「惨め」の洞察 その1
・体調が悪い中で少し無理をしてお風呂に入ると、酷く惨めな気持ちになることがよくある。
なんでかよく分からないが、とにかく「酷く惨めな気持ち」としか言いようがない。
この「惨め」っていったい何だろう。
辞書を引いてみた。
インターネットで調べてみた
ダ・ヴィンチ・恐山さんのエッセイの中ではこんな文があった。
自分に対して使う「惨め」って言葉は、私にとって他に言い換えることが難しい言葉だ。
特に誰かに見られているわけでもない時に生じる「惨めさ」は独特だ。
単なる「悲しい気持ち」「落伍者意識」「劣等感」とはまた少し違う。
『ほこりを失うほど つらい』というのも「確かにそうなんだけど…」って感じで少し齟齬を感じる。
他人に対して「惨めだね」と言うとしたら、それはきっと「見てらんないよ」とか「痛(笑)」みたいな、侮蔑や嘲弄を含んでいるような気がする。
誰かに見られている時に、失敗したり恥ずかしいことをしてしまったりして惨めな気持ちになっているのであれば、それは自分を俯瞰して見ていて、その俯瞰して見ている第二の自分が「痛々しいよ(笑)」と背後から言ってくるゆえに惨めな気持ちになっているのだろう。
この、誰かに見られているわけでもなく、失敗したわけでもないときに感じる「惨め」は一体何なんだろうか。
惨めな気持ちになると、大抵私は祈ったり文章を書いたりしている気がする。どうしようもなく吐露したくなる。
そして(特に文章を書くと)それに対しても齟齬を感じて、自分の中にあるこの「惨めさ」を過不足無く吐露することができなくて、余計惨めな気持ちになる。
私の「惨め」は「齟齬」なのか?「違和感」なのか?
インターネットでどういう時に「惨め」になるのか調べていたら「お金がない時」「恋愛がうまくいかないとき」「劣等感を抱くとき」「孤独を感じたとき」「仕事がうまくいかないとき」などが出てきた。
全体をざっと読んでみたけど、正直「私のこの「惨め」を全く分かってくれてないな」と思った。
私は度々、「私の希死念慮は私だけのもだから、誰にも理解されていると思われたくない」と日記に書いているが、この「惨め」も同じかもしれない。
むしろ希死念慮よりも「惨め」の方が人それぞれな気がする。
「惨め」ってなんですか?あなたの「惨め」はなんですか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?