日記2020.0323~0329

新年度を迎える前になぜだか日記を始めようと思いました。手書きで残す日記は自分の字が汚く思えてあまり好きではなくて、じゃあデジタル化して残そうと思いました。でも、社会人になると、同じではないんだけど日々代わり映えのしないような1日を毎日過ごしているかのように、考えるひまもなく毎日が終わってしまいますよね。少なくても私はそうです。振り返る余裕なんてなかったから。それは紙一重で、甘えでもあるのです。そんな日々を終わらせたくて、変えたくて、思いつかない日があっても良いから少しづつ残していこう、考えていこう、と思いました。

と、思ってから、考えようと思いながら初めて過ごした一週間はやっぱり難しいものでした。そんななかで浮かんだこと。

01.『悩みある?という質問』

悩みがないわけじゃないんだけど、毎日が目まぐるしくて立ち止まって考える余裕が少しなくて、とりあえず目の前に用意されたとっておきの今日を精一杯生きることに必死で

私が所属している会社は月に一回、評価面談とは別で、1on1という仕事のことでもプライベートのことでもなんでも話していい時間が設けられています。

夏から秋にかけては、探してもありやしない素敵な社会人像を追い求めて一人で変に悩んでいました。社会人って?大人って?立派に過ごすには?そんなわからないことが頭のキャパを占領して、自分の短所でもある変に真面目なところが露呈していました。自分の気持ちを伝えようとするといつも涙が出てきてしまって、出てくるな!って思っても他人が気付いてしまうくらいには瞳に滲んでしまって、本当にそんな自分が嫌で。せっかくの自分でいられる可能性のある時間がいつも泣いてばかりで、このままじゃこの時間が嫌いになりそう、自分のこともいよいよ本当に嫌いになって傷付けてしまいそう、ってそんな気持ちでいっぱいになってしまって、苦しかったです。それが二ヶ月前までの心境。

もう1on1嫌だなあって億劫になりながら迎えた一ヶ月前の1on1は部長の粋な計らいでランチになりました。内心ほっとした私。逃げているのでしょうか。わからない。

面談でも度々出てしまうのですが、分からない、という言葉。あまり使いたくないけど、分からない、言葉にできない、頭で考えても真っ白なまま。

今月の面談が本題の通り。明日、面談かぁと思ってもこれ言いたいなとか思いつくものもなくいつもその時間を迎えます。そして、アイスブレイクが済んで出てきた「最近はどう、悩みある?」きたー。どうしよう、そして私の口から出てきた言葉は上の通り。「悩みがないわけじゃないけど毎日が忙しくて一生懸命で考える暇もなくてちょっとよくわからない。でもうわーってなるほどめちゃめちゃモヤモヤしているわけではないです。」ああ、またわからないって使っちゃった。でもこの言葉が真実。伝えたい単語は含まれている。「悩みがないわけじゃない」「考える余裕がない」「追い込まれすぎている訳ではない」「わからない」そしたら一応1時間用意されている時間が20分で終わってしまいました。

お世話になっている美容師さんにこの気持ちをシャンプー中ののんびりした時間に説明したら、一言、「小田和正だね」って。なんだかこういう言い回しが男性的でちょっとだけスッとしました。

ある人にもこの面談について話したら、真意を引き釣り出せない部長も悪いけど、せっかくあるそういう時間をもっと大切に有効的に使ったほうがいいよって知人に言われたという会話が広がりました。互いの意図や言わんとすることもわかるなーと感じました。

私が今回の面談で自分自身に感じた違和感がひとつ。本当に何も浮かんでこなかったのか、何か言いたかったことはなかったのか、これで終わりで良かったのか、泣くのを恐れてブレーキをかけていたのではないか、ということ。これこそわからないです。自分の気持ちのあり方が本当なのかもわからないです。判断材料がないから。もし、これが以前の何もかも嫌いになってしまいそうという気持ちからきた結果なら、よろしくない状況だなと。もう少し自分と向き合うことが必要かもしれないです。向き合うだけではなく、時に叱って時に守ってあげること。

面談中にセミナー興味ある?という会話もありました。チラシを見せてもらってなるほど、、、このセミナーはあの先輩が以前行っていたな、、その瞬間とてつもなく上司に冷めてしまいました。なぜこのセミナーを私に進めるのだろう、これじゃあなたの弱いところはここだから行ってみたら、と暗に言われているようで。私は今はいいです、と断りました。行けてもこのご時世の状況的に5月だけど。とは言われていたのにも関わらず逃げました。目を背けたんだと思います。これが、できる人 と できない人 の境目なのだろうと考え込みました。

チャンスは与えられるものではなく自分で掴むものだ

そんな高校の恩師の言葉がずっと心の中にあります。私はこの時、せっかくのチャンスを掴まなかったのではないかと思います。それでも、私が目指したものは別の道であるから、踏まなくていい道もあると勝手に可能性を潰しているのかもしれません。余裕がないって本当なんですか。そう言って楽したいだけじゃないんですか。今進むべき道がわかりません。進むべき道なんてないのはわかっているのにそればかりに固執して、進んでもいい道 に進まない臆病者になってしまっているのではないかと思います。

いつもアクションを起こせる私を尊敬してる、と言ってくれる友人がいます。それは本当に本当の私なのでしょうか。自分の気持ちに正直なったら、その分、後悔のないように全力になりたい。情熱をまた抱きたい。明日から、抱こう。また再スタート。今週から新年度が始まります。勝負の年は終わってしまったように思えるけど新しい季節が始まります。私は輝きたいです。

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