見出し画像

問題は、ダクソをいかに無感情にやるかだったんだな。

ホラーが嫌いだ。映画では避けてきたジャンルだった。京大熊野寮に住んでいるが、入寮したての頃に談話室で見せられた(否、さも被害者ぶるのは良くないっすね。見ました。)『ジェーンドゥの解剖』はめちゃくちゃ怖かった。死体役の女の人がとても美しかっただけに、その薄っすら微笑しているようにも見えるかんばせの鼻からゆっくりと血が垂れるのを見た時には脳がきしむような恐怖を刻み込まれた。
その割にホラーによく触れてきた気もする。
初めて遊んだゲーム(大学に入るまでテレビゲームもゲーム機も持っていなかった)は、これも人に勧められたのだが、『どきどき文芸部!リテラチャークラブ 』とかいう恋愛ゲームに見せかけたホラーゲームだった。おお、という意外な転回がありこれはこれで面白いのだがネタバレは仁義にもとるときつく肝に銘じているためここでは詳細は書きません。

※私は他の談話室民に対し悪気なくアニメなどのネタバレをしてしまいついた異名が「ネタバレポケモン」なのです。その方が効率良いかなって。テヘッ

次の次にやったのが「リトルナイトメア」だった。何が「キャラ可愛いからやってみなって、はまるよ」だ、陰鬱たる死にゲーだった。少なくとも当時ゲーム経験のなかった私にとっては。しかしまあこれも良いゲームでした。子供の頃、布団に入って親が電灯を消すと闇が侵食してきたあの恐怖が可愛らしくもどこか歪んだ絵で表現されている。とにかく影が美しい。

このころになるとアクションゲームにも足先を突っ込み始めた。これもお勧めされて『ゴーストオブツシマ』。これは13世紀対馬に蒙古が襲来し、主人公である侍の仁が蒙古の武将と戦うというストーリーでした。

これはホラーじゃないけど、私にとっては同じ事だった。つまり、理由もなくストレス(特に死の恐怖という)がかかるという点において。
①勧められて恋愛ゲームかと思って始める→転校してきて4人の女の子と主人公が仲良くやってく話かと思いきやホラー化する。
②ゲーム内でストーリーを明確に告げられず、ただ薄暗い船の中を6歳の女の子として必死に逃げ惑い、捕まれば殺される。
③襲来してきた蒙古はこちらを認識すると襲い掛かってくるため戦うしかない。もしこれが自分が大陸に行って蒙古を倒すというストーリーなら、侵略しているのは自分だから襲われても文句は言えないが、なぜこう理不尽に戦わないといけないんだ?まあ被害者でなければ敵を倒すというアクションゲームの正当性を主張できないもんな。
そういうゲームなんですと言ってしまえばそうなのだが、なぜ好き好んで自分の命を危険に曝しに行ってその瀬戸際のひりつきを楽しもうとするのか理解できない。よって私は毎度絶叫しながら逃げ、敵がひるんでいる間にごりおすというプレイスタイルになってしまった。これは恐怖がそうさせるのだ。ゴーストオブツシマでは煙玉や麻痺毒の針、隠密スキルなどいくらでも姑息な手を使った。はたで見ていた談話室民に「サムライジャナイネー」と何度言われたことか。
ゲーム内の仁の叔父にも「それでも侍か、仁!」と軽蔑された。どうしてなんだろう。私はただ死にたくないだけで、怖くても対馬を解放するというゲームの目標=仁の使命は果たそうと汚い手を使ってでも蒙古兵を倒しているではないか。私に示せるぎりぎりの踏みとどまれる線が一般的にみて「汚い」手段といわれるのか…。
ゲームのスタイルは割とプレイヤーの人格と相関すると思っている。つまり、自分は平和な時代に安穏と生きる小市民が似合いで、重大な決断を短期間で迫られるストレス、命を危険に曝すストレス、理由なく危険な世界に放り込まれるストレスに耐えられずバグる。緊張に耐えられずバグって逃げ出し、背中をサクッと刈られる。或いは無謀に突っ込んでいきこれまたグサッと刺される。

これは今ダークソウル3をやっていてほとほと実感した。いつも絶叫しながらコントローラーを親指が白くなるくらい握りしめ、何でもない道中で死に、ボス戦で死に、復活し、数十回に一度の上振れによる勝利を待ってひたすらガチャを引くようにやっていた。
…でもそれじゃダメなんだな。最近バイク教習所に通っているが、バイクが重くて引き起こせない。人を轢き殺さないか怖くて手が震える。アクセルとクラッチを間違えないか気にしすぎて同時に放してしまう。
恐怖は本当にパフォーマンスを下げる。
強大な敵とはゲーム世界におけるボスであるし、現実ならば車やバイク、自然であろう。或いはアニメならばガンダムなどのロボット。
それに対峙し倒してやろうとか、乗りこなせるだろうというような多くの男性にとって無根拠の、だからこそ当然な前提が私には感じられない。多分心身二元論が馴染まないんだろう。どこまでも対峙なんてせずやり過ごせるものはやり過ごしたいと思っている。どこまで腰抜けやねんこのチキンが。ではどうしよう…。
結局、恐怖という感情を押し殺してしまえば良いのだと気づいた。怖いだとか平和でいたいだとかの感情をそぎ落とし、冷静になれば無駄な動きはなくなる。「勝てるように設計されているはず」という余裕は、ゲームに対し不誠実だと思うから持ちたくない。さりとて恐怖に振り回されていてはいつまでも死に続けるだろう。だからそのように思う感情自体を消せばよい。

そう思って戦ったらずっと倒せなかったボスを倒せました。どうやら正しそう。今後は実生活でも心がけようと思いました。ちゃんちゃん。
                             【終わり】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?