「私の中心/コア:成長」
7月からnoteに記事を書き続けて来た過程で自覚した、自分の中で大切にしている3つのこと、自立と理屈と成長の一つである「成長」について、過去記事も参照しながら、少し掘ってみようと思います。
連続または非連続の継続的成長
私が大切にしている根っこの一つである成長。それは、より良い自分であるための連続または非連続の継続的成長を意味しています。
そして、それは、私の存在意義である、少しでもより良い社会の実現に向けて貢献できるよう、個人としての価値発揮能力を高めることであり、精神的成熟を前提とした場合、自立状態のもう一方の要素である未来に対する責任を全うするためであり、私の、人としての唯一の誇りの対象でもあります。
連続成長
精神的成熟の条件の1つである縦の弱みを克服することで、学び思考し行動し、心身ともに自分を常にアップデートすることを可能にし、同じく条件の1つである横の弱みを克服することで、学びの偏りを最小限にとどめ、自分を見失うことなく思考し行動することが可能になります。
そして、常により良い自分である為に様々な要素においてのベストを追求するとともに、日々発生する問題に正面から対峙し、決して先送りすることなく極力根本解決を図ることで、問題の再発を抑制/防止することを意識しています。
いまや、肉体的には放っておけば日々衰えるわけですが、食事や運動や休養のベストミックスを追求して劣化を遅らせる。あわよくば進化させる。
例えば、間違った認識が正され、姿勢を整えて歩く走ることで、より均整のとれた肉体を獲得し、不均衡による痛みが解消するのは、生きる意欲を高め、ともすれば失いがちな未来への希望が生まれます。
非連続成長
一方、自己認識の延長線上にある連続成長だけでは、成長性に偏りと限界があります。
人は生まれた時から獲得してきた知識(含む経験)によって思考し行動しますので、そもそも私たちは皆偏っているわけです。間違った知識に基づく生活様式や行動でもとりたてて問題が起こるわけではないので、間違いに気づかないまま生きている事も多々あるでしょう。しかし、そのなかには重大な間違いが潜み、大きな損失を垂れ流している可能性もあるのです。
酷いギックリ腰の原因が、自らがゴルフが上手くなるために骨盤を前傾させた動きを習慣づけた事にあったというのは、自分だけで気づく事はできませんでした。
自分を客観視してセルフコントロールするメタ認知は、人が人としてあるために当たり前の事ですが、同時に客観視自体が客観でないという自己認識の壁の存在をしっかり理解する必要があります。
私たちは学校教育や家庭内での躾や会社での業務や研修などで、ある程度強制的に集団共通で知識を与えられますが、歩留まりは限定的で、印象に残った事や覚えておきたいことしか残りませんし、基本的には自分の周りの事象事物の極々一部のみを認識しているに過ぎず、知識として蓄積されるのはさらに極々一部のみです。しかも認識したい事だけを認識しますから、極めて偏っていると自覚した方がいいわけです。
そして、偏った認識に基づく思考と判断で生きる危うさを回避するとともに、より良い自分であるためには、自己認識の壁を越え、非連続の成長を続けていく必要があるわけです。
例えば、自己啓発で学習しようと選ぶセミナーやカリキュラムも本も偏った自己認識に基づいた選択であり、真の意味で壁を越える事はできません。そして壁を越えないと、非連続成長は期待できません。
やはり、全く考え方の異なる人との付き合いを大事にする。本屋の推薦図書を必ず読む。など、自分の嗜好や意思を反映しないインプットの仕組みを構築することで少しでも自己認識の壁を越える機会、非連続成長のトリガーを仕込んでおきたいものです。
自分が希望したわけでもない、職場への異動も非連続成長のトリガーになりうると言えるでしょう。
ある日突然データ分析のトレーニングを受けるよう指示されるとか、コンサルタントにさせられて、インフォメーションエンジニアリングの方法論を学ぶことになって、脳内構造が大きく変わるなどと言うのは、まさに非連続の成長と言えます。
それまで意識したこともなかったnoteを始めたキッカケも自発的なものでなく、人からの勧めです。そして言われたままに毎日のように書き続けた結果、自分が大切にしている3つの事に気づいたのも、内発的内容でありながらも、少しタイムラグのある非連続の成長だったとも言えると思います。
命が尽きる最後の瞬間まで
いつか必ず訪れる最後の瞬間まで、老化に抗い、学び思考し行動して人として成長し続けたいと思っています。そう思えている時間をできるだけ長くしたいという表現の方が適切でしょうか。
理屈なくして成長なし/自立なくして成長なし
様々な学びや行動から新しい知識を習得するとともに知識をアップデートし、論理空間上に展開してミッシングリンクを確認するなど思考を巡らせて、仮説を立て、行動に反映し、その結果で知識をアップデートする。その成長マネジメントサイクルの中心にあるのが論理空間上に展開される理屈です。
そして、成長なくして自立なしであると同時に、自立性が何等か損なわれている、何等か質の悪い依存をしている状態では、自分で自分の成長の足を引っ張ることになります。つまり、私にとっての成長とは、自立性を高めることでもあるのです。
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