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空中散歩

 ゆっくり動いているその乗り物に乗り込み、彼と隣合わせで腰掛けた。
係員の女性が「いってらっしゃいませ」と笑顔で送り出してくれる。


二人だけの狭い空間。一周15分の空中散歩が静かに始まった。
地上が少しずつ遠ざかっていく。私達は無言で外の景色ばかりを眺めていた。


11月ともなると夕方4時を過ぎるとすっかり日が暮れかけている。街にあかりが灯り始めて眼下に広がる高速道路の渋滞は、ヘッドライトとブレーキランプがひしめき合い、キラキラと輝きを増していた。


彼が少し上ずった声で「ねぇ、見てあそこ」と言った。そこに視線を向けると、さっきまで私達が無邪気にはしゃいで遊んでいた巨大テーマパークがライトアップされていて、より強い光を無数に放っていて、宝石箱のように眩しい光を放ち続けていた。


私は「うん、きれいだね」とそっけない返事を彼にしてしまった。
理由は二つあって、一つはあまりにも美しい景色に息を飲んでしまったから、もう一つは彼の隣に座ってから、ずっと私の手を握っていたのだ。

そして「高い所が好きではない」と言っていたせいか心なしか手は震えているように感じた。
彼がいる右側だけがやたらと熱く感じる。身体から発する熱がダイレクトに伝わって、胸の鼓動をより加速させる。


そろそろ、この乗り物が目指す頂上に近づいてきた。多くのカップルがしているであろうことを経験するのだろうか?とにかく初めてのことだから何も良くわかっていない。そんなことを頭のなかでぐるぐると巡ってくると、何となく彼と視線が合った。


彼が「あっ」と小さな声を上げて私の髪の毛に触れた。その刺激で私の身体に一瞬、電気が走る。
「髪の毛に付いてたよ。これ。」そう言って彼は私の左の手のひらに枯れ葉を置いた。


「あ、ありがとう」一気に緊張がほぐれたせいか、期待していた出来事が起こらなかったせいか、私は力なく返事をしてしまった。
そこから気まずい空気がなんとなく漂いはじめてしまった。お互い話すことも無く、無言になってしまい何とももどかしい気持ちになる。


少しずつ地上が近付いてきた。もうすぐ二人だけの狭い密室の15分の空中散歩も終わりに近い。
そろそろ降りるのに立ち上がろうとした瞬間、彼は私の耳元で囁いた。

「始めて会った時からずっと好きだった…ねぇ、僕と付き合って欲しいんだ」と、夢かと思った。
ずっと好きな彼に言って欲しい言葉だった。
今日だって初めて二人だけで遊ぶことになって緊張して眠れなかったくらいなのに…


急に力が抜けて立てなくなってしまい、引っ張り上げられるような形になってしまった。
「足元、お気をつけください」と先ほど笑顔で送り出してくれた係員の女性が出迎えてくれた。


普段であれば、ただ流れて過ぎていく15分。
でも、あの乗り物に乗ったら劇的に私達の中で何かが変わった15分だった。

 それから数年後、彼に誘われて再びあの乗り物に乗った。そして頂上にたどり着くころに「結婚しよう」と呟いて、私に口づけた。


やっぱり彼は高い所が苦手なようで、その時も心なしか小刻みに震えていたように感じた。
今となっては、彼のそんなところも愛おしくて仕方がない。

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