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古典的名著を読むか?要約本を読むか?――『種の起源』で実験してみた

いくつかの偶然が重なり、前から気になっていたダーウィンの『種の起源』を読んでみた。あの進化論が初めて世に提唱された本である。気になっていたのに読んでいなかった理由はいくつもある。まずは長いこと。光文社の古典新訳文庫でも上下巻で850頁もある。おまけに生物学などが素人の自分にとっては、馴染みのない分野だけに理解できないのではないかという不安もあった。それでも、ちょうどいい機会となり、先日チャレンジしてみることにした。

読み終えるのに30時間

進化論については人並みに知っているつもりであった。僕が編集者として専門の経済、経営の分野でも「市場の進化」「組織の進化」などよく使われる言葉でもあり、違和感なく理解していた。だけど気持ち悪さはいつもあった。聞きかじりで知っているだけの言葉を自分の言葉として使うには、どこか嘘くさい。「なんとなく知っている」はいつまで経っても自分の言葉にならないのだ。

結果的に、読み終えるまでに約30時間かかった。平日は1〜2時間読み、土日に一気に読むというちょっとした非日常体験であった。

30時間をかけて「種の起源」を読んで、一番感銘を受けたのは、ダーウィンが進化論という、それまで定説になっていなかった考え方を世の中の人に知ってもらおうとするその姿勢である。当時の欧州では、生物の種は神が創造したものであると考えられていた。それが、他の生物とは違って人間は特別な存在であるという宗教の倫理観と結びつく。これを覆そうとするのは並大抵ではない。

ダーウィンは、若き頃ビーグル号に乗船し南米海域をつぶさに観察する機会に恵まれた。その後も植物、動物を問わずあらゆる生命体に興味を示し、丹念な観察と文献や他人の調査結果を集めて分析する。それらの研究を通し、種は何千回という世代を重ねながら、緩やかに変化してきた。世代を経る中で生まれる変異から、環境に適応する上で有意な特徴が次世代へと引き継がれるプロセスであり、種はそのようなプロセスを通して、元々の種から枝分かれしてきたという結論に達する。これが進化論である。

ただし、数億年前からの起こってきた事象を証明するすべはできない。科学として実験結果で示すこともできない。帰納法でも演繹法でも立証できないが、膨大な観察と分析を通して、「生物は進化してきた」という類論しかあり得ない。このことを、850ページを費やして自分の考えを理解しようとした、それが『種の起源』である。

この本の最も印象的なところは自然淘汰という考えに行き着く4章の記述である。自ら「自然淘汰」という概念を提唱し、なぜそのような作用が働いたのかをいくつもの例を出しながら、この考えしかありえないという記述を読むと、自分があたかもダーウィンから直接、説得されているような迫力がある。そして、世の中で進化論が初めて提唱されたまさにその瞬間に立ち会っているような臨場感から身震いさえ覚える。これが元本を読む味わいなのだろう。

1時間半で読めるガイド本

それにしても30時間は長い。読み慣れたビジネス書であれば7冊は読める時間だし、映画だったら15本観れる。試しに『種の起源』を読み終えた後、書籍になったN H Kの「100分de名著『種の起源』」を読んでみた。こちらは96頁で1時間半で楽に読みこなせた。

こちらの本は、進化生物学者が『種の起源』の内容をわかりやすく解説してくれるとともに、ダーウィンの人となりや、当時の時代背景、さらにはその後の進化論がどのように今日までに評価されてきたのかがわかりやすく書かれている。

ある意味、今日的な背景まで書かれているのは、元本にはない魅力であり、新しく知れたことも多かった。『種の起源』という大著の核心についても、さすがに見事に突いている。番組は観ていないが評判がよかったと聞く。そこから生まれた本だけあって、簡潔にまとめたコンテンツの完成度は相当なものである。

元本を読むのとガイド本を読むことの違いは何か?

では、30時間かけて元本を読むのと、1時間半で要約を読む違いはなんなんだろう?しばらく考えいたら、その違いはテレビで、サッカーの試合をライブ観戦するのと、ニュース番組で試合の結果を知るのとの違いに似ていることに気づいた。


ニュースでは90分の試合の中で、最も大事なところだけを切り出して30秒で得点シーンや決定的な場面を紹介してくれる。その試合はどんな展開で進み、誰が活躍して、どちらが勝ったのかを上手に編集してくれる。これを実際にテレビ観戦すると90分以上かかるし、両チームともに攻めあぐんでいる時間も延々と観ることになる。いつ得点が入るかもわからず、両チームの攻防が激しくエキサイティングな時間帯もあれば、膠着状態の退屈な時間もある。それらリアルタイムでみるのがライブ観戦の醍醐味である。ニュースと生放送、両者それぞれいいところがある。

しかし、どちらがより記憶に残るといえば、間違いなくライブ観戦だ。得点の入るシーンをニュースで観ても印象的だが、そのシーンに至るまでの攻防や得点後の経過までを観ていた中での得点シーンの記憶はそう簡単に忘れはしない。ライブで観ていたら、その得点シーンの直前まどちらのチームが優勢だったかもわかる。劣勢だったチームが、一つのチャンスをものにして得点したのか、優勢だったチームがついにゴールをこじ開けたのか。さらに言えば、試合の流れが変わったのがいつだったのかまでわかるし、得点後にどんな流れの変化があり、試合終了を迎えるか。その全貌を知った上で自分が記憶に残すことになる。「おいしい」シーンの切り抜きは結果はしれても、ゲームの記憶がそのまま残るわけがない。

さしづめ、全14章からなる『種の起源』をサッカーの試合に例えるとこんな感じだ。

自然淘汰と説明する4章が最大の見せ場であり、その前後、3章の生存闘争と5章の変異の法則を含んだ3章は攻めまくりの時間帯。ゴールシーンが量産される。後半にあたる8章以降は、進化論に対する想定される反論について延々と反証を示している。ここは実に丁寧にかつ誠実に反論が成り立たないことを示しているが、サッカーの試合に喩えると、完璧な守備で相手の攻撃を防ぐという構図である。前半にあげた得点を後半は鉄壁な守備で守り切り、試合終了。それが『種の起源』だが、この試合の流れは元本を読まなくてはわからない。

元本を読む価値はどこにあるか

果たして元本を読むのに30時間をかける価値はあるのだろうか。それは、『種の起源』を読んで何を得たいのかによるに違いない。進化論の概要を正確に知りたければ、信頼できる要約本で十分であり、1時間半もかければ完璧だ。しかし、提唱者のダーウィンがいかに進化論に辿り着き、どのように世に出したかを知るには元本を読むのがいい。そして、ダーウィンと対話して進化論を知る擬似体験。これは元本を読む最大の魅力かもしれない。

我々は本のおかげで、時間も場所も超えて、縁もゆかりもない歴史的な偉人と対話できる。進化論を知るためなら、『種の起源』を読むの魅力はさほど大きくない。進化論という生命体の根源に関わる理論を生み出した偉人の知的プロセスを知ること、ダーウィンの知的粘りづよさと観察から得られた事象を丁寧に積み上げていく思考力、そして知的誠実さ。これらに触れることこそ、『種の起源』を読む最大の価値であろう。進化論の概要のみならず、歴史上の偉人の思考から学べることは計り知れない。


追伸:もし『種の起源』を読んでみようと思うなら、先にN H Kのガイド本を読まれることをお勧めします。僕は元本を先に読みましたが、先にガイド本を読むことで、元本を読むワクワクは増幅されます!







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