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永遠も半ばを過ぎて

こちらの記事で書いたように、ニューヨークから帰国して成田空港近辺のホテルで14日間の隔離生活を送っている。

窓が無く光が一切差し込まない、かつ特殊な形状の浴槽や天井に貼られた鏡などから改装前はラブホテルだったのであろうことがありありと伝わってくる室内で、隔離日数の半分である7日間を過ごした。

木々が生い茂る、街灯もない真っ暗な細道を抜けた先に佇むホテルだったので、最初はかなり怖かった。

このへんは、成田空港の建設にあたって反対派がゲリラ戦を展開し、警察や機動隊が約6,000名を動員してこれを鎮圧したという有名な事件の舞台となった地だそうな。周りを囲む山林には当時の反対派の地下壕や団結小屋が遺っているのかもしれないし、川辺にポツポツと並ぶ殉職した警察官の慰霊碑を見ると、背筋がひやりとしたものだった。

しかしまあ3日目くらいには慣れてきて、夜間の外出さえしなければ怖いことは全くなくなった。

午前11時頃に掃除が入るので、いったん部屋を出る。周りにはラブホテルしか無いので時間をつぶす術はなく、歩いて20分の距離にあるローソンへと向かうのが日課になっている。

このローソンとの往復40分が、私が1日の中で陽の光を浴びる唯一の時間だ。これでもって私の体内時計は時差ボケを直すためにキリキリと針を動かしている。

その日の食事を買い込んでホテルに戻ると、お部屋は気持ちよく掃除されている。1日に一度、必ず停電が起こって部屋が真っ暗闇になるけれど、それ以外はかなり快適である。

しかしこういう無意味な滞在というか、主体的な意図のない謎の外泊を続けていると、あることが頭の中から離れなくなる。

「精神と時の部屋」に入った、悟空たちのことだ。


精神と時の部屋とは、ドラゴンボールというマンガに出てくる亜空間の名称で、現実世界での1日が1年分の長さになる。つまりこの部屋で1年過ごしても現実では1日しか経っておらず効率的に修行ができるため、悟空たちが好んで利用していた。

うろ覚えだけど、たしか部屋には昼や夜の描写はなかった気がする。常に同じような明るさで1年が過ぎていくのだろう。今の私の部屋がまさにそうだけど、私はまだ外出によって日光を浴びることができるからいい。彼らはそれができない。しかも14日どころではなく1年とか2年とかの長期間滞在する。自律神経に不調をきたすのではないかと思った。

そして食事も、ツボに入った得体の知れないおからのようなものを食べていたように記憶している。私は今コンビニでメシを調達しているけど、たった7日間をコンビニの弁当や惣菜、インスタント品で過ごすというだけでまあまあ飽きるし、味が濃くて胸焼けしてくる。彼らはあのおからみたいな食べ物だけで飽きなかっただろうか。

まあ私と違って悟空たちには強い敵を倒すための修行という主体的な動機があるので、多少の不便には耐えようという気持ちが持てていたのかもしれない。


……というようなことを考えながら過ごしている。

このことからもおわかりいただけるように、外からの刺激に乏しすぎて、こういう空虚なことしか考えられない。

ニューヨークでの日々を振り返ろうと思っても、今の環境とのギャップがあまりにデカすぎてぜんぜん心が追いつかず、記憶を整理できないでいる。

これは別にホテルが悪いわけじゃなくて、隔離という生活スタイルそのもののせいだ(念のため言うけどホテルには不満は全くない。宿泊費の圧倒的な安さに対してこの部屋の広さと清潔さはお見事)。

慣れたとはいえ、ニューヨーク生活を総括するのはこの隔離生活のあとになりそう。

けどまあ一方で仕事にはかなり集中できていて、ニューヨークにいたときに溜まっていた諸々のTodoが良いペースで消化できている。空虚なことしか考えられないぶん、あんまし頭を使わなくていい仕事ならバリバリ捗るということでしょう。窓がないおかげで密閉度が高いせいか、飛行機が近くをガンガン飛んでるとは思えないほど静かだというのも良い。

3日目くらいまでは永遠のように感じられた隔離生活だけど、とりあえず割といい感じで折り返し。早くおいしいもの食べたい。

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