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0678:橋下徹が統一教会名称変更問題で予想外にまともなことを言っていた

私は橋下徹氏のことが好きではない。

まず第一に詭弁術。たとえば自分の意見が他人(往々にして専門家)から批判された時に「実務が分かってない、もっと勉強してから物を言え」と自分の立ち位置からマウントすることで検証抜きに議論を断ち切る論法は、大嫌いだ。彼のディベート技術は「皆で意見を出し合って合意を形成する」ためのものではなく「相手を支配し自分の意見を呑ませる」ためのものに見える。法廷闘争はそうしたものだが、それを世の中でやってどうする。

第二に思想内容。今ならロシア問題で顕著だが、多様な条件が錯綜する現実をワンイシューで押し通すこと自体は政治手法としてありなのだけれど、それによって見過ごされるものがあまりにも多く、大きいと、知事時代から感じていた。

で、昨日。Twitterのタイムラインで「統一教会問題で、ゴゴスマで橋下徹が暴論をまくし立てていて観るに耐えない」「司会者が暴走を止めるべきだろう」「ミヤネ屋にチャンネルを変えたら鈴木エイトが丁寧に解説していて良かった」という趣旨のツイートがたくさん眼に入った。あー、またやらかしてんのか、と思った。

私は元公務員として、統一教会問題の中でも行政に関わる名称変更問題に注目して、これまでに四本記事を書いてきた。




その初っ端(7月11日)から「通常であれば、法令の要件さえ満たせば名称変更は通る。仮に所轄庁が認証しない場合は、行政手続法に基づき理由を明確に示す必要があるし、申請者側に不服があれば行政不服審査制度や訴訟を通じて争える」旨を指摘していた。15日の第二報では行政手続法を引用して丁寧に解説をした。メディアでこの辺りが全面に出だしたのは今週半ば以降のこと。具体的には、文化庁や下村氏の説明の中でようやくここまで話が及び、それが報道されるようになったわけだ。それに比べれば私の記事は随分早い指摘だったが、別に偉かあない。宗教法人に限らず法人監督事務を担当したことのある公務員なら誰でも知っていることだ。逆にいえばメディアの足の遅さを感じた。

初期には気を吐いていたテレ朝が、「羽鳥慎一モーニングショー」の有田芳生氏による「統一教会に対する警察の捜査が政治の圧力で止められた」との発言(突然CM入りしたところも含めて見てた)を期に統一教会報道を取り止めて以降は、「ミヤネ屋」と「ゴゴスマ」を主に注視していた(「報道1930」も評判を聴いて見ることがある)。ちなみにテレ朝の流れについては以下に詳しい。

リアルタイムで観る余裕はないので、ミヤネ屋・ゴゴスマは録画をして、当日または2~3日のうちに観るようにしている。なので今日は家業に勤しみながら「橋下徹がどんなおかしなことをいっているのか観てやろう」という構えで再生を始めた。

──ふむ?

説明するまでもなく、橋本氏はタレント弁護士から政治家に転身し、大阪府知事・大阪市長を経て、大阪都構想の住民投票否決により政治の表舞台から身を引いた。大阪府知事の就任当初から一貫して役所への批判的姿勢を打ち出し、政治家として役所を「正す」ことをしてきた。ちなみに、その過程が当時現役の公務員だった私には決して評価できるものではない理不尽さで、それが私の橋下氏嫌いに繋がっている。

そして、金曜日のゴゴスマでの橋下氏の発言も、同じように「役所を法律で管理する」という視線で一貫していた。その意味では、従来の橋下氏の姿勢がここでも観られたわけだ。

で。それが実は、行政法的にはまったくもってまっとうな主張なのだ。

行政手続法上、申請書類が提出された場合は速やかに処理をしなければならない。法令上の形式要件を満たさなければ却下、満たしていれば認証制であれば認証義務があることは正しい。橋下氏の主張はこれを強調するもので、ほぼ、間違っていないのだ。

