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「私の中心/コア:理屈」

7月からnoteに記事を書き続けて来た過程で自覚した、自分の中で大切にしている3つのこと、自立と理屈と成長の一つである「理屈」について、過去記事も参照しながら、少し掘ってみようと思います。

理屈:論理空間での構造とメカニズム

私の根っことして大切であることの一つである理屈。それは、私にとって、できうるかぎり真の「自立」状態を獲得/維持しながら、継続的「成長」を常に意識した生きる理由やそれらの関連要素など、ありとあらゆるものが(を)構造化され(し)メカニズムとして繋がっている(げようとする)ことです。

もちろん、ぼんやりしていたり、ミッシングリンクとなっていたところが、学習や実験などによって構造とメカニズムがアップデートされたり、新しいメカニズムが加わって、脳内クロスリファレンスの充実度が向上することは、「成長」を意識する対象でもあります。

また、「成長」によって、物事の優先順位が変わり、メカニズムがショートカットされたり、複数のメカニズムが一つに統合化されることもあり、常にその可能性を探しているとも言えます。

一般性/一般解の追求

屁理屈こねる子

父親の転勤で2つの幼稚園に5つの小学校に通い、卒業と同時に引っ越しをして異なる地域の中学校に入学したことも人格形成には大きく影響したと思いますが、物心ついたころから、どんなことにも理由を求め、親や周りの大人を困らせていたことでしょう。よくある幼児のなぜなぜとはちょっと違っていたように思います。

そして、小学校5年生の2学期から最後の小学校に転校してしばらくした、秋も深まったころに問い始めた「自分は何者なのか?何故ここにいるのか?」あたりから、真理、真実、物事の本質をいちいち追求するようになると同時に、親や周囲の大人に質問をすることはなくなりました。なぜならば、求める回答をしてくれないばかりか、困ったような顔したり、「屁理屈ばっかりこねる。」と不機嫌になることもしばしばだったからです。

公式が大嫌い

なので、数学や物理で出てくる公式を覚えるのが大嫌いで、なんでその公式になるのかを先生に尋ねても「それは覚えるものだ。」と教えてくれないし、本屋で参考書を買ってみても、そんなことが書いてある参考書をみつけることはできませんでした。
とはいえ高校でも理系クラスを選択し、大学も理系の学科に進学して、技術系採用枠で入社し、ソフトウェアエンジニアリングをコアスキルとして働いてきましたが、今でも数学と物理は好きではないし、当時、問題を解くためだけに覚えた公式はほとんどすべて忘れています。

構造化とメカニズム

根っこのひとつとして理屈を大切にするに至った、つまり、現在の私の脳内の構造を決定づけたのが、三層スキーマ概念、データモデリング、そしてインフォメーションエンジニアリングとの出会いです。ただ、決して自ら求めた出会いではなく、とても受動的なものでした。
ただ、それに強く関心をもったのは必然的だったと言えますし、積極的に取り入れたのは周囲の中では私だけだったようです。

三層スキーマ概念との出会い

大学1年の必修の講義で厳しく煩いので決して人気はなかった教授がいつも言っていた言葉が今もずっと残っています。

「大学は理論と思想を学ぶところであり、手法を学ぶところではない。手法を学びたければ、専門学校に行きなさい。手法は理論があって初めて成り立つものであり、思想のない理論は理論とは言わない。ただの屁理屈だ。そして、思想を学ぶ学問は哲学である。だから哲学は学問の最高峰と言える。」

これが三層スキーマ(思想と理論と手法)に人生で初めて触れ、「そっか、レイヤーの異なる話しをしていたから会話が成り立たないのは当然で、ほとんどの人は理論レイヤーに関心がなかったんだ。」ということがわかり、今までのモヤモヤがすっきり晴れた瞬間でした。

データモデリングとの出会い

会社に入って間もないころ、全くそれが何を知ることもなく、伝票や帳票類からデータ項目を抽出して、ダイアグラムとしてデータの構造を明らかにするデータ分析(データモデリング)のトレーニングを受けたときも、「これで今まで蓄積した知識が体系化され断片率が一気に小さくなる。つまり情報の蓄積活用効率が跳ね上がって、いわば頭が良くなる。」と感じ、トレーニング日程が終わるまで待つことなく、すぐに自分の脳内の知識・経験の再構成作業を行ったのは言うまでもありません。もちろん、構造化しきれない知識・経験は断片として格納し、新たな経験や学習の機会を待つ形で整理されました。
人間がバージョンアップした瞬間だったと思います。

しかし、一緒にトレーニングに参加した先輩や講師にその話しをしたのですが「???」な反応で、先輩はともかく講師まで全く共感してくれなかったのはちょっと残念でした。
ほんとに日本人って理屈が嫌いというか、受け付けにくい精神論+実践という思考文化が染みついてしまっているんでしょうね!

インフォメーションエンジニアリングとの出会い

そうこうしているうちに何故か子会社出向さらに孫会社に出向してシステムコンサルタントをすることになったのですが、その孫会社がインフォメーションエンジニアリングの方法論をベースにシステムコンサルティングを行う会社で、当然、インフォメーションエンジニアリングの方法論の学習機会を得て、アーキテクチャーの概念や、論理空間における、より完成度の高いデータモデリングとプロセスモデリングと相互作用についてダイアグラミング含めて理解すると共に、実際のプロジェクトで実践的スキルとして身につけていきました。


すでに頭の中がデータモデル化していた私の立ち上がりはかなり早く、学習や経験や仮説の検証による知識の構造化(事象事物を静的に捉えるデータモデル)に加え、物事が動いていく様をメカニズム(動的なプロセスモデル)として捉えるようとする思考が追加されたことで、さらにバージョンアップした瞬間でした。

尚、見るもの聞くもの全てがデータとメカニズムになってしまい、駅までの道を覆いかぶさるように咲いた見事な桜にも気づかないほど、論理空間に囚われてしまい、ある種の人間性を失いかけた時もありました。

理屈無くして成長なし/理屈無くして自立なし

以来、仕事も家庭もゴルフなどの遊びも全てが学びの対象となりました。学んだことは論理空間や概念空間に抽象化されることで一般化され、あらゆることに応用可能になるという好循環が生まれ、成長を強力に支えてくれました。
20代後半には横の弱みも縦の弱みも克服し、自分と他人を区別しない構造化によって高まったメタ認知力によって、依存をコントロールし、正常な自立レベルが維持できるようになりました。

私のような凡人にとっては、「理屈無くして成長なし、理屈無くして自立なし」です。

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