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「知らない」という尊さ

めちゃくちゃ久しぶりに書きます。
PCも新しくなったので、なんとなく。

昨日、「若い」とはなんだろう?と、ふと、本当にふと思いました。
昔は若いからとか関係ない!と思ったり、私はずっとこの先もこうだから!とかそういう風に思っていたけれど。今は新しいことを始めた時にこの年齢で何も知らないのって恥ずかしいな、とか、嫌だな、と思うようになりました。

若い頃はそんなこと考えもしなかった。若いから、知らないという現実は当たり前でとてもその感覚に自分も、周りも寛容だったのです。周りに関しては私がそう感じているだけで、本当は今でも寛容なのかもしれないけれど。

そして、若いけれどしっかりしていると思われたい子がすごくよく分かるようになってしまった。特に女の子。あぁ、きっとしっかりしていると周りに言われているんだろうな、そしてそれが嬉しいんだろうなと。

でも、そんな子を見るたびに過去の私を今更ながら客観視できるようになって恥ずかしくなるんです。これはそういう子達にも失礼なのは分かっているんだけれど、ここでだけ少し話をさせてください。

あの頃はたくさんのことに挑戦して、自由で、全部自分で決められる私が大好きでした。けどもしかしたら、大人から見た時に可愛げはあまりなかったのかな、なんて思うんです。「しっかりしてるね」って、もしかしたら褒め言葉じゃなかったんだろうか、なんて。もしかして、皮肉だったのかな、なんて。それしか私には言うことが無かったんじゃないかって、そう思ったんです。

でも、若いことは素晴らしいっていうのは、その「知らない」ってことがやはり尊い。どんなに大人にあれこれ言われたって、知らないんだもの、知らないからきっと頑張れるし、知らないからきっと我武者羅になれるし、知らないからこそキラキラとしていられる。どんなにその先にいる大人が言ったって関係ない、今を生きる為に、想像を超える人生の瞬間を生きている。それがとても尊くて素晴らしいことなんじゃないかなあなんて思いました。

私だってまだ平均で考えたら人生の半分にも満たないけれど、なんとなくその子を見ていて思った。ああ、この子多分私に似てるんだって思ったから、多分きっとどこかであの子もこう思う時がくるのかもしれない。でも私は何も言わなかった。多分あの子は今がすごく大好きで今の自分がすごく好きだから、そのまま全力で生きていて欲しいと思った。それに横槍を入れてくる人間なんて蹴散らしながら、たくさん「知らない」ことを楽しんで欲しいなって、心底余計なお世話なんだけど、思いました。

「知らない」ことを楽しめなくなった時に
多分、私は大人になった。

その分知っているからこそ楽しめることも増えるから、大人になっても人生は楽しい。けれどあの時の私は戻ってこないし、あの瞬間はあの瞬間でとてもキラキラしていて尊い瞬間だった。

大人になるのも良いけれど、たまにあの時が恋しくなる。
こうやっていつかの走馬灯のフィルムを集めていくんだなあ。

そんなことを考えた初夏でした、おしまい。

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