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仕事に打ち込むことが、人生の糧になる

「一度趣味のことは忘れて、仕事に打ち込んでごらん。それが必ずあなたの人生の糧になるから」

 役所に就職して二年目、課長から言われた言葉だ。

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 私は幼稚園の頃から読書好きで、小学校高学年には自分でも小説らしきものを書き始めた。といっても、壮大なSFの冒頭であったり、名探偵の奇妙な癖を描写したり、断片の書き散らかしだ。

 短くとも物語を初めて完結させたのは中学生、進研ゼミの通信誌に投稿した数段落のショートショートだ。暴力団組長が夢うつつで映画の画面から銃口を向けられショック死する話。これが掲載され、自分の書いた物語を人に評価される喜びを知った。

 高校を中退して人生の先行きが見通せない中、作家になりたくて初めて「小説」といえる作品を書き上げたのは二十歳。締切当日に投函した帰路、「あんなひどい作品を他人に読ませるのではなかった」と酷く後悔した。数ヶ月後、数百の応募作のうち最終候補二十作に自分の筆名を見つけた時の驚き。しかし、そこ止まりだった。

 独学で大検から大学に進んだ時、私は二十二歳になっていた。当然のように文芸サークルに入って同人活動に励んだ。長髪髭面で青春を謳歌した。将来は学者になって大学に残りたい、それが叶わないなら東京の出版社で小説編集に関わりたい。そう思っていた。

 大学院一年目に父が亡くなり、学問も東京も諦め、故郷に戻った。長髪を切り落とし、髭を剃り、公務員試験を受けた。役所に入庁した時点で二十八歳、なんとも遅い社会人デビューだ。

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 役所の仕事の中身には、面白いと思える面も確かにあった。それでもなおストレスの方が多く、自分には公務員は合わないと思った。複数の同人誌に参加して小説を書き続けた。小説家になって、一刻も早く公務員を辞めたい、そう思い詰める日々だった。

 そんな私の様子を見守っていたのだろう。ある日課長が私に声を掛けた。職場での雑談だったか、宴席だったか、状況は覚えていない。しかし内容はよく覚えている。

「一度趣味のことは忘れて、仕事に打ち込んでごらん。それが必ずあなたの人生の糧になるから。小説もずっと良いものが書けるようになる」

「はあ」

 私は言葉を濁した。内心には反発があった。私の価値観に立ち入るな、仕事と小説は関係無い、と思った。もちろん言葉にはしない。表面上はうまくやり過ごして、しかし心では受け入れることを拒否していた。

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 二十九歳で学生時代の彼女と結婚した。三十一歳で最初の子供を授かった。家族を養う責任は重たい。役所を辞めることは自然と考えなくなった。

 役所は二~三年でまったく違う分野に異動になる。東京勤務。内部管理。法人指導。監査。五年目くらいから仕事の面白さが分かってきた。目的達成のために頭を巡らせ、上司や関係先を説得し、予算を獲得して、事業を行う。困難な課題に全力で取り組んで解決に至る。それが地域の役に立つことの実感。公務員とはなんと面白くやり甲斐のある仕事だろう。

 それでもある時期までは細々と小説を書き続けていた。しかし、仕事が充実し第二子第三子が生まれて子育ても忙しくなると、自然と筆が止まった。少し前から感じていた、手癖でいつも似たような話になってしまう悩みも、理由のひとつだ。才能が枯渇したように感じ、物語を作ることに飽いた。若い頃に私が小説執筆にのめり込んだのは、ずっと心に満たされないものがあったからだと思う。心が満たされた時、その「趣味」から遠ざかるのは自然なことだった。

 いろいろな状況を考え合わせ、五十五歳で役所を早期退職。二十七年間の公務員生活を終えて家業を継いだ。年収が大きく減少した代わりに、時間が生まれた。

 今の自分のありったけを込めて、小説を書こう。自然とそんな気持ちになった。最後に小説を書いてから十年以上が経過していた。

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 こうして一昨年からドラフト稿を執筆している公務員小説「やくみん! お役所民族誌」は、二十七年間の公務員生活で最もやり甲斐のあった消費者行政を舞台としている。架空の土地、架空の役所だけれど、私の住まう街、私を育ててくれた役所がモデルだ。昨年末に第1話ドラフト稿155,475字を脱稿、その後推敲をしながら少しずつカクヨムに転載を始めたところだ。

 自分の想いを込めた物語を、よく知る土地と組織をモデルとして纏わせる。内なるイメージに沈潜し、キャラクターの体温を意識し、適切な言葉を求めて呻吟する。そのように紡がれた155,475字は、明らかに過去の自分の作品とは厚みが違っていた。それは知識だけの話ではない。職場での、家庭での、無数の経験を積み重ねた意思と情感の地層。その違いは、カクヨムに掲載している旧作と比較すれば一目瞭然だ。旧作群には若さの光があって、今でも決して嫌いではないけれど、ストーリーを綴ることに主眼があって人物を掘り下げる意識がない。それが現在の「やくみん」との大きな違いだ。

 二十代の頃のような、情念と才気を追い求めた小説は、もう書けない。その代わり「やくみん! お役所民俗誌」は、その後の三十年の人生を豊かな土壌として、五十代の今だからこそ書ける小説と感じている。

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「一度趣味のことは忘れて、仕事に打ち込んでごらん。それが必ずあなたの人生の糧になるから」

 若い私にそう諭してくれた当時の課長は、昨年、七十三歳で亡くなった。もう彼に「やくみん! お役所民族誌」を読んでもらうことは叶わない。

 けれども。

 課長。あなたの教えは、間違っていませんでした。

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