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瀧本哲史さんが遺したもの。ーー『瀧本哲史論文集』を読んで

ほぼ一年ぶりに瀧本哲史さんのことを深く思い出す機会となった。
『瀧本哲史論文集』が発売されたのだ。

本書は瀧本哲史さんが生前に自著以外で書き残した文章をまとめたものである。それらを時系列で並べてあるので、読みながら、瀧本さんのメッセージの変遷が辿れるようになっている。

2019年に永眠された瀧本さんは、エンジェル投資家であり京都大学客員准教授も務め、ビジネス書作家としてもベストセラーをいくつも発表した人だ。せっかくなので、彼の著作を並べると以下のようになる。

『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社、2011年9月)
『武器としての決断思考』(星海社新書、2011年9月)
『武器としての交渉術』(星海社新書、2012年6月)
『君に友だちはいらない』(講談社、2013年11月)
『戦略がすべて』(新潮新書、2015年12月)
『読書は格闘技』(集英社、2016年4月)
『ミライの授業』(講談社、2016年6月)
『2020年6月30日にまたここで会おう』(星海社新書、2020年4月)

最後の1冊は、没後、編集者が講演をまとめたものなので、いわゆる「著者」として活動された期間は6年だったことがわかる。彗星の如く現れ、毎年のように注目される本を出す。この時代にビジネス書の編集者をしていた人間にとっては、目の離せない著者であった。

そんな瀧本さんは自著以外にも執筆を依頼されることが多かったに違いない。ただ、これは想像なのだが、瀧本さんは、執筆や取材、それから講演やイベント登壇などの依頼を軽々しく受けていなかったのではないか。出るべき機会を慎重に選んでいたように思う。なので、残された文章も書き流したものはなく、厳選し、どれも確固たる意思を持って書かれたものであろう。

ロジックと体系をわかりやすく独自の切り口で語る人

本書では大小含め9つの文章が紹介されているが、最初の2つは、2010年8月に京都大学でベンチャー教育に携わる先生方と一緒に出した『ケースで学ぶ 実戦 起業術』の中に収められた文章である。まだ自著を出す前に発表された文章ということになる。この2つの文章は、起業必要な知識と考え方を教科書のように、体系的に書かれている。

最初の「第1章 勝てる土俵で戦う」は、起業におけるビジネスアイデアの生み出し方からスタートアップでのマーケティングのやり方について、知るべきポイントをコンパクトにまとめているのだが、教科書的と言ってもそこに瀧本さんならではの個性が滲み出ている。

例えば、ビジネスアイデアについては限界利益率の高いものを勧めているが、その事業についての記述はこうだ。

端的に言えば、その製品・サービスが石(半導体)、電気信号(コンテンツ、ソフトウェア、I T)、小麦粉(いわゆる粉物屋系の外食ビジネス)など、無尽蔵にある資源を原料としていて、それらの材料で何をどのように作るかという「知恵の部分」はどんなに使っても「使い減りしない」というタイプの事業が好ましい。

(p.88)

ここには事業における固定費と変動費の構成が利益率の大きな違いを生むことを端的に示している。と同時に、分かりやすい。半導体を「石」とコンテンツを「電気信号」と表現するユニークさ。それに人の思考力への確信。このあたり、論理的な説明にとどまらない。

さらにマーケティングに関する記述では、物事の構造を的確に捉えておられることがよくわかる。

究極的には、マーケティングの目的は、社会的には、限りある資源(人であれ、設備であれ、エネルギーを含むその他の資源であれ、また消費を裏付けるものとしての金銭であれ)が人々の必要とすることに効率的よく役立てるように、資源配分を行うことにある。

(p.99)

そして「世界の秩序が、暴力や強制ではなく、人々の合意によって成り立っている以上、世界はマーケティングに溢れている」とし、マーケティングは「自由な社会の最も基本的な活動であり、すべての人が身に付けなければいけない考え方である」(p.102)と位置付けている。マーケティングをこのように表現した人はいただろうか。資本市場や経済構造のメカニズムを深く理解していたことが窺い知れるし、同時に、盤石ではないかもしれない資本主義に対しても、その批判をするわけでもなく、むしろポジティブな意味合いを見つけ、うまく利用しようという姿勢が見える。

もう一つの「第6章 出口戦略を常に意識する」では、Exitの方向性を、①株式公開(IPO)、②会社売却、そして③事業の終了、という3つに分けて書かれているが、卓越すべきは、全ての項目でそのメリットとディメリットをきちんと書かれていることだ。一般的にスタートアップではI P Oこそ成功の代名詞と思われがちだが、そのディメリットまでここまできちんと書かれている。それが経験談としてでなく、資本市場や組織構造から生じるディメリットなので、誰もが陥る可能性のあるポイントとなるのだ。事業の終了も、普通は「起業の失敗」として特に教科書的な記述では多くが語られないが、瀧本さんはここにも積極的な意味を与えている。

