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【まとめ読み】小説『やくみん! お役所民族誌』

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小説本文のみをまとめたマガジンを立ち上げました。既存の別マガジン「連載小説『やくみん! お役所民族誌』」に比べて、こちらは次の特徴があります。 ・小説本文以外のアイディアノート… もっと読む
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記事一覧

お役所民族誌 第一話 エピローグ 日記3

お役所民族誌 第一話 エピローグ 日記3

○月○日

今日から新しいノート。十七冊目だ。日記で自分のことを「私」と呼ぶこと。標準語を使うこと。ノートに手で書くこと。日記を書き始めた中学生のあの日から、ずっとそうしている。ペンを動かして「私」の心を書くことが、一日を終える儀式。それはいつか、人生を終える儀式になる筈だ。

○月○日

デブ親父からひどく叱られた。客引きすらまともにできない私は、社会では使い物にならないと。知るかボケ、死ね。

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お役所民族誌 第一話第六章 インターンシップの終わりと次のステップ

お役所民族誌 第一話第六章 インターンシップの終わりと次のステップ


(44)恋人たちの夜

 二日目のインターンシッププログラムを終え、みなもは県庁前のバス停から澄舞大学行きのバスに乗る。すぐ先の県民会館がバス路線の結節点になっているので、この時間帯は次々とバスが来て、大勢の人を運んでいた。
 ラインで秀一に帰宅の目安を尋ねると、ノー残業デーの水曜日なので十九時くらいには帰れるという。ならばと最寄りのひとつ先のバス停で下り、スーパーましみやに立ち寄った。
 まし

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お役所民族誌 第一話第五章 澄舞と東京、姉と弟 後編

お役所民族誌 第一話第五章 澄舞と東京、姉と弟 後編


(41)犯罪への招待

 池袋は落ち着かない街だ、と充は思う。正直あまり好きではない。
 上京した当初こそ、茗荷谷のアパートから一番近い大都会池袋はもの珍しかったが、じきに飽きた。生活に必要なものは身近で済むし、何より池袋は人が多すぎる。充が苦手とするタイプの人間とすれ違う機会も増える。腕や顔に大きなタトゥーを施した大股大声の男たちを見かけるだけで、充は呼吸が浅くなるのだ。
 池袋は華やかな表通

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お役所民族誌 第一話第五章 澄舞と東京、姉と弟 前編

お役所民族誌 第一話第五章 澄舞と東京、姉と弟 前編


(36)消費者法と行政の役割

 インターンシップ二日目は、消費者被害事案のケーススタディだ。法学専攻の小室の希望に沿ったプログラムで、みなもにはいささか敷居が高い。なのでまずは二階堂から昨日の入門講義を深掘りするレクチャーが行われた。
「私たちの社会の基本原則は「自由」。日本国憲法は国家権力を統制して国民の自由を最大限に保障しています。でも、全てを自由に任せた弱肉強食の社会は、大変なことになる

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お役所民族誌 第一話 インターミッション 日記2

お役所民族誌 第一話 インターミッション 日記2

○月○日

 吐き気は、自分を守るために異物を排除する、生理的な反射だ。他人は異物だ。他人の体臭に吐き気を催すのは、自分を守る正常な反射だ。誰も私に近づくな。私は一人で生きていく。それが無理なら、死ぬ。

○月○日

 不良を描いた漫画やドラマはいくつも読んだし観た。自分の人生と交わることはない、遠い世界のファンタジーだと思っていた。
 そうじゃない、と東京に来て知った。平凡な暮らしのすぐ隣に、犯

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お役所民族誌 第一話第四章 おばあちゃんの危機 後編

お役所民族誌 第一話第四章 おばあちゃんの危機 後編


(28)振込阻止

 ラ・ポップは五百島を本拠に近隣各県に展開するコンビニチェーンだ。全国大手には店舗数で引けを取るものの、店で炊いた温かいご飯を販売時に弁当に詰めるなどの特色があり、地域では根強い人気を誇っている。
 ラ・ポップ八杉甘田町店の電話が鳴った時、時計の針は午後一時三十七分を指していた。
「店長、お電話です。クレームみたいです」
 アルバイトの水元慶太に声を掛けられ、品出し中だった藤

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お役所民族誌 第一話第四章 おばあちゃんの危機 前編

お役所民族誌 第一話第四章 おばあちゃんの危機 前編


(22)刈り込み開始

 香守茂乃は、二つ折りにした座布団を枕にしてタオルケットを腹にかけ、居間の畳に横たわって浅い夢を見ていた。五十年近く昔、新築のこの家で夫と幼い一人息子の三人で過ごした日。その幸福な微睡を覚ましたのは電話の呼び出し音だ。
「……はいはい、今行きますよ、っと」
 茂乃はむくりと起き上がり、狭い廊下を通って玄関へ向かう。優に十回以上のコールの後、ようやく受話器を取った。
「はい

