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いつかその日が来たら

いちばん大切に想ってる人から「結婚しよう」って言われてらどんな気持ちなんだろう。

天にも昇る気持ちとか、夢見ごごちなんて言葉が当てはまるようなふわふわした気分になるのだろうか?
叶うはずの無い願いを、何度も思い浮かべては、しゃぼん玉のように一瞬で消えて行く。

あの日からそんなことを十年以上も思い続けている。


「文香、俺さ結婚しようと思うんだ」


日曜日の穏やかな日差しが降り注ぐ午前中、洗濯物を干す私に向かって海斗は何げなくそう言ってきたので、洗濯物を干す手が一瞬止まってしまった。

どんな顔をしていいのか分からなくて、振り返ることができない。


「今、何て?」


あまりにも突然すぎて、息が詰まりそうになりながらそう答えるのがやっとだった。


「だから、結婚したいの。ねぇ、文香どう思う?」

「ど、どうって…なんでそんなこと私に聞くのよ。」

「いや、こんなこと他の誰にも相談できないし。」

「はぁ?あんた相談できる友達いないの?」

「友達はいるよ。や、こういうことは先に文香に相談したいじゃん。家族だし。」

「そういう時に限って律儀に家族って言うのね、海斗のそういうところは嫌いじゃないけど。で、結婚したい相手ってどんな子なの。」

「ああ、去年か一昨年に友達の紹介で知り合ったんだよ。3歳年下ですごく可愛いんだよ」

「ふーん。そう。」

洗濯物を干し終わって、居間で寝転がってる海斗を軽く蹴とばして足早に脱衣所に向かおうとした。


「ねぇ、文香はどんなふうにプロポーズされたら嬉しい?」


子犬のような屈託のない笑顔で私にそう聞いてくる海斗が憎らしい。

そういうところは初めて会ったあの日から変わらないから、余計にもやもやする。


「そんなの、私がされて嬉しいプロポーズが海斗の彼女が嬉しいわけないじゃない。自分で考えなさいよ。」


少し乱暴に少し意地悪くそう言ったのに、海斗はそんなことにも気が付く様子はない。


「なんだよ、一緒に考えてくれたっていいじゃないか。」


そう言って頬を膨らませる顔を見ると、ますます憎らしくなってくる。

海斗に分からないようにため息をついて「そこでゴロゴロされると邪魔なのよ」と言って脱衣所に逃げ込んだ。


いつかこの日が来るとはどこかで思っていたけど、予想よりうんと早くて驚いた。

仮にあと十年後でも、そう思っていたに違いない。

覚悟しきれない覚悟がどこかにあるのは確かだった。


海斗と初めて会ったのは十五歳で、高校に入学してすぐの頃。
海斗は小学六年生になったばかりだった。

私は母の連れ子として、海斗は母の再婚相手の連れ子としての出会いは、突然ではあったけれど小柄で小動物のような海斗を可愛らしいというのが第一印象だった。


お互い思春期を迎えた中で血の繋がらない弟との生活は、予想とは違っていてとても穏やかで楽しいものだったが、3年後のある日、事態は一変した。

大学1年になったある日、母親と海斗の父親が自動車事故で亡くなってしまったからだ。

二人で旅行に行った帰りのことで、居眠り運転をしていた対向車が中央分離帯を越えて二人が乗った車に突っ込んでしまう不運な事故見舞われてしまったのた。

悲しいという感情も沸かないまま二人を送り出し、呆然としてしていた私に海斗はこう言った。

「文香のことは俺が守るから…」

その言葉を、今思い出しても胸が痛む。
高校生一年生になったばかりの海斗の決断。
生意気だなと少し思ったけれど、どれだけ救いの言葉になったことかだろう。

その日から私と海斗の二人暮らしが始まった。

海斗は男らしくそうは言うものの、純粋でどこか頼りない海斗をどんなことがあっても、絶対に守らなくてはと私も思い始めるようになったのだが、それがいつ愛情に変わっていたのか、その愛情は家族としてのものなのか、異性としての愛情なのかも分からない。

突然の告白に頭の中が真っ白になっていて何も考えられないし、息をするのも苦しいし、涙はどんどん溢れてくる。

それでも、海斗には泣いていることが分からないように声を抑えて泣かなくてはいけないと、なぜかそんなことだけは冷静になっている。

その言葉は一生聞きたくなかったのに、そう思えば思うほど抑えきなくなりいつの間にか声を上げて泣いていた。


「文香、どうしたの?大丈夫?」


脱衣所の扉の向こうからとっても優しい声で、心配しながら海斗が呼びかけている。

そういう優しいところは、初めて会ったあの日から変わらない。

私以外の誰かにもその優しさを向けていたとも知らずに、ずっと二人だけの暮らしが続けられたらと思っていた私がおめでたいのだ。


「プロポーズが上手くいったら、家に連れて来なさいよ。ちゃんと紹介して。」


泣き顔を見られないように俯きながら脱衣所から出てきた私の頭を海斗は優しく撫でた。


「ありがとう。もちろん、文香は誰よりも大切だよ。だからちゃんと紹介するよ。」


どこまでも優しい声が、私の心をチクチクと刺す。

でも、不思議と涙は出てこなくなかったから、きっと大丈夫、海斗をちゃんと送り出すことはできそうだ。


「ところで、お腹空いたんだけど。お昼ご飯何にする?」

「じゃあ、オムライスがいい。」

「いいよ。文香の好きなオムライス作るよ」

どこまでも優しい海斗に今はたくさん甘えよう。

いつかその日が来たら、精一杯の笑顔で送り出すために。

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