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デリケートゾーンは自分の心とからだを知るバロメーター。1日10秒でもケアをして、ゴキゲンな毎日を

福島の特産“あんぽ柿”の製造過程で廃棄される皮を利用して開発されたデリケートゾーンケアブランド「明日 わたしは柿の木にのぼる」。企画・開発したのは、震災後の東北の力になりたいと福島県の国見町で起業した小林味愛(みあい)さん。自身も肌トラブルや女性の健康課題を抱えていた経験を商品開発にも生かしています。
デリケートゾーンを毎日ケアすることで自分と対話し、心とからだを整えることができると語る小林さんに、フェムケアやサステナブルブランド開発に着目した理由について語っていただきました。

男性に負けまいと猛烈に仕事をして……ついたあだ名は“鉄の女”

——大学卒業後は国家公務員の道に進んだそうですね。官僚時代の小林さんは、どんな感じだったのですか。

小林 希望に満ちて入職した職場でしたが、女性の総合職は周囲に私一人だったこともあって、今思えば肩身の狭い思いをすることもありました。だから男性よりもタフに働けて、仕事もできるんだという見せ方をしないと生き残れないと思い込んでいたんですね。肩肘張って激務をこなして、体調がすぐれなくても、とにかく仕事最優先で。オフィスの床にダンボールを敷いて寝泊まりしていたこともあります。男性社会の中で生き残りをかけて、揺れる体調や感情を押し殺して働き、“鉄の女”なんて呼ばれていたほどです。

“鉄の女”と言われるほど、がむしゃらに働いていた公務員時代

もともと子どものころから人の役に立ちたいと思い、人の役に立つ仕事といえば公務員が頭に浮かんで国家公務員になったんです。今思えば、小学生のころに周りの大人たちを見ていると、人に親切にしたり、地域のために尽くしたりする人のもとには自然と人が集まってきていて、誰かの役に立って生きた方が人生は素敵で楽しいのだな、と子ども心に感じたことが大きかったのでしょうね。ところが、公務員になった年度の終わりの3月に東日本大震災が起きました。職場だった議員会館のモニターに惨状が映し出される中、社会の役に立ちたくて公務員になったのに何の力にもなれなくて、自分の無力さを痛感したんです。

——震災を経て、ご自身の中に大きな変化があったのですね。

小林 いてもたってもいられず、有給休暇を使って被災地の石巻にボランティア活動に行ったりしましたが、もともと心身のコンディションがよくなかったこともあり、心もからだもついていけなくなってしまって……。助けを求める人たちを前に、思いはあるのに何の役にも立つことができなかったのです。

ならば現地の人ときちんと向き合って、自分ができる仕事で力になりたいと、地方創生を手がけるコンサルティング会社に転職しました。可能な限り東北の案件を選んで仕事をしたものの、民間企業なので会社の利益が優先される現実に直面します。

企業として優先してやるべき仕事と、現地の人の思いに寄り添いたいという自己矛盾に、どうしても自分の中で折り合いがつかなくなってしまって、勤務していた3年間は円形脱毛症が治らないままでした。不眠にも悩まされました。

激務で体調を壊しても休めない……働く女子あるあるへの疑問

——官僚時代もコンサルタント時代も、心にもからだにも、かなり負荷のかかる働き方をされていたのですね。

小林 もともと弱かった肌が荒れてしまったり、婦人科系のトラブルにも悩んだりしていました。公務員時代と会社勤めをしていた8年間は、体調をくずすとすぐに腟カンジダ症になってしまって、月に1度は病院通いでした。病院に行くといっても、待ち時間が少なくてすむ所を探して、お昼休みにこっそり行って薬をもらい、午後からは何事もなかったように仕事をしていましたね。

そんなことをしているのは私だけかと思って、あるとき同僚に打ち明けたら、婦人科系の病気に悩むことも、仕事に影響のない時間を見つけて職場をそっと抜け出して病院に行くことも「働く女子あるあるだよね」という反応。みんなそうだったんだと思う一方で、「“あるある”でいいの?」「こんなに無理をしなくては働けないの?」という疑問がムクムクと湧いてきました。

福島に移住し、特産の柿の皮に着目

—国家公務員、そしてコンサルタント会社を経て、起業したのはなぜでしょう。

小林 コンサルタント時代に感じた自分の仕事と現地の人の思いとのギャップ、そしてこんなに自己矛盾に悩んでいるのなら、誰か1人でもいいから、心から感謝してもらえる人生を歩もうと、自分の心の声に気づいたんです。決心するやいなや会社を辞めました。

そして当時、企業や人の支援があまりなかった福島県北の国見町に移住。本気でここで活動することを示すために会社を立ち上げたのです。

——葛藤や体調不良を抱えて仕事を続けながら、人に役立つ道を模索して、ようやく国見町での起業にこぎつけた小林さん。柿の皮を活用することはすぐに思いついたのですか。

小林 それが試行錯誤の繰り返し。最初にトライしたのは国見町の特産品の桃でした。種からオイルが抽出できると文献で知り、試みるも商品として流通できるほどの量は取れませんでした。

