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住教育に学ぶ自由な家づくり

住教育とは?

住教育って知ってますか?読みはそのまま「じゅうきょういく」。でも、聞き慣れない言葉ですよね。

住教育とは

「住む」ことは、人と人、人ともの・こと、人と空間、人と環境など、さまざまな関わりの中で成り立っています。住教育では、そういった関わりを学び、考え、実践することで、社会の中で多様な価値観と出会いながら、自らの住生活を創造し、夢や希望を実現していく力をつけることをめざします。

住まいや暮らしの教育パンフレットより

と、あります。この中で特に注目すべきは「自らの住生活を創造し、夢や希望を実現させていく力をつける」というところ。

なんかここの一文だけで僕はズキズキワクワクしました。

さらに、「さまざまな関わりの中で」や「社会の中で多様な価値観と出会う」など、私たちが現代社会を生きていく上で非常に大切なことを示してくれていると思うのです。

実はこの住教育という活動、住生活基本法という法律の中で設けられたもの。同法では「豊かな住生活」の実現をうたっておりそれを実現するには、幼児期から高齢期まで、住まいや暮らしについて自ら考え学ぶことが必要不可欠だろうと言っています。

ただ困ったことに、住教育という言葉自体まだまだ知られていないのが実情です。そこで、この記事では住教育という言葉だけでなく、*家づくりを通して感覚的に概念をお伝えできたらと考えています。
*本来の住教育は家づくりの事だけでない。

暮らすという言葉

「暮らす」と似た言葉で「住む」という言葉があります。この二つの言葉、感覚的には違うと感じますよね、では実際どんな違いがあるのでしょう。

「暮らす」が日単位で時を送り過ごす行為で、一時的な生活の場としてや、本居とは別の場所での臨時の生活でも構わないのに対し、「住む」はあくまでその人(や動物)の生活行為の場として一定の居所を定め、そこに身を置く行為。

「生活 (生活する)と暮らし(暮らす)」の意味分析|藤田勝良より

 「くらしを改善する」は、おもに経済状態がもっとよくなるのにともなって衣食住の質や量がよくなることで、「生活を改善する」は、たとえば和式を洋式にきりかえたり、合理化したりすることをさす

「生活 (生活する)と「暮ら(暮らす)」の意味分析|藤田勝良より

ここにある解説を見ると、家づくりという行為の中では「住む」という言葉よりも「暮らす」という言葉を意識した方がいいように感じませんか?

「どんな家に住みたいか」と「どう暮らしたいか」

家づくりを始めると大体こんな問いが浮かんでくると思います。ここまで読まれた方はもうピンときてるはず。

どんな家に住みたいか?の問いであれば「キューブ型の家」「リビングが広い家」「耐震性能や断熱性能がいい家」「子供が育てやすい家」・・・となりそうですね。

一方、どう暮らしたい?の問いの場合はどうでしょう。先出のそれぞれの答えに「なぜ」を付け加えてみるとそれがわかると思います。

  • キューブ型の家(なぜキューブ型の家?)=スタイリッシュで自分たちの趣味にあった暮らしをしたい

  • リビングが広い家(なぜリビングが広い家?)=家族がゆっくり心地よく暮らしたいから

  • 性能がいい家(なぜ性能がいい家?)=家族の安心安全を守る暮らしをしたいから

  • 子育てがしやすい家(なぜ子育てがしやすい家?)=子供の成長を感じる暮らしをしたいから

という感じで、暮らしぶりがイメージできるようになります。似たような言葉ですが、どちらを自分たちの問いにするかで、選択肢の幅が全く違ったものになるのです。

選択肢の幅を広げ、そして自ら選び決断する力

例えば、先にあった「リビングが広い家が欲しい」と「性能がいい家が欲しい」という内容で家づくりを始めた場合どうなるでしょう。

どちらも住宅会社を選ぶときに「広いリビングを作ったことのある会社」とか「耐震等級3やUa値0.5以下の実績がある会社」や、それぞれを謳っている会社を探すことになると思います。

しかし、この選び方では選択肢の幅は広がりません。家づくりは複合的な判断が至る所(タイミング)で必要になってきます。

上記希望はもちろん叶えるとしても、予算や間取りなど暮らす(暮らし)に直結する部分が抜け落ちてしまうのです。

ではどうしたらいいのか?もうお分かりだと思いますが、自分たちの問いを「どう暮らしたいか」に置き換えるのです。そうすると家づくりをお願いする会社を探す方法や、集める情報もより本質的なものになっていくはずです。