司会者をはじめひな壇ゲストは、市民感情として橋下氏に異論を提示していた。その市民感情も正しい。それに対して橋下氏が「行政が法律を無視して動いていいとしたら大変なことになる」という趣旨の反論をしていたのも、まことに正しいのだ。憲法が国家権力を縛るものであるように、各種の行政法は行政を規律するものだ。橋下氏はその原則をきちんと踏まえている。

正直、拍子抜けした。Twitterの批判の山を見て「またあの人がなんかやらかしたか」と思っていたのに、筋論として正当だったのだから。

ただ、この問題の本質については、半歩踏み込みが足りない。「法律上は行政は認証しなければならない。しかし、この案件について、公序良俗に照らしてどうか」という点だ。

番組では、この論点にかすりかけた場面があった。1997年当時の宗務課長だった前川喜平氏が「宗教法人の取消も検討したが無理だった」と証言しているのに対して「ほら、前川氏の違法行為が明らかになった。法人取消できるほどの団体なら、違法でも受理拒絶するのはまだわかる。でも法人取消できないんでしょう、ならやっぱり違法なことをしていたんだ」という論評をくだした。惜しい。橋下氏は「違法でも受理拒絶する」場面があり得ることを認めた、しかしその判断ラインを法人取消に置いた。論点は実はもう半歩先、法律上は手の打ちようのないものに超法規的な措置をするラインを「公序良俗」の問題にまで引き下げて、その行政判断の適否を裁判に任せる道があると、私は考えている。もちろんその道を辿るかどうか、判断はしっかりと上(文化庁なら文科大臣)にまで因果を含める必要はあるけれども。

以前にも書いたと思うが、橋下氏のいうとおり「受理をしない」という行政の行為が行政手続法に反するのだから、統一教会は行政不服審査や訴訟で法的に戦えた筈なのだ。しかし、統一教会はそれをしなかった。世間を賑わせ反発されることを忌避したのだろう。それが2015年に変化したのは何故かということ、つまり法令に規定された事務運用の俎上に乗る以前の「事前相談」の機微において、2015年に「何故」変化したのかが本丸なのだ。情報公開とか取材はそこを目がけるべきなのだ。

最後に、それ以外に橋下氏の発言で気になったところを付記しておく。

「山上容疑者の意図したとおりに統一教会に注目が集まった」
私もここは注意しているけれど、報道された数少ない山上容疑者の自白の中で「世間の注目を集めるために」という動機の自白はないのではないか。むしろ犯行直前の手紙やTwitterの書き込みから窺えるのは、思考がもう「象徴である安倍氏への殺意」にのみ視野狭窄を起こしている状態だったように見える。しかし太田光もそうだけど「山上容疑者は世間に統一教会問題を知らせたくてテロを起こした、その意図通りに統一教会問題で騒ぐのは次のテロを喚起するからダメだ」という論法が世の中の一部にはある。前者と後者の因果関係も怪しいけれど、そもそも前者の前提条件が「そうに違いない」という思い込みレベルなので、これは話にならない。

「(前川氏の証言を踏まえて)ほら、審議会に提出したら『却下するな』といわれるに決まっている。だから申請を受理しなかったんだ。最悪の行政実務だ」
審議会が「却下するな」というに決まっている、というのは、決まってない。霊感商法問題を踏まえて「却下してよい」という判断はあり得た。むしろそれは申請の受理拒否と違って法令上正当な流れだ。敢えて言えば、そのような正当な流れを取らなかったのは良くない、という批判は成立する。ただ前述のとおり統一協会側は受理拒否を法的に戦うことができた、しかしそれをしなかった。それこそ実務上の機微であり、「最悪の行政実務」との批判が正当とは私は思わないな。

--------以下noteの平常日記要素)

■本日のやくみん進捗
第1話第22回、1,849字から進まず。

■本日の司法書士試験勉強ラーニングログ
【累積274h59m/合格目安3,000時間まであと2,726時間】
週末家業デーでノー勉強デー

■本日摂取したオタク成分
『ハイスクールフリート』第10~11話、赤道祭わろた。この息抜きの先に、武蔵を救うためのクライマックスに至る。

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