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「キャメロット最後の守護者」―ヒロイック・ファンタジーの思い出

ゼラズニイのアーサー王物語

ロジャー・ゼラズニイの小説「キャメロット最後の守護者」はワクワクがいっぱいに詰まった、文庫本約37頁の短編です。

ロジャー・ゼラズニイといったら神話です。「キャメロット最後の守護者」(以下、本作)はゼラズニイのアーサー王物語と言い切れる逸品です。

ゼラズニイのファンタジーといったらディルヴィシュとか、登場人物つながりで『アヴァロンの銃』(真世界アンバーシリーズ)とか、思い出すことはたくさんあるものの、収拾がつけられなくなるので今回はおいときます。

本作は(幻想怪奇というより)、冒険活劇よりのファンタジーだと思います。魔法使いと主人公による駆け引きの魅力は、初読のときはもちろんのこと、再読したときにはより一層輝きます。

一般的には、本作をヒロイックファンタジーにふくめない気もしますが、主人公が主人公だけに、ヒロイック(英雄の)とも言いたくなります。

ほかには『神曲』の引用(日本語版388頁)があったりと、ゼラズニイらしいキザなところがあるのも魅力です。

それでもって翻訳は浅倉久志先生なのですから、めっちゃかっこいいに決まっているのです。

(2021年12月25日に細々したところを書き直したり、Web横書きっぽくしたり、何かと手を加えた)

書誌情報

このあと、訳文と原文に触れたいので、ちょっと書誌情報をば。

ロジャー・ゼラズニイ著 浅倉久志訳「キャメロット最後の守護者」(ロジャー・ゼラズニイ『キャメロット最後の守護者』1984, 早川書房に所収、底本は下記のPocket Books版)

Roger Zelazny “The Last Defender of Camelot” (Roger Zelazny “THE LAST DEFENDER OF CAMELOT” 1980, Pocket Booksに所収、初出は1979)
同じ名前の書籍がほかにもありますが、翻訳元は、魔法使いが20世紀のストリートをのぞき込んでいる表紙絵をもつこの本です。

2019年に、本作だけをおさめたKindle版が出たそうですが、筆者はまだ読んでません。

ここから下が、盛大なネタバレです。結末部分を引用しています。未読のかたは、読んでからスクロールすることをおすすめします。

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 ゼラズニイ『ドリームマスター』にも出てくるウィンチェスター大聖堂。

なお、ヘッダーの写真は「湖の」ランスロットにちなんで、みんなのフォトギャラリーから選ばせて頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。

ランスロットは聖杯を手にしたのか

ひとつ、問いを立てます。
結末でランスロットは「何を」つかんだのでしょうか。
以下に浅倉久志先生の訳文を引用します。

 それは白い光輪に包まれて、ゆっくりと彼の前を通りすぎた。彼はねばつく指を脇腹から離し、立ち上がってそれを追った。実質を備えた光り輝くそれ、あの大広間で見た幻とは似ても似つかぬ、神々しい至純の聖杯は、月明かりの平原を横切って、影から光の中へ、そしてまた影の中へと彼を導き、やがて霧に包まれながら、彼は手をさしのべ、ついにそれを抱きよせた。(ゼラズニイ著 浅倉訳1984, p407、強調は引用者による)

実は、原文では以下のようになってます。

 It passed slowly before him in a halo of white light. He removed his sticky fingers from his side and rose to his feet to follow it. Solid, glowing, glorious and pure, not at all like the image in the chamber, it led him on out across the moonlit plain, from dimness to brightness to dimness, until the mists enfolded him as he reached at last to embrace it.(Zelazny1980, pp293-294、強調は引用者による)

聖杯にあたる名詞がないこと、聖杯と翻訳されるのは代名詞itであることが、筆者の気になってるところです。言いかえると、文字にこだわって読めば、最後にランスロットがつかんだのは聖杯ではなく「それ」です。


すぐあとに続く碑文体のところでは以下のとおりです。

 ランスロットの書、その聖杯探索の旅 [中略] 冒険の記録をここに終わる(ゼラズニイ著 浅倉訳1984, p407)
 HERE ENDETH THE BOOK OF LAUNCELOT, [中略] IN HIS QUEST FOR THE SANGREAL.(Zelazny1980, p294)

聖杯探索の記録が終わったと書いてありますが、聖杯を手に入れたとは書いてありません。

なお、SANGREALとは聖杯(Holy Grail)のことで、Sangraalの異綴であり、Sangrailとも綴るそうです(『小学館ランダムハウス英和大辞典』による)。

おもいきってSANG*REAL*というムリヤリな読みをすれば、たとえ文字にこだわっても、最後にランスロットは*本物の*聖杯、すり抜けない聖杯を手にしたといえます(「すり抜け」については後述)。

もちろん、文脈からしたら、ランスロットは聖杯をつかんでいるのです(聖杯とは何かと、いう問題はまたあとで)。
浅倉先生にケチをつける気なんて毛頭ありません。

ただ、ゼラズニイファンとしては、ここに何か仕掛けがあるんじゃないかみたいなと深読みしたいのです。未訳が翻訳されたり、雑誌に掲載されたきりの短編が再録されたりと、いった見込みが薄そうな状況で、一ファンとしては、こうした遊びにに大いに興じたいのです。

