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語りの名人クラウディウス

クラウディウス帝を描いた歴史小説から、フリッツ・ライバーの「クォーモールの王族」らしさを感じ取れた。

ヘッダー画像:UnsplashJohannes Beilharzが撮影した写真
この記事は古代ローマの小説について書いているので、ローマから南にいったところの海岸の写真をヘッダーとしました。Thank you.

この作品を読みました

ロバート・グレーヴズ著, 多田智満子・赤井敏夫訳, 『この私、クラウディウス』, みすず書房, 2001, 原著は1934年にニューヨークとロンドンの両方で出版されている。

本書に興味を持ったのは、私の好きな作家フリッツ・ライバーがきっかけだ。ライバーは帝政ローマを舞台にした『この私、クラウディウス』がお気に入りで、ファファードとグレイマウザー(ライバーの小説の登場人物)をクラウディウスの宮廷に配した作品を考えたほか、なんと約25回も本書を再読したらしい。※1

※Bruce Byfield, “Witches of The Minds”, Necronomicon Press, 1991, 26-27頁による。ByfieldはLocus誌1984年4月にライバーが書いたエッセイに依っているので孫引きということになるのだが、Locus(こちら)のバックナンバーが電子化されてるのは2011年までなので…。

グレーヴズは、女性にまつわる神話についても一家言あった人らしく、Byfieldもそれについて説明しているのだが、どうも私にはよくわからず(グレーヴズは女性の権利獲得のために行動する人というよりは、女性に関して自分が満足できるような理論を育むタイプだったらしい)、漠然とググってたら松岡正剛さんがグレーブズの著作について述べている記事を見つけた(こちら)。

あらすじ

本書は、ローマ皇帝となったクラウディウスが、自分が生まれる30年ほど前から「黄金の苦境」(3頁)を己にもたらした即位までの約70年を一人称で語る、という体裁の歴史小説だ。

冒頭に主要登場人物一覧があって、付録として系図が一枚ついてくる。

オクタヴィアヌスとアントニウスの内戦が終わったあと、政治体制や権力の継承を巡って人が死んだりする時代に生まれたクラウディウスは、身体が悪く周囲からはよく扱われなかった(※1)。

クラウディウスは、血筋故に避けられない権力争いから可能な限り身を遠ざけようとはするが、自分をかわいがってくれた兄や友人が争いのなかで死ぬことは止められず、時には自分もあわやという目に遭う。

だからといって全編が陰鬱なわけでもない。尊敬する歴史家二人の論争に巻き込まれるという死にはしないけれども困りはする揉め事に巻き込まれる、という笑いもある(今風に言えば尊死しかけた、といったところ)。

さらには、病床の実兄を見舞った怪奇現象に頭を悩ませたりもして、ミステリーの趣もある(※2)。

※1読み手の立場、属性によるとは思うのですが、私が読んだ限りページを捲るのをやめたくなるほどの描写は無かったです。むろん、実際に口に出すことがはばかられる言葉はでてきますし、感じ方は人によるとは思います。

感想

ライバーが好んだというのも納得の作品だった。当時における政争の雰囲気が「クォーモールの王族」の雰囲気に通じるのだ。

実兄ゲルマニクスが呪い(のような現象)でじわじわ衰弱していくさまや(265頁)、愛人の首筋や衿もとの美しさをたたえ、それゆえに愛人を斬首してしまうカリグラからは(387頁)、「クォーモールの王族」のグワーイ王子を連想できる。

となると、状況に巻き込まれつつも観察者、すなわち語り手をつとめるクラウディウスからは、体型についてあれこれ言われつつも*見る*ことにかけて一目置かれているハスジャール王子を連想するほうがよいのだろうか。

なにより、自分のことすらユーモアを込めて見つめるクラウディウスの語りだ。皮相的な読み方かもしれないけれど、こういう語り口(文体)がなによりライバーに影響を与えてるのだろうなあ。25回も再読すれば文体に影響するに違いない。


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