その集めた情報から、自分たちの暮らしにあう相手を選択する。選択するためにはそれぞれに知識も必要ですが、その知識はいくらでもネットに転がっています。

要は、知識だけ集めるのではなく、本質的な「どんな暮らし」がしたいかを家族全員で共有し、その根幹を常に意識しておく事が大切なのです。

当然、その「どんな暮らし」がしたいかは、相手の住宅会社(設計事務所や工務店ほかあると思います)への共有も必要です。専門家の立場から、その暮らしに対してアドバイスや提案がもらえる*はずですから。
*「はず」というのはその情報を共有していたのに全く反映されないのは良くない状態。

そして、選択したからにはその選択に対して責任が必要です。もし、家づくりが進んでいった時に、自分の考えていたものと違った場合どうするか?

「これは違う、全部取り替えてくれ!」などと*クレーム(コンプレイン)を簡単に発しないこと。

理由は、そのクレームでは本質(いい家を作る)の改善には繋がらず、お互いの関係性を悪くし、ハッピーにならない可能性があるから。

*本来のクレームの意味は↓普段目にするクレームとはずいぶんイメージが違う。この違いも知っといた方がgood!

クレーム(claim)=法的に被った損害の主張・直接的な損害を被った場合の請求、コンプレ(complain)=感情的な不平や不満の苦情、といったところだろうか。すなわちクレームには法律的な根拠があり要求(請求)する内容も法的なもの、コンプレは単なる苦情や不平、不満が本来の意味と解することができる。

「クレーム=苦情じゃない? その言葉、合っていますか」より

なぜそこで意見の相違が起きたのか、その食い違いはリカバリーできないのか?そのリカバリーに対する費用負担を全て相手に求めるのではなく、自らも責任(契約当事者)者あることを自覚認識し、同じ目標である「いい家をつくる」を目指していく。当然、住宅会社も振り返りが必要です。

記事公開の翌日、2024年2月13日9:30
今回のこの記事を読んで頂いた方からコメントが届きました!

古市さんのこだわりの部分かもしれないけど、クレームのくだりの所については、敢えてクレームと言う言葉を文書に入れずに、「暮らす」は施主・委託会社(工務店や設計事務所)・作り手(職人)の3者でそれぞれが意思を伝えて、責任を持って作り上げていく。委託会社や職人をやる気にさせたり、想いを持って現場に入ってもらうためには、施主としての役割(思いやりや気遣い)も必要・・・的な表現に変えても良いのかなっとは思いました。

めちゃくちゃ嬉しい、こんなに真剣に捉えてくれたこと。

ありがたい限りです。確かに、ここで書いてるクレームのことを一般の方が読まれると「素人はクレームを言うな、俺たちに任せとけばいいんだよ!」って言ってるように受け取られる可能性もありますね。

そういった目線で、もう一度今回の記事を読み返してみました。そして読み返してみて再認できたのが「不要なコンプレインの出現を防ぎたい」という思いでした。

現代の家づくり系SNSでは、このコンプレイン(感情的な不平や不満)がたくさん噴出しています。その多くは、施主と作り手とのミスマッチや認識の違いであり、勿体無いなぁと常々感じていました。

この勿体無いをなくすために、この住教育はすごく効果的だし、その学びの中で「クレームやコンプレインに発展することもあるんだ」「お客さんたちに我々の常識は通用しないんだ」などなど、お互いが事前に見ておくことにも意味があるのではと考えました。

ということで、あえて今回の記事への修正は加えず、いただいたコメントを追記することで、より広い目線での記事構成になったのではと思います。コメントをくださったM田さん、本当にありがとうございます!

僕の考える住教育でいえば、家づくりはある意味「自分たちの家」という主観から「いい家」という客観的な目線を持った方がいいようにも思います。

いい家を作るためのチームとして、自分たちと住宅会社を捉え、もう一人の自分はその2者が実行しているプロジェクト(自分たちの家つくり)をマネジメントしている存在である。つまり、3者での家づくりという事です。

俯瞰する意識

いかがでしょうか、家づくりの話と言いながらも家づくりそのものの話ではなく、もっと広い目線で書いてきました。自由な家づくりとは自ら選択し、そして判断できる家づくりだと思います。

ただ、選択や判断には多くの知識も必要ですが、全体を俯瞰できる感覚も必要です。その感覚さえあれば、知識は先にも書いた通りネットに転がっているし、専門家への相談の仕方(良質な質問には良質な回答が返ってくる)も変わってくるはずです。

この住教育の話、決して家づくりだけの話ではありませんが、少しでもこの言葉や概念が広がっていき、みんなの自由な暮らしにつながればと願っています。

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