ここまでの流れと似たような話題について、大修館書店さんが、夏目漱石「夢十夜」を例にした記事を載せているので、リンクをはります。

この物語における聖杯とは何か

次に、本作に出てくる聖杯とは何かと、いう問いを立てます。
訳文で「聖杯」とされるのは、原文ではHoly Grail, chalice, cup, SANGREAL, それと代名詞itです。以下に、訳文と原文をならべてます。

まず、主人公の正体と目的が明かされるところでの、ランスロットのセリフを引用します。

 聖杯を見出す日まで休息はないことを信じている。(ゼラズニイ著 浅倉訳1984, p379)
 I believe I will only know rest the day I find the Holy Grail.(Zelazny1980, p276)

このように、ランスロットとモーガナの会話では、Holy Grailあるいはitだけが、聖杯を示す語として出てきます。


次に、ランスロットの夢の場面です。モーガナが、聖杯とはマーリンが見せた幻であると、ランスロットに言って聞かせたあとのことです。単語の使い分けがわかりやすいように、訳文と原文を交互に引用してますが、実際にはひとつづきのシーンです。

一回目の聖杯はthe likeness of a chaliceです。

 一つの輪郭がととのいはじめ、聖杯らしい形になっていく……。(ゼラズニイ著 浅倉訳1984, pp386)
 Gradually, a form began to take shape at its center, resolving itself into the likeness of a chalice...(Zelazny1980, p280)

二回目の聖杯は代名詞itです。先ほどのthe likeness of a chaliceでしょう。

 彼は自分が立ち上がり、ゆっくりと動き出すのを感じた。広間の中を横切っていく聖杯のあとから、それを追って、音も立てず、のろのろと、まるで水中を動くように……。
 ……そして手を伸ばした。(ゼラズニイ著 浅倉訳1984, pp386)
 He felt himself rising, moving slowly, following it in its course through the great chamber, advancing upon it, soundlessly and deliberately, as if moving underwater...
 ... Reaching for it.(Zelazny1980, pp280-281)

三回目の聖杯はthe now blazing cupです。

 彼の手は光の円の中に入り、その中心へと向かい、いまや強烈な光を放っている聖杯に近づいて、それをすり抜け…。(ゼラズニイ著 浅倉訳1984, pp386-387)
 His hand entered the circle of light, moved toward its center, neared the now blazing cup and passed through...(Zelazny1980, p281)

最後の聖杯は、the chaliceです。

 とたんに光が薄れる。聖杯の輪郭がゆらめき、中にしぼみ、薄れて、薄れて、消え…(ゼラズニイ著 浅倉訳1984, p387)
 Immediately, the light faded. The outline of the chalice wavered, and it collasped (原文ママ) in upon itself, fading fading, gone...(Zelazny1980, p281)

以上の4箇所のように、夢の中の聖杯(≒かつて円卓の騎士たちが見た聖杯)は「すり抜け」るものでした。

一方で、ラストシーンに出てくる聖杯は「抱きよせ」ることができます。
上記に引用したとおり、「すり抜け」る聖杯が出る場面で、ゼラズニイはHoly GrailあるいはSANGREALという語を使いません。「すり抜け」る聖杯を示すためにitは使います。ここになにか、意図があるとおもえます。


とはいえ、本作の最後に、ランスロットが「抱き寄せ」たitが何かと、いう問いに立ち戻ると、なんともいえません。Holy Grailかもしれないし、今際の際に見た幻かもしれません。

ランスロットが最後になにをつかんだのかと、いう問いについて、我こそはというかたは、ぜひともコメントください。

作者は聖杯をどのようなものと設定したか

ちょっとゼラズニイから離れて聖杯のほうに話をよせるます。どうやら聖杯については、ケルトに由来するのか、それともキリスト教に由来するのかという議論がされていたらしいのです(筆者には難しくて手に負えないので、くわしくは紹介する書籍に譲ります)。

さて、本作を書くにあたって、ゼラズニイは聖杯をどのようなものと設定していたのでしょうか?筆者には答えがわかりません。

ケルトやアーサー王の要素が、ゼラズニイのアンバーシリーズに入っているので(パット見で分かるのはアヴァロンやティルナ・ノグス)、ゼラズニイは聖杯をケルト的なものと捉えていたかもしれません。とはいえ、キリスト教の要素を無視するだけの根拠もなさそうです。

なお、聖杯、ケルト、キリスト教といったテーマについて、下記2冊を合わせて読んだらおもしろかったです。

いずれも絶版です。それでも、最寄りの図書館に、たとえ最寄りになくても、依頼すれば自治体の境を越えて借り受けられるでしょう。ときには中古市場で値崩れがおきたりもします。

ジャン・フラピエ著 天沢退二郎訳『聖杯の神話』1990、筑摩書房、原著1979年フランス語(帯のオススメどおり第7章から読むのがグッドです)

新倉 俊一, 天沢 退二郎, 神沢 栄三訳 『フランス中世文学集2愛と剣と』1991、白水社

最後に、とにもかくにも「キャメロット最後の守護者」は傑作です。

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