宗教と科学(太古編)

あなたは地球が球体であることはご存知だろうか?

地球が太陽の周りを回っていることはご存知だろうか?

そんなのは常識!っと言うでしょう。

では大昔の人達はどうでしょうか?

どれぐらい昔かというと、紀元前後ぐらい。

人工衛星を持たない彼らは何故、昼と夜があるのか、四季があるのかがわかりません。

何故、雷が発生するのか?何故、地震が発生するのか?

それは太平洋プレートと北アメリカプレートが擦れて・・・なんて説明は到底できません。

そこで世界中の人達はあらゆる自然現象に対して、さまざまな仮説を立てました。

その仮説はだいたい共通して、下記のようなものです。

①得体の知れない強大な力が自然を支配している。

地震、雷、台風・・・等の自然災害はその力の仕業である。

②その力の前では人間は無力であること。

③その強大な力を神と呼んだこと。

④神の怒りを買わないように行動し、神に敬意を示すべきこと。

神は創作でなく、自然現象を解明した仮説だったのです。

星座も雷神もナマズも創作でなく、自然科学の一説です。

当時の人にとっては創作ではありません。文化でもないです。科学です。

やがて、農耕が盛んになるにつれ、当時の人々は上記の①~④をより強く意識することになりました。

人々は四季を意識し、夏前に田植えを行い、梅雨と暑い夏を経て、秋に収穫をします。

しかし、たまにこのパターンが崩れることがあります。

冷夏や干ばつです。

現代であれば、気象衛星により予測や原因究明ができますが、当時は神の仕業とされてきました。

干ばつも神の与えた罰であると。

だからこそ、雨乞いの儀式を行い、神に雨を祈願したのです。

そして、秋の収穫の時期は収穫祭を行い、神に感謝しました。

神への祈願の目的は「豊作のための気象コントロール」です。

では科学の発達した現代において、宗教はどう考えるべきでしょうか。

次のNoteで。



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