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ハダカ

食に携わるお仕事をされているお客さまが
「作ったお料理を見られるのはハダカを見られるようなモノですよ!」と

お料理というのは
作り手の これまでの生き方や環境や 視覚 味覚 嗅覚 性格
いろいろなモノを観じとって表現しひとつのお料理が完成するんだなと驚いてしまった

感性を凝縮して完成する

わたしなんかは気軽に考えていて
家にあるもので作るスパゲティーがことのほか美味しく仕上がると
もしも わたしがお店を開店したらこれをメニューにしよう

とあれやこれや妄想してしまうけど
食に正面から取り組み 理論 技術を追及し 経験を重ねて
そのうえに想像力をエッセンスに加えてゆく

想像力のなかに理論と技術と経験が含まれるというのかな。

ハダカを見られるのが
恥ずかしいか否か

はまた それぞれに持つ個性でもあるのでしょうが

勇気と決断力のいることなのだと。

驚いたのにはもうひとつ

あって

どの職業も
共通しているんだな
ってこと。

わたしはセラピストとして
感覚はとても大切なことだけど
理論や技術 経験がそろってひとつだと思っていて
まぁそこまでたど
り着くには紆余曲折 いろんな葛藤があっての今ですが

どの職
どのような立場
にあっても
それを示唆する言葉を耳にするたびに。。。
たとえばお笑い芸人さんや 役者さん 空間デザイナーさんのコラムなんか読んでいて
まったく違う生き方 世界で生きているのに思うところって共通していたり
職業や立場を通して

じぶんと向き合う
そんなじぶんを表現する

ってことだから
共通しているんだなぁってあらためて。

「職業」を通すと 自分の志す方向とか今、目の前のこととか 設定しやすく わかりやすいけれども

それは
主婦としてとか
母として父として
子供として
とかでも

やはり共通する一筋の線があって
自分を表現すること
覚悟をすること

基本は自分を見つめる 理解する 認める

すべてはここからはじまっていて
一見 なにも関係のなさそうな職業や立場でも

その時のそれぞれの
内観度合いに共通したものを
察知して 気があったり
魅力を感じたり
はたまた対照となる人がいてはじめて 自分の見つめ度合いがわかったりする

(わたしなんかは
ソワソワしたり落ち込んだりの時はそれを一度持ち帰り美味しいモノ食べたりゆっくりお風呂に入ったり 気分を整えてから見つめなおすという「お持ち帰りの術」も最近 習得した。。。書いていて気がついたけれど以前から やっていたけれど それは直視できなくて逃げて そんな自分に罪悪感を感じていたのだけど 今はあえて 選び観察して楽しめる余裕が出てきたのかも)

人それぞれ
向き合っているんだなぁ
と感じた出来事です