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アレッシオ・シルヴェストリン作曲『百人一首のための注釈』分析(3)短歌の歴史的/形式的要素

短歌は、794年に始まり、鎌倉時代のはじまりで1185年に終わる平安時代に花咲いた伝統的な和歌の形式のひとつです。平安時代は宮廷文化のひとつの頂点を築き、詩歌や文学などの「芸術」でその名を馳せます。この短歌は、しかしながら、高級な文学表現として生き続ける一方、どこか日本人の日常に根差してもいるようです。美学の日常化と日常の美学化。

詩歌をつくることを意味する「詠む」がもともと「数える」ことを意味していたことは示唆的です。江戸時代の文献学者・言語学者、本居宣長(1730 – 1801)は『古事記伝』で「又歌を作るを余牟(ヨム)と云も、心に思ふことを数へたてて云出るよしなり」といいます。ここで、ドイツの数学者・哲学者、G・W・ライプニッツ(1646 - 1716)が音楽について考えたことが想起されます。「音楽は、知らず知らずのうちに数えてしまうことから心が経験する喜びです。」(Music is the pleasure the human mind experiences from counting without being aware that it is counting.)無意識における数理過程が意識における感じを下支えしている。数えるということを、ハンガリー出身のアメリカの数学者、J・v・ノイマン(1903 – 1957)の順序数をみて考えてみます。先ず、空の空間があり、それに「空集合」(empty set)という名前をつけること({ }をつけること)から始まります。これが「0」です。これ以降は、下にみるように、集合のすべての要素がその集合の部分でもあるというふうに数が構成されていきます。

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