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我慢することを手放せた時、世界は思ったよりも優しかった

思えば、物心ついた時には、私は我慢強い子だと周りの大人に言われていたような気がする。

いわゆる「長女」だからなのか。

小学1年生の頃に弟が生まれた。
弟が生まれる前、どのくらいの期間かもう覚えていないが、母は入院し、父は仕事でなかなか早く帰れなかったため、私は祖父母の家に預けられた。当時の私は寂しさを隠しながら日々を過ごしていた。

小学3〜4年生の頃だったか、まだ弟が小さくて手がかかるにも関わらず、今度は父が単身赴任で海外へ。

1人で子育てに悪戦苦闘する母の精神的不安定さを子供ながらに感じ、父親不在の悲しみを脇において、迷惑をかけないように過ごしていた。そんな生活が小学6年生まで続いた。

そうした経験を経て、我慢強く、年のわりに大人びた、手のかからない子としての私が出来上がった。
成績もどちらかというと優秀で、素行も良く、大人しく、特に悩みなどを持つこともなく、順風満帆。周囲からはそんな風に見られていたと思う。

しかし当の本人は、そうした周囲からの印象にだんだんと苦しめられていった。

自分のそうした立ち位置を理解して、親にも先生にも友人にも、心配をかけまいと思って過ごしていた。いわゆる「いい子」であろうとした。
体調が悪い時でさえ、本当に倒れそうなレベルに陥るまで、なかなか親に言えずにいた。
どんな悩みも本音も、もう限界、と思うところに行くまでなかなか吐き出せなかった。

本音を隠してきたことで、だんだん本音の出し方も、自分の本音が何なのかも分からなくなっていくかのようだった。


そんな私は高校2年生の時、進路選択でひどく悩んだ。
自分が何をしたいのか、夢も、目標も分からなかった。
そんな自分に生きる価値はあるのか、生きる資格はないのではないか、とさえ思い、心は闇に引き摺り込まれていった。

そんな時も、親には本音なんて言えなかった。

死にたいとすら思っていたが、そんなこと言ったら心配されるに決まっていて、言えるわけがなかった。

唯一、信頼していた恩師には、そうした心の闇を曝け出していた。恩師だけはそうしたものを共有しても受け入れてくれるような、不思議な雰囲気があった。

その時の心の支えは、その恩師と、一人部屋でイヤフォンをして爆音で聴く音楽だけだった。


学生の頃は、言っても自分が属している世界は学校と家しかなかったので、そうやって音楽に浸ったりしてなんとかやり過ごしてきた。

しかし、社会に出てみるとそうもいかなくなった。

真面目だけど過度に大人しく、自己表現が苦手過ぎた私は、就職活動が上手くいかず、あまり望んでいなかった小売業に就いた。
当然接客を伴うし、品出しは思った以上に肉体労働。
頭を使う売場作成は好きだが、感情労働ともいえるクレーム対応と、身体が悲鳴をあげそうなほどの体力勝負の肉体労働とのダブルパンチは、私を疲労困憊へと追い込んでいった。

加えて、悩みがなかなか言えない、疲れていることも愚痴も言えない、真面目に仕事のことを考え過ぎて眠れなくなるような性格。

社会人3年目にしてそれが限界に達し、あんなに真面目だった私は、寝坊で月に3回も仕事に遅刻するという事件を起こしてしまった。

寝坊したことはもちろん猛省したわけだが、それ以上に、

もう頑張ることに疲れた
眠れなくてきつい
無理をしているのがデフォルトの状態になってるから頑張り続けるのが辛い
仕事に人生潰されそう
これが社会人として生きるということだったら、正直生きることそのものすらやめたい

といった感情が渦巻いて、どうしようもなくなった。

やり過ごせなくなって限界に達して初めて、上司に心の闇を曝け出した。

返ってきた答えは

「正直こんなに悩んでいると思っていなかった。真面目に意欲を持って仕事を頑張ってくれてるし、順風満帆だと思ってた。
気付いてあげれなくて申し訳ない」

というものだった。

やっぱり。

我慢すること、無理すること、それを取り繕うことが得意過ぎるんだ。
それを限界まで出せないから、誰も気づいてくれない。
そうして自分の中の辛さと、周囲の認識にギャップが出来て、また更に苦しむ。

心配かけまいと思って我慢してきたことが多かったけど、我慢することのメリットなんてほぼ無かったのではないか。

表に出すことも憚られた心の闇を曝け出したら、結果的に以前より上司と話しやすくなったし、よく気にかけてもらえるようになった。
連休を取ることや連勤時の時間の融通なども、気にかけて提案をして頂けるようになり、少し負担が減った。

1人で抱え込んで、ギリギリまで平気を取り繕って壊れてしまっては何も良いことはない。
それに、1人で狭い視野であれこれ考えて、自分で自分の首を絞めても苦しみしかない。

我慢することを手放せた時、世界は、思ったよりも優しい場所だったのかもしれないと思えた。

本音を出すことがすっかり下手くそになってしまったから、我慢の限界が来ないと吐き出せないような人間だけど。

我慢して完璧な自分を装っても、苦しいだけだった。

それなら、下手くそでも、少しずつ、我慢をやめて、完璧じゃない自分を曝していけばいいんじゃないか。
それでもし離れていくような人がいれば、その人とはそれまでだったってこと。

それでもなお、曝したくない、自分が我慢した方が早いと思ってしまうこともあるかもしれない。

その時はその時で、我慢してるね、大丈夫? 無理しないでね、と自分に声を掛けて見守ってあげよう。

世界は思ったよりもきっと優しいから、そんなに1人で抱え込まなくて大丈夫だよ、って言い聞かせながら。


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