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日々の生活

誕生日。
一年の中で一番自分を許して過ごせる日。色んな事を「まあでも、誕生日だしね」で許せる。やる気が起きなくたって、眠たくたって、誕生日だからね、別に良いんだよって。

また一年、光の速さで過ぎていってしまった。特に変わりなく、ただただ平凡な日々が過ぎていった。

去年の夏はフェスに行ったりしていたけれど、今年はなんとなく気分がのらず、チケットは手元に無い。ライブハウウスには何度か行っている。飲み会の予定も去年に比べて少なく、次は8月のバーベキューだろうか、という感じ。ライブ終わりに飲みに行ったり、何かの最後に酒を飲むことはあれど、飲み会をメインにした1日は最近あまり無かった。

ただ働き、ゲームをして、たまに音楽を聴き、酒を飲む。平々凡々な日々を手放すのが怖くなってしまったように思う。

この平穏な生活を手に入れるために、私は無意識に生きていたのかもしれないとも思う。ただ生きる、ということも案外大変なものだ。

「何者かで無いことを受け入れる」
その直後はとても心が軽くなり、平和だった。
けれど、こうしてそんな生活を続けていくにつれて「何者かで無いこと」もそれなりにしんどいことなのだということに気がついた。
「何者か」になるために生きていた日々と、「何者でもない」ことを受け入れて生きる日々、そのどちらにも違ったしんどさがある。
結局、どちらの方が自分に合っているのか未だに分かっていないような気がする。

ただ、何か変化を求めている自分がいるのも確かで。このままこの日々が続くのであれば40くらいでサクッと死にたいとも思う。仕事も変えてからもう2年半が過ぎたにもかかわらず、まだまだ沼に足を取られてうまく歩けない。まったくもって難しい業界だ、私には到底理解しきれない。そんなふうに少し拗ねながらもなんとかやっている。

何か変化が欲しいけれど、自分でそれを追い求める気力はなくて。このままならこのままでも別に良くて。映画を見たり音楽を聴いたりして涙を流すこともまたできるようになった。このまま、このままでも充分幸せなのだ。それは重々承知しているのだ。

そんなことをずっと考えている。答えなど出ない。私はそのまま、また今日という日を過ごし、帰って酒を飲み眠るのだ。

そんな1日だって良いんだ、だって明日は誕生日だから。

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