「メンタリティ更新でやめたコト:人を値踏みする」
ご機嫌に暮らすためには精神的平穏や程よい満足感やたまの喜びや、未来への希望が欠かせないのは言うまでもありません。
しかし、実際にその状態を確保するためには何が必要なのか?また、その状態を邪魔するものや脅かすものは何か?を突き止めないとご機嫌は得られないと思います。
やめたコト5つ
色々と考えた結果、その答えは自分自身にありました。簡単ではなかったですが、ご機嫌に暮らすために必要だったメンタリティの更新でやめたコトを5つ古い順にご紹介します。
感謝を求める事
人と比べる事
人を値踏みする事
過去を正当化する事
人を諦める事
感謝を求める事
人と比べる事
過去を正当化する事
人を諦める事
人を値踏みする事
小学校5年生の時から人と比べるのをやめたのですが、周囲は寄ってたかって比べてきます。テストの点数から座高に至るまで、数値で測れるものだけでなく、何かが上手とか下手とかまで何から何まで、いつもいつまでも。
自分の方が優位だと、賞賛されるだけならまだしも、羨ましがられ、妬まれ、下手すると恨まれ、面倒なだけで何ひとついいことがありません。劣位だと、場合によっては蔑まれ、馬鹿にされ、気分のいいものではありません。
中学校に上がってからは、その傾向が更に強くなってきたので、妬んだり蔑んだりする面倒な人間を見極めて区別し、付き合い方を変えようと考え、人間を分析するようになりました。星座に血液型に人相や手相、はたまたボディーランゲージから簡単な心理学まで導入し、自分なりに統合したプロファイリングもどきの手法での分析です。
そして、このオリジナルプロファイリングはもはや無意識化し、就職後も続きましたが、容赦なく新しい出会いが降り注ぎ、もはや管理不能になったある日、気づいたんです。
プロファイリングの精度やスピードアップが必要とかの問題じゃない。プロファイリングの結果でその人に対する自分自身の振る舞い方を変えるなんてこと自体が問題なのだ。そもそも、
「自分で自分の主体性を殺しているようなものだ」と。
「結局、大多数の面倒な人から自分を守るための鎧を纏い自分を規制するなど、なんて馬鹿げたことをしていたんだ」と。
「しかも、自分の認識の範囲外にいる人は測れないのに、測ってわかった気になる可能性が高い。自身の成長機会を自ら捨ててしまうばかりか、そもそも失礼極まりない。」と。
誰に羨ましがられようが、妬まれようが、まあ、恨まれるのは嫌ですが、蔑まれようが、馬鹿にされようが、どうでもいい。人の道をはずれては元も子もありませんが、ありのままにありたいように生きるが一番。
気分は「矢吹丈のノーガード戦法」でした。
もちろん、自分の暮らす社会は、誰かの身勝手で適当な物差しでの優劣に支配され、自らの身勝手な物差しで都合よく判定した優劣で心をざわつかせてしまうような人たちが大多数の社会ですので、社会との折り合いはつけないといけませんけど、プロファイリング、つまり、人を値踏みするのはやめました。
値踏みは無意識化していたので、反応のようにしばらく続きましたが、いつの間にかやらなくなり、心はスッキリとシンプルになりました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?