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グレースケール

最近は耳鳴りがひどい。静かになったと思ったらまた、右耳がずっと濁流の中にいるようだ。うるさくてうるさくて結構なストレスだ。

こんにちは。また久しぶりの投稿になってしまったなあ。ここ数日気分が落ち込み気味なので文章でも書こうと思います。この重い感覚は一体どこからやってくるのでしょうか。何か嫌なことがあった訳でもなく、体調が優れない訳でもない。暗い湖の底へと落ちていくような、そんな感覚。

よく寝ていると思うし、よく食べていると思う。更にはよく飲んでいると思う。飲んでいるということに関しては良いのか悪いのか定かではない。今日は仕事の都合で少し睡眠が短かったけれど、普段は7~10時間は寝ている。ただ、完全に夜型なので15時頃に起きて朝寝る生活なので、もしかしたら太陽は足りていないかもしれない。かといって昼間に外に出たいとも思わない。予定があれば動くし、暑いのは好きだからこのくらいの時季も悪くない。ただ、日差しが少し眩しすぎるくらいだ。眩しいのは苦手だ。

耳鳴りが頻繁に起こるようになった。友人曰くストレスによるものだそうで、病院に行くよう勧められた。結局病院のために起きて動くのが面倒で行けていない。そのまま2日ほど過ごすと元に戻った。けれどまた今日再発した。一体原因はなんだろうか、睡眠不足だろうか、などと考えている。もちろんストレスの一切無い生活をしているなんてことはないが、それでも世間一般的に過ごしている人々よりはストレスの少ない生活をしていると思う。それでもこんなことが起こるのであれば、もうお手あげだ。私にどうしろって言うんだ。こんなに自由に生きているのに。私は静かに過ごしていたいのに。

そういえば先日、母の誕生日のお祝いに家族会が開かれた。横浜中華街で久しぶりに中華を食べた。フカヒレ、北京ダック、エトセトラ、エトセトラ。昔あんなに大好きで喜んで食べていたものが、今食べてみると何がそんなに良かったのだろうかという感覚になった。いや、とても美味しい、美味しいんだけれど、あの頃の感動はそこには無かった。それがどこか悲しいような気がした。家族と酒を飲みながら話す事は楽しい。あと何度、こんな時間が来るのだろう。父も母も、もう若くはない。帰り際の寂しそうな顔が頭に浮かぶ。大丈夫だよ、私はなんとか生きているからね。

私の生活に足りないものなどあるのだろうか。強いていうなら金銭的余裕か。友人も居る、遊びに行く予定もある、仕事もある、住居もある、酒もある。家に帰れば人が居て、食事を作ってくれる。一体私は何が不満なのだ。それすら分からない。いや、分かったとて改善することが面倒だから分からないフリをしているのかもしれない。考えない方が楽な場合もある。人生のほとんどがそうなのだという気もする。

どこに居ても憂鬱で、話をすることがひどく煩わしい。何も考えずに清潔な空間でただ横になりたい。ふわふわとした白い枕と布団に包まれたい。今求めるのはただそれだけ。それだけ、と言いつつも、贅沢だなと思う。そんな贅沢は私を迎えに来たりしない。なぜだろうね、こんな気持ちになるのは。心が、感情が、惨めというような…。そんな大層な言葉で表して良いものでもないか。


これから夏が来るというのに。
耳鳴りが酷いせいで誰の言葉も聞こえない。

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