・間接的な関係を有する者を指す。日本語では利害関係者(りがいかんけいしゃ)という[1]。具体的には、消費者(顧客)、労働者、株主、専門家、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関、利益団体(業界団体・労働組合・当事者団体等)の構成員など。

Wikipedia

実は学校だって、ステークホルダーはいるのだ。
大きな括りは、「保護者」、そして「地域」である。
この存在があるからこそ、学校を良くしていこう、生徒により良い教育をしていこうという姿勢が維持できる。
さらには、ここに「学校」そのものを加えた三者の関係性によって、組織的な成熟度が上がっていくと考えている。
地域連携や協働の教育的効果は絶大で、生徒が教師や生徒間以外の関わりを持つことの意義は大変大きい。
当然PTAも然りで、ParentsとTeachersがAssnciationするわけだから、家庭との連携は言わずもがなである。

そのステークホルダーの存在が、我が家にはない。これが、夫の主体性が伸び悩む要因だと考えている。

挙げようと思えばステークホルダーがいないわけではないけれど、本質的な存在かと言われると違うと捉えている。
例えば、祖父母や保育園。
子を気にかけてくれるありがたい存在だ。

だが、ステークホルダーの定義を照らし合わせると、ちょっと違うかなというのが私の見解。

祖父母に関しては、同居であればステークホルダーという枠組みに入るのかもしれないけれど、我が家のように別居の核家族の場合は、サポーターという位置付けがしっくり来る。
利害は特にないし(子育ての考え方や価値観の相違でなどでごくたまに生じるが、持続的ではない)、基本的には応援するというスタンス。
それから、「子のことは、あんたたち夫婦で決めるのよ」という姿勢が祖父母にはあるため、逆に、変に責任や意見を求められても困るという旨の話をされたこともある。
祖父母と孫という適度な距離感が心地よいらしく、必要以上に詰めたり離れたりはしたくないようだ。

保育園に関して言えば、実質的にはステークホルダーの位置付けとも言えるかもしれないけれど、心情的にはステークホルダーではないと捉えたい。
「利害」という言葉を当てはめたくないという私の個人的な気持ちがその所以。

保育士さんたちには感謝しかない。息子の特性を捉え、適切な声掛けや見守りをしてくれている。
さらには、保育園側が、各家庭のステークホルダーにはならないように意図的にしているようにも思える。

例えば、毎年、担任や担当保育者が全シャッフルする点。保育園側の経営方針として、保育士の育成や研修、キャリアなどを鑑みて人員配置をしているのかもしれないけれど、実際は子どもたちへの配慮が窺えてならない。
素人目線だと、1人の保育者が固定化された形態で対象の幼児に関わることが、成長の発達段階に即した適切な保育が出来るのでは?と当初は思っていた。

しかし、さまざまな保育士が分散されながら関わることで、保育の循環がなされ、いろいろな目線でひとりの子をみることができるという趣旨があるんじゃないかと捉えるようになった。
だからそこに、利害なんて考えは浮かばない。
無償の愛を感じる(実際は保育費を払ってますが)。

そのような理由から、我が家にはステークホルダーはいない。

他からの目があれば、「評価されている」という気持ちが自ずと湧き、良いサービスをしたくなるというのがステークホルダーの存在意義の1つでもある。
その存在がなくて、夫婦2人だけの共同経営をしていくという家庭の在り方は、顧客的立場になる我が子への保育の質は、当事者それぞれの意識次第、という見解が私にはあるのだ。

だから私は、ステークホルダーに準ずる存在を夫に見出すことが、子育てへの主体性を高める突破口になるのではないかと仮説を立てた。

方策として、
パパ友をつくることを挙げたい。

飲み友達や昔からの付き合いのある友人がわんさかいる夫。
属するコミュニティも多岐に渡る。
だが、子どもの話を積極的にしていることはない模様。男性特有の人付き合いの在り方なのだろうが。

同じ世代の子を持つ知り合いがいないわけではないので、話のトピックに子育てを加えられる付き合い方ができれば、それが情報共有の場になって、主体性が上がるきっかけになるのではないか。

以前の記事にも書いたが、私は内発的動機づけ信仰が強い。
そのため、イライラを夫にぶつけて子育てを担ってもらったり、出来ないことへ皮肉を言ったり、ペナルティ的に他の家事をやってもらったりなどはできればしたくない。
外発的動機は、いずれ限界が来ると悟っているからだ。

同じ外発でも、懲罰的なマイナスの視点ではなく、お手伝いしたらお小遣いあげるよ制度同様に、「子育てをしてくれたら夫を褒める」みたいなポジティブな外発的動機も個人的には違和感しかない。

夫には感謝しろ、常日頃ありがとうと伝えろ、みたいな取説のフレーズよろしく、妻側の恣意があからさまな手法も好まない(そもそも夫側は、その恣意にさえ気づかないほどの鈍感さがあるが)。

ポイントカード的に、妻からのそのような言葉を「貯めていく」感じを良しとするのも、個人的にはどうにも受け入れがたいのだ。

そもそもこれはベタな方法で、諸先輩方の経験則的にも勝算は確約されているらしい。
だから、つべこべ言わずにこのやり方をすれば良いとする考えももちろんあるだろうが、どうもダメなのだ。そんな価値観の捻くれ様に、自分でもまいっている。

そんなわけで、遠回りかもしれないけれど、内発的に夫のやる気をくすぐる存在が必要!
これが、暫定的仮説。

立証はいつになることやら?という状況だが、私自身がこの取り組みに主体性にならないと始まらないので、まずは情報収集から始めようと思う。

夫の身辺調査、スタート。

5月も下旬です。
新緑が眩しい季節。
爽やかに過ごしましょう。
関東は明日から雨ですが。

では、また!

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