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続:ギリギリで生きてるかもしれない

つい2週間前に、疲弊し切った文章を書いた所だったが。

あれから10日ほど経った日、私はまた遅刻をやらかしてしまった。

短期間に数回の過ち、静かに諭すようにお咎めをくらった。怒鳴り散らかす人でなかっただけ救いだった。

社会人だから、それはそうだ。

もちろん、自分が悪いことは重々承知している。

他方、以前記事に書いたように、仕事のことを考えすぎてよく眠れない、仕事の夢を見過ぎて途中で起きてしまう、安定しないシフト制で生活リズムが崩れまくって体力がついていかない、自分で自分を責めてしまう思考で自分の首を絞めている…等。

自業自得で自分が悪いけれど、心身共にやられまくって、正直もう限界という言葉が喉を出かかっている状態だった。

人に迷惑をかけたくない気持ちや、自分の感情を話し言葉で表現することへの苦手意識から、あまり人にこうした側面を出せずにきた自分。

流石にこのままでは駄目だ、本当に心を壊してしまってからではとり返しがつかない。

そう思い、謝罪と共に自分の中の負の感情を、闇の部分を初めて上司に吐露した。

話すのは上手くいかなそうだったので、書き殴りのような文章を書いて伝えた。
一番メンタルが落ちていて、吐き出さないとどうしようもない時に書いたものだったから、正直人に見せられるような文章ではなかった。
それでも、それも自分の側面の一つだ。
極限に陥るとこうなってしまうんです、ということを伝えた。

希死念慮に襲われること、自己肯定感が低いこと、自分が無価値だと思えること、眠れない夜が多いこと、等…。

上司は驚いていた。

「仕事も頑張っていて、意欲もあって、正直順風満帆だと思っていた。
気付いてあげられなくて申し訳ない」

そんな言葉をかけられた。


上司との面談以降、私はようやく上司を心から信頼できるようになった。

怖い人ではないけど、才色兼備で非の打ち所がない印象で、完璧な人で、どこか近寄りがたかった。
クールな表情の裏で何を思われているのか怖かった。

そんな思い込みが、1対1の面談でようやく拭い去れた。

また、自分自身も、本当は見せたくなかったはずの心の弱い部分を曝け出したことで、少し気が楽になった。 

それと同時に、人を頼ることと感情を共有することが、自分の課題であるということにも気付かされた。

1人で抱え込んで、ギリギリまで平気を取り繕って壊れてしまっては何も良いことはない。

それに、1人で狭い視野であれこれ考えて、自分で自分の首を絞めても苦しみしかない。

そうした学びがあっただけ、結果的に良かったのかもしれない。

繁忙期に突入し始めているけれど、なるべく休日だけでも自分をご自愛しながら、時に上司と話しながら、心を壊さないようにしていきたい。

繁忙期が過ぎたら、じっくり話したいと思いつつまだ話せていない先輩とでも、ご飯に行っていろんな感情を共有してみたい。

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