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映画「サマー・オブ・ソウル」の興奮と熱狂と、ちょっとしたツッコミ

8月27日(金)より、映画「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」が日本公開された。

ありがたいことにご厚意でオンライン試写会に招いてもらい、一足先に観た。

観る前からわかってはいたけど、やっぱり家の貧弱な再生環境では物足りない、絶対に映画館で観たい。そう思わずにはいられないパワフルなドキュメンタリーであった。

そう、こちらの映画はドキュメンタリー映像なんですね。

1969年にニューヨークのハーレムで開催された野外のお祭り「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。

うだるように暑いハーレムの夏、6月〜8月にかけて計6回に日程を分けて行われ、無料ということもあって30万人以上が参加したこのお祭りを記録した映像は、なんと50年もの間、誰の手にも触れられることなく眠っていたのだという。

1969年といえば、同じニューヨーク州内でウッドストック・フェスティバルという全米最大規模の野外フェスが開催されていた。こちらが大変な知名度を誇り、関連書籍やDVD化などの記録が広く公開されているのとは全く対照的だ。

そしてこの年はキング牧師が暗殺された翌年であり、ニクソン大統領が就任を果たすなど、それまで勢いをもって拡大してきた公民権運動が失速した頃。一方でベトナム反戦については「ベトナム反戦デー」として全米で運動が繰り広げられるなど、一つのピークを迎えていた。そういう年だった。

映画の見どころはいっぱいある(見どころしかない)。

ハーレム、ていうとヒップホップとかのイメージが強いと思うが、実際にはスパニッシュ・ハーレムといってラテン系の方々が多く住むブロックもあり、狭いエリアの中で文化的に渾然一体としている。

たとえばヒップホップとラテン音楽をなんとなく分けてしまう、みたいなのは我々の先入観によるもので、実際にハーレムの様子を見てみると、分けるというのがどんなにナンセンスなことかというくらいに、あまりに自然に共存しているのがわかる。

その共存ぶりは、この映画の中からも十分に感じ取れるだろう。あらゆる音楽を楽しむ人々の姿に、きっと心打たれるはずだ。


そう、人々の姿。

若きスティービー・ワンダーや全盛期のスライ・ストーン、強烈なるニーナ・シモン、圧巻のマヘリア・ジャクソンなど、出演陣も豪華で片時も目を離せない。個人的には特にグラディス・ナイトが良かった。

だけど私が本当に目を奪われたのは、彼らの音楽に乗せて喜びや楽しみ、怒り、悲しみを全力で解き放つ、観衆の皆さんの表情だった。

映像からでも、とんでもないエネルギーがほとばしっているのがバシバシ伝わってくる。

暑さのせいもあるだろうけど、来ている人達の表情は決して「歓喜」といったものばかりではない。険しい顔をした人もいれば、楽しんでいるのかどうかわからないような人もいる。もちろんジャンキーだっているだろうし、その日の食事もままならない人もいたのだろう。だけどみんながそれぞれ音楽を享受し、自らの体でそのパワーを表現している(Express Themselves!)。その力強さに心打たれる。

ぜひ、この観客の表情にも注目しながら観て欲しい。


ということで本作は貴重かつ非常に素晴らしい映像記録であり、映画監督未経験ながら見事な形にまとめあげたクエストラヴ(ザ・ルーツのドラマー)に敬意を払いつつ、しかし、ちょこっとだけ言いたいことがある。

それは「...Or, When the Revolution Could Not Be Televised(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」というサブタイトルについてだ。

こちらは詩人ギル・スコット・ヘロンの1970年作「Revolution Will Not Be Televised(革命はテレビ放映されない)」という曲名を参照したもの。同氏の中でも最も有名な、影響力のあった曲ではないだろうか。

商業的なコマーシャルやプロパガンダで人々を操作する、テレビをはじめとするマスメディアへの痛烈な批判と、「家(すなわちテレビ)から抜け出して、革命に参加しよう」という人々へのメッセージを兼ねた曲だと思う。

で、この曲名をサンプリングした。

「あるいは、革命がテレビ放映されなかった時」という言葉をサブタイトルに用いた意図は、わからないことはない。このイベントを革命だと位置づけると、映像が50年も日の目を見なかったことは確かに、テレビ放映されなかったといえるわけだし。

だけど逆に言えばこの言葉は「今は革命が放映される時代」とみなしているとも捉えられる。

このイベントの映像に限らず、パソコンやスマートフォンで、インターネットやSNSを介して誰でも情報をシェアできる現代をもって、「放映される時代になった」と言いたいのか、と私は思った。

それは、本作のような黒人史においても世界史においても社会的意義が高く重要なイベントを取り扱う上で、あまりに軽薄な言葉のチョイスではないだろうか。

パソコンやスマホ、あるいはネットやSNSは、今や我々の暮らしに欠かせないインフラとなったと同時に、人種差別をはじめとするあらゆるヘイトの増幅装置となるなど、数え切れないほど多くの問題を内包している。その深刻さはテレビ主流の時代を超えている。

この現実に対して、無批判に「今は動画時代だぜ〜総シェア時代だぜ〜。革命だって誰かがYoutubeにアップしてくれるもんね」と言っているように聞こえる。

ギル・スコット・ヘロンがそんなこと言うと思うか? もし彼が現代に生きていれば、それこそ「革命はコンテンツ化されない」とか「革命は消費されない」とか「革命はYoutubeにはアップロードされない」とか、そういうことを言っていたんじゃないだろうか。

こういう惹句で耳目を集めようという狙いだろうし、クエストラヴが決めたのかどうかも知らないけれど、とりあえずこのサブタイだけは無いなって思いました。

内容は最高なので、ぜひご覧ください。

映画「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」公式サイト

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