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お役所民族誌 第一話第三章 青年と詐欺師たち 後編

お役所民族誌 第一話第三章 青年と詐欺師たち 後編


(17)圧迫面接

 支社長室のドアがノックされた。どうぞ、と声を掛ける。ドアが開いて、蘭が顔を覗かせた。
「お客さまがお見えです」
「通して」
 蘭が引っ込み、代わりに押井が部屋の中に入ってきた。
「やあ、いらっしゃい。そちらへどうぞ」
 桐淵が促すと、押井ははっきりした声で「はい」と応え、合成皮革のソファに腰を下ろした。一見して爽やかな好青年の趣だ。
 ふうん。報告では挙動不審な小心者のイメ

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お役所民族誌 第一話第三章 青年と詐欺師たち 前編

お役所民族誌 第一話第三章 青年と詐欺師たち 前編


(12)魚信(アタリ)

 澄舞県の東端、八杉市。香守茂乃宅の電話が鳴ったのは、同じ日の午前十時になる少し前だった。
 茂乃は居間でテレビを見ていたので、電話のある玄関まで移動しなければならない。若い頃のような機敏な動作はできなくなった。短い距離だが、積み上げた段ボール箱のせいで廊下が狭く、横歩きでなければ通れない。九コールでようやく受話器を手に取った。
「はい、香守でございます」
「あ、香守様

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お役所民族誌 第一話第二章 澄舞県庁インターンシップ

お役所民族誌 第一話第二章 澄舞県庁インターンシップ


(7)はじまりのセレモニー

 インターンシップ初日。
 朝の集合場所は消費生活センターではなく、それを統括する「本課」の生活環境総務課だ。始業時間より15分ほど早かったが、本庁六階の執務室のドアは開いていた。
「おはようございます!」
 まずは元気よく挨拶。既に出勤していた数名が口々に挨拶を返し、そのうち窓際の細面の中年男性が席から立ち上がり近づいて来た。
「香守さんですね。河上です、今日はよ

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お役所民族誌 第一話第一章 香守みなもと彼女を取り巻く人々

お役所民族誌 第一話第一章 香守みなもと彼女を取り巻く人々


(1)恋人たちの朝

 ぎゅっと背後から体に腕を回し、首筋に当てた鼻から、すうっ、と息を吸い込む。嗅ぎ慣れた恋人の体臭は鼻腔から脳に染み渡り、心地よく力が抜けていく。
「みなちゃん、もぎゅられるとネクタイ結べないんだけど」
「んー、あとひと吸いだけ補給ー」
 すうっ。じわじわっ。
 朝。二人が半同棲生活を送るアパートの洋間。そろそろ時間だと、分かっている。
 香守みなもは秋宮秀一の体から腕を解き

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お役所民族誌 第一話 香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める/プロローグ 日記1

お役所民族誌 第一話 香守茂乃は詐欺に遭い、香守みなもは卒論の題材を決める/プロローグ 日記1

note創作大賞2023 お仕事小説部門 応募作品

■あらすじ(260字)文化人類学専攻の大学生・香守みなもは、彼氏の勤務する澄舞県庁で三日間のインターンシップに臨む。現場は消費生活センター、悪質商法と対峙する部署だ。初日に独り暮らしの祖母・茂乃の悪質商法被害が発覚、センターが解決に乗り出す。その頃東京では、世を呪い自死を考える青年・押井がデート商法の罠に陥っていた。詐欺組織・深網社に絡め取られ

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0924:やくみん覚え書き/カクヨム版第一話ひとまず完結

0924:やくみん覚え書き/カクヨム版第一話ひとまず完結

2021年8月にnote上で執筆開始したエンターテインメント公務員小説「やくみん! お役所民族誌」は、一年以上をかけて2022年末に第一話ドラフト稿155,475字を書き上げた。その時に書いた記事がこちら。

ドラフトは「noteに続きを書かねば」というプレッシャーがある種のペースメーカーになっていたが、その後二ヶ月のマイペース推敲作業はしばしば停滞した。それを打開する策として、カクヨムのカクマラ

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第1話[22]~[最終回]まとめ/小説「やくみん! お役所民族誌」

第1話[22]~[最終回]まとめ/小説「やくみん! お役所民族誌」

【前回】

[22]二次面接        *

 池袋は落ち着かない街だ、と充は思う。正直あまり好きではない。
 上京した当初こそ、茗荷坂のアパートから一番近い「大都会」としてもの珍しく、週末になると足を運んだ。しかし、それも二ヶ月もすれば飽きた。生活に必要なものは身近で済むし、何より池袋は人が多すぎる。人が多ければ、充が苦手とするタイプの人間とすれ違う機会も増える。直接関わりがなくとも、腕や顔

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