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人生でやり残したこと、がないように

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仕事への向き合い方が変わる

タイトルに反して、まずもって私は健康体です。人生は当分続きそうです。何かやり残したことを、限られた時間の中にやらなければと焦慮の念に駆られてこの記事を書いているわけではありません。
なぜこんなタイトルにしたかというと、他の多くの人と同じように、私自身もアフターコロナ(AC)の生活様式の中で、仕事への相対し方(あいたいしかた)が大きく変化し、仕事と人生のあり方を考える機会が増えたからです。このことを突き詰めて考えると、時間の使い方をどうするのかということではないかと思うようになったからです。

1日24時間を百分率に置き換えると、コロナ前までは仕事:生活:睡眠の比率が大体60%:10%:30%くらいでした。圧倒的に仕事です。海外・国内出張も多く、ここ数年は12ヶ月のうち3から5ヶ月は旅先暮らしです。こういうワークライフバランスが成立していたのも、個人的に旅暮らしが嫌いではないこと、家族も似たような生活様式であることがありました。出張=仕事と言っても移動時間は刺激に満ちていますし、現地で出会う人物や風物も公私にわたって人生を豊かにしてくれます。その意味では、仕事=生活という等式が良い意味で成立していたのかもしれません。

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増えた可処分時間の中で何をするか

出張が減り在宅勤務が増えると、可処分時間が増えます。通勤や移動に使っていた時間がゼロになります。物理的にそこにいるからといって気軽に話しかける会議とも呼べない会議もなくなります(良くも悪くも)。求められている成果物は出しているし、品質基準も下回っていないし、勤務時間も満たしているし、さっさと定時上がりすることを面白く思わない上司もいないし、とにかく、勤務時間が限りなく9時5時に近づいていきます。フレックスを組み合わせて1時間くらい勤務を早めておくと、冬の入口に近づいたこの時期であってもかろうじて太陽を浴びながら体を動かす時間が、仕事の後に確保できます。
1日のライフサイクルが前倒しになり、夕方には空腹を覚えて夕食をとり、風呂に入って10時台には布団に入る。健康そのものです。
接客を伴う仕事は大打撃を受けています。自分の勤務先もいつ傾くかわかりません。でも個人的には、滅私に近い状態まで追い込まなくても生活は維持していける手応えは出てきつつあります。

役に立たないことの中に、役に立つことがある

ビフォアコロナ(BC)の時代には望んでも持つことができなかったこの可処分時間を、どのように過ごすかでACの生き方が決まってくる気がしてなりません。
自分はこのような余暇を使って、山の中を歩くことが増えました。重い荷物を背負って、体の重心を意識しながら歩いていると頭の中がフロー状態になります。筋肉ではなく体重移動を使って登る感覚です。あんまり興味がなかった自然にも気持ちが向くようになり、葉っぱの形や鳥の鳴き声から種を特定したくなります。そういうものに名前をつけた人がいる。地図を見て翌日のルートを考える。フロー状態を離れて、考え事を延長していくとワクワクがさらに広がります。
1日かけて山を登って降りてくる。誰の役にも立たないし、多分自分の役にも立たない。でもなぜか楽しい。

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映画「男はつらいよ」シリーズが好きでよく見ますが、その中で博が「人間食べていくということは大変なんです。でもそれだけのために生きているわけじゃない。美しいものを見て美しいと思う。そういうことのためにだって人間は生きているんじゃないでしょうか」と独自の芸術論を披露してくれるくだりがあります。山を歩いていると、そんな博のセリフを思い出します。

役に立たないことをやってみると、役に立たないことの中にも人生の中でやるべきことはたくさん含まれているんじゃないかと気付かされます。仕事中心の人生は、どうしても役に立つことを中心に据えざるをえない側面があります。でもACになってみると、「費用対効果」とか「効率」とか「コスパ」とか、それは自分ではない、誰か別の人にとっての費用対効果であって、結構胡散臭いことに気付かされます。
ACの時代は、こんな時間配分で人生を生きてみても良いのかなと、最近感じています。

役に立つこと:役に立たないこと:睡眠
35%:35%:30%

皆さんはACをどのように過ごされていますか?






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