国見町は渋柿を半生乾燥させた「あんぽ柿」も特産で、次は柿で何かできないだろうかと、国立国会図書館に通って論文や資料を調べ続けたら、柿の効果や効能に関するデータが収集できて、これは深掘りする価値があると目をつけました。でも、今度こそ人の役に立てる兆しが見えたのに資金が足りなかったので、その先に進めません。

ちょうどそんな時期に、知人から紹介されてフェリシモさんの「とうほくIPPOプロジェクト第7期(2017年募集)」に応募。幸運にも思いが伝わり支援企業に選ばれて、その基金で柿の研究に着手することができました。

国見町では、あんぽ柿を作るために廃棄される柿が3タイプあります。ひとつは立派な柿を育てるために間引く、摘果された青柿。二つ目は高齢化などで農家さんが収穫できずに熟してしまった完熟柿。三つ目があんぽ柿の製造過程で出る柿の皮です。その3種類を研究機関に持ち込んで、成分分析をしてもらいました。その結果、柿の皮にポリフェノールやビタミンCが豊富に含まれていることが判明。柿の皮に特化して研究を進めたところ、すぐれた消臭・抗菌効果をもつカキ果皮エキス、カキ果皮水の抽出に成功しました。これは結構な大発見。柿の皮は“あんぽ柿”を作る国見町だからこそ入手可能な原料とも言えますね。

自分の肌の弱さや揺らぎから感じたフェムケアの大切さ

——その柿の皮を使って、デリケートゾーンのケアアイテムを企画されたのはなぜですか。

小林 「とうほくIPPOプロジェクト」で出会ったフェリシモの担当者さんに言われた「商品開発って、贈りものなんです」というアドバイスが大きかったですね。その言葉は当時も今も私の大切な軸となっています。柿の皮のエキスから商品を考えるときも、贈りものとしての意味を込めることを大切にしました。

公務員時代も会社員時代も、私は心身共にコンディションが悪かったから、人にも自分にもやさしくできる余裕がなかった。だから、女性の心とからだを健やかに保てて、日々の自分の心身の状態がチェックできる商品を贈りものにしたいと思いました。そしてたどり着いたのがデリケートゾーンのケアアイテムです。1日10秒でも、自分の心身をケアする時間をもつことで、女性ゆえの揺らぎやすい日々の変化に気づきやすくなる。すると、もっともっと自分をいたわり、自分にも誰かにもやさしくできますよね。

——「明日 わたしは柿の木にのぼる」というブランド名もいいですね。

小林 「贈りもの」として気持ちを伝えようと考えました。男性に負けまいと、がむしゃらに働いた日々。あのとき、誰かが「それ、明日でも大丈夫だよって」言ってくれたら、どんなに救われただろうって。だから、私たちのブランドは「ひと呼吸置いて、明日で大丈夫だよ」と言える存在になりたいと思いました。それで、「明日」から始まっています。

「わたしは柿の木にのぼる」は、自分で人生を選んでいけるという意思表明です。あえて「わたしは」という主語を入れて、「のぼっていい?」でも「のぼってみようかな」でもなくて「のぼる」と言い切りました。「明日」と「わたしは」の間が半角空いているのもこだわりで、時間や心のゆとりを表現しています。周りの人からは「ブランド名が長すぎる」「わかりにくいからやめた方がいい」と諭されましたが、フェリシモの担当者さんだけは「いいね」と背中を押してくれて、勇気がもてたんです。

女性の悩みを解決するサステナブルなブランド

——国見町の農家さんたちにとっても、うれしい贈りものとなったのではないですか。

小林 今まで廃棄されていた柿の皮に原料としての価値を再定義できれば、農家さんの新しい収入源になります。それもあって商品化を実現させたかったんです。
それから福島でものづくりをしているひとりとして、絶対に海を汚さないものを作ることにもこだわりました。原料は100%天然由来のものにして、海に流れても、畑に流れても環境に負荷を掛けず、完全に自然に還るものを作る……。そこは譲れなかったし、大切にした部分でした。

——素敵なお話をありがとうございました。ブランドに込めた小林さんの熱い思いが伝わってきました。

小林 女性のからだって、とても繊細です。仕事、家事、子育てなどさまざまな要素が不調の原因になって、体調に不安を抱えながら生活をされている方は少なくないと思います。デリケートゾーンは、自分の心とからだを知るバロメーター。毎日のケアを行うことで、からだに起こる変化に気づけば、それぞれの時期に応じた対応ができるようになり、ゴキゲンな生活へとつながっていきます。ご自身のからだは誰よりも身近な存在です。だからこそ大事にしてほしいですし、「明日 わたしは柿の木にのぼる」が女性の心とからだを守るきっかけになれればうれしいですね。


小林 味愛(こばやし みあい)
株式会社 陽と人(ひとびと)代表取締役
1987年東京都立川市生まれ。2010年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、衆議院調査局入局、経済産業省へ出向。2014年に退職し、株式会社日本総合研究所へ入社。全国各地で地域活性化事業に携わる。2017年8月、福島県国見町にて株式会社陽と人を設立。子育てをしながら、福島県と東京都の2拠点居住生活を送る。


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