見出し画像

「DX成功の鍵:不可欠な三層スキーマ思考」

noteのギャラリーに三層という言葉にあう絵がなかったので、写真は山荘ですが、三層というのは、データベース設計における概念層/論理層/物理層という三層スキーマということで出てくるので、ITのエンジニアの方ならよく聞いた言葉であろうと思います。
しかし三層スキーマは、データベース設計における専門用語ではなく、データベース設計が利用した一般的な概念です。

大学の講義で初めて触れた三層スキーマ

大学1年の必修の講義で厳しく煩いので決して人気はなかった教授がいつも言っていた言葉が今もずっと残っています。
「大学は理論と思想を学ぶところであり、手法を学ぶところではない。手法を学びたければ、専門学校に行きなさい。手法は理論があって初めて成り立つものであり、思想のない理論は理論とは言わない。ただの屁理屈だ。そして、思想を学ぶ学問は哲学である。だから哲学は学問の最高峰と言える。」
これが三層スキーマ(思想と理論と手法)に触れた、人生で初めての瞬間でした。
私はこの時に、大学に入って学ぶべきことがこれで学べたと思い込んだくらいでしたので、遊びたいだけの18歳なりに何かが刺さるものがあったんでしょう。

なぜか理屈や論理を嫌う日本人

結局、会社に入ってからも、皆、職場でも居酒屋でも、人生論や仕事論、事業論、ゴルフ論やゴルフ道、つまり思想や概念のレイヤーを語る人は山ほどいるのに、様々な私の何故、つまり理論や論理のレイヤーでの疑問に答えてくれる人はほとんどいません。手順や手続きは親切に教えてくれますが、その理由に至った瞬間に「そんなことはどうでもいいことだ。」と話題を拒絶するか、「さぁ〜、なんでだろうね?変だね!」でお終いです。

一方、私は、昔から、意味のわからないことを意味のわからないまま何かやるのは、作業自体も趣意からズレて手戻りややり直しになってしまう恐れもあるし、むしろ効率が悪いと考えていたので、所管部門に手続きの趣旨や理由を尋ね、それで分かったことは、同僚の方々に共有するようにしていましたが、「へぇ〜」で終わりで、聞いちゃいません。
まあ、そんな理屈や論理を避けたがる人達との溝が埋まることはなく、仕方ないので目的や基本思想を確認したら、理屈や論理をほとんどすっ飛ばして、実践論をベースにコミュニケーションするようにしてきました。そうでないと面倒臭いやつって言われるだけだからです。

今まではそれで何とかなっていたのかも知れませんが、これからのDXの時代は、企業間の競争や国際競争はまさに理屈や論理空間での話になってくるわけです。これからは理屈嫌いや論理を避けては通れないので、本当に何とかしないといけません。

問題分析時に必ず出てくる特定の人物

かつてコンサルタントとして各社各様のテーマに従事していた頃も含め、職務上、現状の問題を分析して解決可能かつ解決すべき原因を特定し、課題設定することが多いのですが、必ずと言っていいほど特定の人物が根源的な問題として出現します。確かに、その人(たち)が真っ当な判断をしなかったり、手を打たなかったことは大きな禍根となって今に至っているのでしょうが、そもそもそんな真っ当とは言えない判断を防ぐ仕組み(メカニズム)が何故なかったのか?何故機能しなかったのか?に思考を巡らせたいわけです。

誰かのせいにしている人たちが多い組織は、結局は、その人たちが次の新しい禍根を生み出す存在になるのです。

結局、企業が成長していく過程で人治企業から法治企業にしっかりとシフトできる企業が壁を越えていけるし、とびきり優秀でなくともトップが務まる組織力を持てるわけです。
そしてさらにDXによってデータ治企業に変革し、メカニズムで企業を治めていくことで、さらなる壁を越えて行こうということなのです。

少なくとも、オーナーなどトップの思想と従業員の実践だけで、その間に必要な理屈や論理を人治で埋めているような企業は、一定以上の規模にはなれないし、これからのDXの時代を生き残っていくためには、企業規模を縮小しないといけないかもしれません。

理屈や論理を嫌う理由

  1. 危険回避
    話がシャープになって誰かを否定的に扱ってしまうことがあるから

  2. 自己保身
    思想や理想を語ることで、改善は面倒だからしたくないけど、自分は分かっているんだとアピールしたい。しかし、理論や理屈になると、やらなければならなくなるし、やらない自分が責められている気分になるから。

  3. 自己防衛
    理屈っぽいと嫌われるから。

  4. 面倒回避
    理論や理屈はよくわからないし面倒臭いから。思想や理想は綺麗事言っておけば済む

  5. 経験主義
    農業も手工業も積み重ねてきた経験が全てであり、その名残が文化として色濃く残っているから

5つばかし上げてみましたが、やっぱり、5の経験第一文化なんでしょうかねぇ〜。企業でもOJT中心ですし、Off-JTは歩留まりが悪いと言われることが多い。学んできて実践しようとしても周囲に理解されずに実践に移せないことが多く、そのまま身につかないことからでしょう。なので、学んだとか学ばせたというアリバイに使われるだけとも言えます。
講師は結構必死ですし、参加者もその時は結構真剣なんですけどね。

よく文系の経営者が…とか言う人がいますが、理系の経営者だったら理論や理屈を大切にしますかね?全く無関係とは思いませんが、そんな問題ではないと思います。

例えば、理系出身のゴルファーが理論を追求して実践に活かそうとするかというと、簡単な物理は理系なら学んでいるはずなのに、応用しようとする人は本当に数が少ないですよ。残念ながら学校で学んだことと実生活は完全にオフラインなのでしょう。

理論理屈の重要性

概念層/論理層/物理層の三層スキーマにおける物理層にある実生活、仕事で言えば業務手続きや作業は、取り巻く条件の変化によって変わりますが、論理層にある理論理屈が変わることはありません。KPIや何かのデータをモニタリングしてマネジメントサイクルを回していくにしても、理論理屈抜きでのKPI設定はできませんし、意味がありません。次のアクションに繋がらないからです。

モニタリング対象であり、KPIの元となるデータは論理空間上に存在して、物理空間の実務を投影するものです。理論理屈抜きではデータの1つもまともに定義できないし、まともに定義されていないデータは大きなミスリードを引き起こし、むしろ問題を招くことをしっかり理解しましょう。

理屈やメカニズムにもっと関心を持たないと、いつまでも人治や法治のふりした人治から脱却できず、心理的安全性は低いままで、創造性を高めることもできません。

嫌いじゃ済まされないのです。

#DX
#デジタルトランスフォーメーション

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?