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「安心の柵(しがらみ)で国が滅んでいく」

思いやり

思いやりには、特定の人に対するものであれ、不特定多数の集団に対するものであれ、あくまでも、その言動は、思いやる側の主観に基づくものです。そして、その言動を思いやりと思うかどうかは、受け手個人の主観に基づきます。つまり、言うまでもありませんが、その言動が、思いやりとして意識したものであろうがあるまいが、思いやりとして受け手に届くかどうかは、受け手次第ということです。
少なくとも思いやりの押し売りだけはやめましょう。ただの余計なお世話にすぎません。

安心

安心は不安の逆で、何をもって不安を感じることなく安心となるかは、人それぞれで全く違います。さらに、その時々の体調、自覚できる体調と自覚できない体調によっても異なります。したがって、よく「お客様の安心安全」などという言葉を聞きますが、実にいい加減な言葉だということが言えるでしょう。一体何をもって安心を保証しようとしているんでしょう?

安心最優先の行き着く先

受け手次第の事柄において、なんかあったらどうするんだ、例えば批判をされたらどうすんだと不安を感じてしまい、安心を得るための選択をし、多くの場合には何もしないという選択をしてしまう。そしてもちろん、選択する人の安心もその人固有のものです。
その、極めて個々の人によって感じ方が異なる不安や恐怖に基づいた安心を第一に考えて行動するということ、つまり安心最優先は、人との距離を心理的にも物理的にも十分確保し、不安や恐怖を与えないと同時に、自分自身も不安と恐怖を感じないようにすることになります。
そして、対人関係でのストレスをどこまでも避けようとすることで、ストレス耐性はどんどん低下し、益々心理的物理的距離をとることになるでしょう。同時に孤独感を募らせることにもなるので、そのジレンマに耐えられなくなるか、あるいは特定の慣れ親しんでるけど決して深く入り込むことも入らせることもしない人間関係の壁の中に閉じこもって、表面的に美辞麗句で慰め合う引きこもり小集団となってしまうでしょう。

青信号で渡らない人たち

「なんかあったらどうするんだ」というセリフを何回耳にしたことでしょう?「なんかって何?」と聞いてもいつもぼんやりとして、議論は進展しないために、組織行動にならず、やむなく分断させてでも、表向きは組織全体に見えてもただやりたくない人たちを抵抗勢力として抱えたまま行動せざるを得なくなってしまいます。分断を嫌がると、「なんかあったらどうするんだ」集団に従うことになり、個人としては成長機会を失い、企業などの組織としては何もしないリスクが日々大きくなります。
分断させてでも行動することができれば、まだマシかも知れませんが、組織力は半減以下となります。

ガラパゴスはITだけじゃない

日本は、個々の技術分野はわかりませんが、全体としては本当に遅れています。

  • 戦争に負け、実質的国家主権を失って80年

  • コンピュータサイエンスの基本の’き’に気づかないままの40年

  • 緊縮財政と増税で経済成長を捨てて30年

  • 超円高で海外に生産拠点が移って空洞化が進んで20年

  • 震災で不安を刺激され、同調依存が強くなって10年

  • コロナ騒動で不安に加えて恐怖を植え付けられて安心最優先となって3年

このままの延長で明るい未来はありますか?
安心を求め合って柵を作り、もはや雁字搦めになってしまっていませんか?
私は諦めてはいませんが、かなり深刻に受け止めています。

自分の身は自分でしっかり守りましょう。

安心はしっかり求めてください。しかし、自分の安心を人に求める(不安を押し付ける)のは間違っています。自分の身は自分でしっかり守って安心を獲得してください。

  • 病気や怪我の治療、根治や予防

  • 栄養・運動・休養のそれぞれの質の向上とベストバランスの追求

  • 知識習得・スキル習得・スキルアップ

  • 家族関係、友人関係の充実

あたりまえのことからしっかりやっていきましょう。日々の努力の積み重ね以外で得る安心はまやかしです。

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