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自然の怖さ

東北の桜を見に旅へ

初めてのフェリー泊
海の上で眠ることを1番に楽しみにしていたのですが
意外とエンジン音が大きくて
海はとても萎えていて穏やかだったけど
大きな大きな海を進む力というのはスゴい大きいのでしょう
前へと進む圧が波のようにずっと感じて
1時間おきに目が覚める

そのたびに窓から外を眺めて
遠くの岸沿いの光を見つめ
北海道からだから
あの光は函館かしらとか

苫小牧を出港するとき東側の空に綺麗な月が望めた
月を愛でる
落ち着く癒しだ
そのうち月は船上に昇ったのか見えなくなって
あぁもう月は船の上か後側なんだなぁとちょっぴり残念がっていた

眠れずに夜中の2時過ぎにまたベランダのカーテン開けて

ギョッ

ほんと飛び上がるほどの
だってさっき見えなくなったはずの月が目の前の
いつもならビルや山に隠れて見えなくなるのが
なんの遮りもなく手にとれるように感じる目の前で静かに光って海に光の道を作っていたのですから

そうか秋田までだから方向が変わって西に向いているんだなと後で地図を見て思いましたが

月は内なる自分
ほんとうのわたし
そんなふうに思っていて
外より内なる自分の世界が落ち着く
ずっとそこに住んでいるようなところがある

普段
あんなに焦がれている月を
こんなに怖がる自分に動揺する

なになに
なんなの??

自然というのは大きくて静かでどっしりとしていて
なにか飲み込まれそうで恐怖を感じることがある

海や山のそれも
一見 憧れるけれどいざそこへ踏み入ると怖さが溢れ出す

雄大で包みこんでくれるもの
なにも言わずにただそこに存在していて わたしたちはその中で揺れながらいる

日常に左右されずなにもなかったかのように安定した本質の自分に憧れて日々コツコツ練習していても
実はなにもないことに慣れていなくて
それこそそこに対面すると不安定になるのかもしれないな

深く胸にきざまれた旅の印象のなか
出会った1冊の本

没28年経っても読みつがれる
アラスカの大自然の雄大さ厳しさのなかで暮らし撮影、執筆活動をされていた星野道夫さんの本の一節にそのヒントが記されていた

ここに来るたびに、ぼくは悠久な時間を想います。人間の日々の営みをしばし忘れさせる、喜びや悲しみとは関わりのない、もうひとつの大いなる時の流れです。

きっと情報があふれるような世の中で生きているぼくたちは、そんな世界が存在していることも忘れてしまっているのでしょうね。だからこんな場所に突然放り出されると、一体どうしたらいいのかうろたえてしまうのかもしれません。けれどもしばらく底でじっとしていると、情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまった想像力のようなものです。

文春文庫 旅をする木 星野道夫著より

あの恐ろしさをもう少し体感していたらまた違う気持ちになったのかなとか
これからきっともっと静かに見つめることが出来るのかもしれない

今のわたし自身を静かに見つめる感覚はこのくらいなんだろう

とか。

妙に腑に落ちて