憎しみたくないから神になる

誰も憎しみたくないから
私は神になろうと思った
人類みな我が子で、親が子を憎むわけがないだろう?
皆に慈愛を。そんな神になろうと思った。

穏やかで朗らかで温かい人になりたい
こんな憎悪いらない
つけられた傷なんか癒えたらもうどうだっていいだろう
どうして許してあげられない
苦しむのは自分なのに
治らぬよう自分で傷を深くする
それこそ実に醜い、神を模した、人間らしい人間の姿か

ある時私はこう記した
愛する子、私はただ産んだだけのくせに大きなワガママを言います。生きなさい、苦しみ憎しみ悲しい人の生きる道を、行きなさい。と
その言葉は
私の脳にも同時に届いた
愛する子への言葉が、自分にも重くのしかかった
神の言葉?いや
神が子を愛するように
親が子を愛するように
私を1番に愛しているのは、私なんだ
自分だけはいつも自分を見ている、だから自分の嫌なところをみて、行いに嫌悪もする、自分の神は自分だよ
私が、神が、私に苦しみ生きろと言っているんだ

配偶者、私の場合は苦しみの対象はあなたなんだけど
私の価値を評価していいのは、あんたなんかじゃない
私を大切にしないあんたに左右されるために、大事な私は存在しているんじゃない
でもきっと私はまだ彼を大切な人だと思ってる
沢山沢山傷付けてきて、そう思ってる
もう、憎しみ合うことしかできなくなった
たぶんお互いを理解できることはない
あなたと私は違いすぎて
同じ苦難に直面しても、共に戦うことができない
もう彼との道は別れ始めているはず
でも私をまだ些細な言葉や態度で傷つけられるのも、あんただからなんだろう
きっと大切な人だからなんだろう
はやくこの気持ち捨てたい


私は子を作った
その子を育て上げる覚悟をしたとき私は初めて人間になろうとした
まともな人間に。
それまでは強欲を背負った化け物
人の愛を吸い取って無かったことにする欲深い底なし沼。

子を見つめて生活していくと、子は親を自分の全てのように愛してくれた
君の黒い目には私がキラキラと映ってた
いつも私を見ている、そして愛した
自分の作った子が、自分にとって、自分と同じくらい価値を持った、初めての他人

私は怒られたくない、とても怖いから
それがわかるから、子が怖がり傷付き泣いたとき私も傷付く
なのに、わかっているのに、それ無しに、子に怒り傷付き傷付ける事なしに生きる方法は恐らくきっと、多分ないんだろう
欠けたところのない、傷のない完璧な球体になることは難しい
傷を全て癒しきるためには
苦しみを失くすためには、どうしたら?
どこまで生きても常にどこかしらに生傷は持っているのか
つけられた傷の苦しみ憎しみがなくなることはないのか
痛む傷にさえ微笑む時が来るのか
すねに幼子の身長を刻まれるような、微笑ましい傷だけが記憶に残るのだろうか
いつか
いつかは。
痛みに対する憎しみもなく。
それまで苦しむのが人生なのか
最期は笑っていけたら
ああ、神様、

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