見出し画像

お笑いライブ

私は、昔からお笑いというのにあまり興味がないタイプです。
お笑いはくだらないから見ない!とか、そういうのではなく、コントや漫才を、わざわざ劇場に足を運んでまでは見ませんし、コント番組も好んで視聴しません。(あぁ、でも『エンタの神様』は毎週弟と見ていたような記憶があります。犬井ヒロシ大好きでした。そもそもコンテンツがなくなったのかもしれませんね。)

そんなどちらかというと厭世的(??)な私ですが、昨日初めてお笑いライブというものに行ってきました。それも、那覇で。

この週末は大学のゼミ同期だった友人に会うため、彼女の地元沖縄まであいに行きました。
彼女は根っからのテレビっ子のエンタメ好きで、地元のお笑い芸人さんのライブに行きたいからぜひ一緒に行こう、と誘われて行きました。
初めは、「沖縄あるあるネタが多い」と言われてたので根っからの東京っ子の私にはどうかなぁ、そもそもお笑いでそこまで笑わないタイプだしなあと思っていたのですが、「でも、自分じゃ行かないようなところだし、行ったことのないものってだけでも面白いよね」と彼女についていくことにしました。こういう時ひとり旅で培った好奇心根性が役にたちます。

結果はと言いますと、持っていたカバンを叩いてしまうほどの大笑いでした。
私は大学時代演劇サークルに裏方として所属していたのですが、なるほどお笑いもハコモノの一つだったのだなと今更気づかされました。つまり、ナマモノなのです。その場の空気を共有して初めて生まれる面白さとでもいうのでしょうか。今までテレビの『映像』としてしかお笑いを見たことがなかったので、全く意識していませんでした。
実際に空気を共有するのと、画面という厚すぎる壁を介して見るのでは全然違うなと思いました。『ライブ』は、やはり面白いですね。

舞台関係に首を突っ込んでいたことがあるからこそ、逆に気になってしまうこともたくさんありました。私は裏方だったので主に音響照明のタイミングの違和感には今だに敏感に反応してしまいます。(暗転が長いとか、音響のタイミングがずれたなとか)
ですがそれ以上に、「時々差し挟まれる内輪感」みたいなものが、惜しいなぁと思った次第です。面白いと思ったところが多かったからこそ、余計に。
具体的に言うなら例えばコントをやっていて「今こいつめっちゃ台本飛ばしてますねん」とか、「この前このくだりが30分超えて流石に怒られまして」とか、そんなことを言う感じです。
漫画でいうなら例えば作中のキャラクターが作者のエピソードを引き合いに出し始めるとかそんな感じでしょうか、うまくいえないのですが、とにかく『世界観のクロスオーバー』のようなものです。うまくいませんが。

個人的に私はそういうネタ自体は大好きなのですが、それが多すぎて、せっかくコントの世界観に入り込んでたのに、いきなり現実に引き戻されることがあまりにも多かった。

でも、こういう『惜しい』みたいなものは、舞台にはよくあることだなぁと改めて思いました。生でやる舞台だからこそ、難しいところでもあり、また面白いところでもあるように思います。特に、こういう「荒削り」でまだまだこれからやりようによって磨かれて行くだろう、みたいなところは、捉えようによっては代え難い醍醐味になるでしょう。

なんとなく、日本の一定数の人たちはなんでもかんでも整えらたもの、不揃いな粒は弾いて余計なものは取り除いて、が当たり前だと思っているふしがあるのかもしれません。
そうすると舞台芸術、舞台演芸の「ゆらぎ」を、面白みとしてではなく短所として捉えてしまうのではないだろうか、などとまたいつものように発想が飛んで行きました。

とにもかくにも、図らずいい経験をすることができました。最近ハマっている「おじさん」を生で観られたことに、ちょっとした感動を覚えました。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!