瀧本さんが敬愛した価値観

後半に収められている文章で印象的なのが、ピーター・ティールが書いた『ゼロ・トゥ・ワン』に瀧本さんが寄せた日本語版序文である。この文章は、ノリノリで興奮しながら書いている様子が目に浮かぶ。ピーター・ティールはペイパルの創業者であり投資家として著名な方だが、まるで瀧本さんはティールに乗り移ったかのように、若い人に向かって「目線をあげよ」熱く激励を飛ばしている。それこそ全身全霊を込めて、訴えかけるかのような文章で非常に読みごたえがある。

ティールについては、

生きているうちにすでに伝説になっている人物であり、私にとっては、フランシスコ・ベーコン同様に(中略)、尊敬の念をおかざるを得ない存在

(p.231)

と書いているが、ベーコンを持ち出すあたり、ティールを単にシリコンバレーの成功者と見ていないのは明らかで、まるで子どもが憧れのヒーローを語るような口調でティールの何が凄いのかを延々と語る。

つまりティールは、強い個性を持った個人(ただし、実際にはティールは少人数のチームを重視する)が、世界でまだ信じられていない新しい真理、知識を発見し、人類をさらに進歩させ、社会を変えていくことを、自らの究極の目的としていたのである。

(pp.237-238)

そんなティールが起業に関する本を書けば、世の中の流行と同じものになるわけがない。ティールは、ヘッジファンドのマネージャーとして世界経済の流れに逆張り投資していこともあるくらいの「逆張り投資家」であるから、本書の内容も逆張りである。

(p.238)

まだ多くの人が認めていない「隠れた真実」を、利害とビジョンを共有したマフィアによって発見して、それを世界中に売り込む。少人数のチームが、テクノロジーを武器に、世界に非連続な変化を起こす。

(p.241)

これらの文章から瀧本さんの敬愛していたメッセージは、「誰もが認めていなくても自分がいいと思うことを信じよ」ではないか。世間が認めているとか関係ない。むしろ世間の常識の逆を行けと。友達に賛同してもらう必要もない。「自分がいい」と思うことを突き詰めれば、同志は必ず集まる。そして同志と一緒に行動すれば、世界は変わる。どんな小さな個人でも信じるものがあれば未来を作れる。だから一人でゲリラとして立ち上がれ、と。

この瀧本さんの考えに、打算や世間体や見栄などまるでない。あるのは真理を突き詰めた先にある成功への確信である。あたかもそれは不確実性のある世界ではなく、瀧本さんに言わせれば、真理の追求ほど確実なものはないとさえ読める。僕が瀧本さんが好きな理由は、この真理を信じ切る純度だったと思う。

瀧本さんに感化されたゲリラたちが仕掛けた本

本書の最後に掲載されている文書は、大学生協でのブックフェア用に瀧本さんが書いたものだ。東大、慶應、早稲田、京大という4つの大学ごとにそれぞれの文章を書かれた。母校の東大生に対しては「世界の地方大学、東大に満足するな」と挑発し、教え子たちである京大生には「正解のあることは、AIと東大生に任せましょう」と檄を送る。革新をつくメッセージに交えるユーモア。日付を見ると、これらの文章は亡くなられた4日前となるので、これが公にした最後の文章だったかもしれない。

自著以外で発表された文章を集めた本書は、いわば瀧本哲史さんの自著をつなぎ合わせるハブのような本である。順を追いながら読むことで、瀧本さんの訴えたかったことの変遷がわかる。それぞれの自著が残っていることと同様に、散らばっていた文章もこうして本という形で、残ることが非常に嬉しい。実は僕が雑誌の編集長をしていた時に寄稿してもらった2つの文章も本書に掲載されていて、個人的にも感無量である。瀧本さんの思考と思いが「言葉」として残ることに対し、本書の製作者に感謝したい。

同時に、この本は、生前の瀧本さんに感化されたゲリラたちが、勝手に仕掛けた本だ。表紙や帯には、おどろしいほど熱いコピーが並ぶ。

「武器を取れ」
「君が、やれ!」
「君たちが未来を変えろ」
「瀧本哲史が遺した『言葉=武器』を大量収録!」

と。そもそも、本書のサブタイトル「カオスの時代の、若者(ゲリラ)たちへ」というのも編集者たちが勝手につけたものだ。本文は巨大な活字の「檄」という一文字から始まり、最終ページは紙面一杯を使った「思考せよ、行動せよ。」というコピーで終わる。

瀧本さん本人がこれを見たら「おいおい、やりすぎじゃないか」というか、あるいは「そうきましたか!」と笑うのか。いずれにしろ彼らは、瀧本さんの言う「ゲリラ」を増やそうという強い意思のもと仕掛けたのだろう。と同時に、彼ら自身が瀧本さんが遺したゲリラではないか。このゲリラが生み出した本書は、瀧本さんの考えと思いが、いまなお「言葉」を超えて生き続けている証左である。


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