日本人も知らない温かい日本語
本を読むのが好きだった。でも、眼精疲労の悪化につき、すぐに読める漫画や、コミックエッセイばかり読んでいた時期がある。
話は変わるが、日本語には、敬語としての「お疲れ様でした」という言葉がある。
これは余談だが、韓国語にもほぼ同じような意味の言葉があるらしい。
一時期、インターネット界隈で話題になったものがある。
お疲れ様というのは目上の者(上司、師範など)が目下の者(部下、生徒など)に使う言葉である。なので、もう世間一般的に、職場から帰るときなとに部下が上司に「お疲れ様です」と挨拶するのは、おかしいという。
元々そういう使い方が正しかったらしいが、今となっては、そんなことを気にしている人はいない。
だが、今のネットのその話題を見ると、お疲れ様や失礼しますなど、挨拶ができない人が増えたことに危惧を感じている人や、やはりお疲れ様は部下は上司に使ってはいけないと主張する人もいる。
美しい日本語というのは、日々を生きているだけでは、なかなか身につかないものだ。もちろん、お嬢様、お坊っちゃまでない限り。
私は、「日本人の知らない日本語」という、ユーモラスでとても読みやすいコミックエッセイを読んだ。
私が読んでいた頃は、3巻までしか出ていなかったが、今は 4巻目が出ているらしい。
これは、日本人の先生が、日本で日本語学校に通う生徒たちと、笑いあり、ほっこりしたエピソードもありの、とても素敵なコミックエッセイだ。
この本の中で、日本人の先生が、生花を習いに行ったときの話が出てくる。
その先生は、いつもは〈先生〉という立場にあるが、そのときは〈生徒〉という立場になる。
そして日本語学校の先生は、日本語について気にする。
『目上の方に「お疲れ様です」を使ってはいけないのなら、なにか他に目上の方に使える言葉があるはす』
日本語学校の先生はそう思って、生花の先生に、そのことを聞いてみたのである。
すると、帰ってきた返事は、
『お疲れの出ませんように』
であった。なんと相手を気遣った美しい日本語だろう。
それを読んで以来私は、使う機会があるのかないのかわからない、
『お疲れの出ませんように』をいつでも使えるよう脳内へしまっておいた。
それからしばらくのこと。
私は用事があり、目上の方が沢山いる場所に行き、物をもらって帰ってくることになった。
ほぼ初めて行く場所だ。緊張していた。
だが、その時になると、緊張もあったが何事もなかった。
目上の方に指定のものをもらって、無事帰るために、靴紐を結び直していた。
そうすると、目上の方が2人、お見送りに出て来ていただいて、そのうちの一人が、私にこういったのだ。
「今日は寒いから気をつけてお帰り下さいね。お疲れの出ませんように」
帰りは、自転車だった。
ポロポロ溢れる涙を、拭うこともせず、私はただ、胸のきゅうとしたような感情を、涙で洗い流していた。
私は、対等な、人間なんだ。
蔑まれるわけでも、適当にに扱われることもない、ただ一人の人間なんだ。
明らかに立場的にも、年齢的にも年上の方に、『お疲れの出ませんように』と言われて、その気遣いに、その知恵の深さに、人を大切にしている心が、わかったのだ。
ただただ、あまりに感動して、嬉しくて、今までの人生で人権のない扱いを受けてきたことが、ほんの少しだけでも報われた気がして、私は涙をぬぐった。
その目上の方が沢山いる場所には、今も時々通っている。
人権を尊重し、見た目や年齢、性別で決めつけず、みんなが平等でいられる場所。
皆が人にやさしく、積極的に助け合おうとする。わかり合おうとする。そんな場所だ。
私は、『お疲れの出ませんように』と自分に声をかけてもらったそのエピソードが、その場所の象徴だと思う。
その時の気持ちと感動と美しい日本語を、きっといつまでも忘れられないだろう。
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