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7月に思うこと

 「親ガチャで言うとハズレを引かせてしまったわね。」

ランチタイムを過ぎても、まだ混雑している新宿の喫茶店で、ぽつりと母が言った。

何をどう答えて良いか分からず、目の前にあった珈琲を飲んだ。

とうに運ばれて時間が経った珈琲は、苦みだけが喉にまとわりつく。

「何も考えずに、結婚して、あなたを産んで、離婚して、お父さんと再婚して、あの頃のあなたには、ずいぶんと、ひどいことをしたと思って。」

と続けざまに言葉を投げかけた。

「まぁ、考えなしに行動するのは私も似たところはあるし、産みの父親に引き取られたら、いくら関東でも田舎だし、生活が不便過ぎて何かと恨むかも知れないけど、さすがにもう、何とも思ってないって。」

そう答えるのが精一杯だった。

この言葉自体に嘘はない。

母が離婚をした時の年齢を、私は遥かに上回ってしまったので、理解できることもある。

当時の母にしてみれば、日々の生活に必死だったことは、想像できるし、父親を好きになってしまっていたのだから、どうにも止められない衝動にも駆られていたのだろう。


 「それならいいけど、本当に今思うと、申し訳ないと思って。」

「もう、大丈夫だって、それにしても何で急にそんなことを言い出したのよ。」

未だに喉に絡みつく苦みを取るために、水を口に含んでから聞いた。

「そろそろ終活しようと思って、写真の整理をしてたんだけど、あなたの小さい頃の写真が出てきて、いろいろと、あの頃のことを思い出しちゃって。」

「終活って、まだ早いでしょうに。」

「70歳も過ぎたら、やれるうちにやっておかないと。そんなことはいいんだけどさ、お父さんがあなたの小さい頃の写真が見たいっていうから、見せてあげたら、ずっとこの頃は、可愛い可愛いって言ってるのよ。」

「今は可愛くないんかい!ってお父さんに言ったわよ。」

「今も可愛いって言ったら、それはそれで、引くわ。」

何とも歯がゆい気持ちになって、別の話題にそらせて、この話はそれ以上しないように、全力で回避した。

現在の父親は養父にあたり、血のつながりは無い。

私のことをどう扱っていいのか分からず、戸惑いながら、それでも、愛情を持って育ててくれたのは間違いは無い。

ただ、当時の幼い私には、その戸惑いや、父親の不器用さが理解できなかっただけだった。

いや、もっと正確に言うと、一度理解はしていたのに、自分の都合のいいように、事実を作り替えていただけに過ぎない。

 どこかのタイミングから「両親、特に父親からは愛されていない」と思い込むようになってしまっていた。

それが元で、自分の恋愛がままならないとさえ思っていた時期もあったし、何なら「親の愛情を知らない可哀そうな私。」まで言い始めて、被害者意識を前面に押し出していたのだから、タチが悪いことこの上ない。

 母親からの話を聞いて改めて「愛されていない可哀そうな私。」が過度の思い込みどころか、過剰な演出により、図々しくも悲劇のヒロインを爆誕させていたのだったと痛感した。

愛していないわけでもなく、愛されていないわけでもない。想いのベクトルが私が思う方向ではないと、わめいて、その愛情を見ようとしていないだけだった。

不器用過ぎる父と、物事が自分のいいようにしか見ることのできない娘。

伝わらなくて、伝えられなくて、理解しても己の解釈で物事をゆがめ、その想いを受取れなかった。

 ずいぶん前に父親から言われたことを思い出した「困ったことがあっても、自分で解決しないで相談しなさい。頼ってくれないからお父さんは少し寂しいよ。」と。

この時に、一度は父親の不器用さを理解したはずだったのに、愛されていると自覚していたはずなのに、そう言われても人に甘えることが最大の悪ぐらいに思っていたし、父親には話にくいことも多かったので、素直に受け取ることができなかった。
そして、いつの間にか忘れてしまい、都合の良い解釈で歪めてしまった。

ある程度の人生経験を積んで、私なりに甘えることや頼ることを覚え、そこに罪悪感がなくなった今、かなりの受け取り拒否をしていたんだなと実感する。
そして、親のせいにしてあることない事を並べ立てて、親不孝以外の何ものでもない。

 「親ガチャなんて存在しない。私はあなた達が両親で良かった。」

 そう言えたら良かったけど、恥ずかしいのと今はまだそのタイミングではないのかなと思って口にしなかった。

「今日はありがとう。また連絡するね。」

口にできなかったその言葉の代わりに、こう言って、帰宅ラッシュが迫る新宿駅の東京行きのホームまで母を見送った。


 誕生日を目前にして、両親の大きな愛情に触れた。

私は親になることはできなかったから、受けた愛情のバトンを子どもに渡すことはできないけれど、大切な誰かに渡すことができたらと思いながら、反対側のホームに移動をし、混雑した電車に乗り込んだ。

 

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