見出し画像

「ルール?展」とホームランダービー

きっかけは、『法のデザイン』という本を読んだことだった。著者は弁護士の水野祐さん。とかく法律とは制約条件だと受け止められがちだが、本書では、法律を含む「ルール」が社会の中で新しいものを生み出す「機能」を果たす、その一面を紹介している。そしてルールをどのようにデザインしていくか。つまり与えられたルールを制約と考えるのではなく、自らルールを作り出すことでよりクリエイティブな世界が生まれることを提唱している。

本書を読み終えこの発想に大いに刺激されていた頃、タイムリーなことに著者の水野さんがディレクターを務める「ルール?展」が六本木の21_21DESIGN SIGHTで開催されていた。この展覧会が面白かった。

この展覧会では、幅広いルールを扱っている。法律や法令もあれば、契約や規格、そして社会生活の一部となっている習慣や慣習も、自然に出来上がったルールの一部だ。そして僕らは、これらのルールに囲まれて生活していることを実感させてくれる。それは規則に縛られた「がんじがらめ」の世界ではない。美しい意匠のデザインにもルールが隠されていて、その美しさの源泉になっていること。我々の普段の生活も、ルールがあることで誰もが安心できる仕組みになっていること。言われてみれば確かにそうだが、こうやって可視化されることで初めて意識的に気づく例が、行き届いた展示のデザインとともに教えてくれる。まさに、コンセプトとデザインが見事に融合し、独特な空間となっている。

印象的だった展示は、エレベーターの動画である。
最初は8人ほどの人がエレベーターに乗っている。そこから各階に止まるごとに降りる人がいて、8人が5人や4人へと減っていく。降りる人がいて人が少なくなる度に残された人は立ち位置を微妙に変えて、お互いの感覚を調整する。それはあたかも計画されたフォーメーションのように、8人の時の配置が3人になった時の配置へとスムーズに変化していくのだ。

この様子はまさに、人が無意識のルールに従っている典型例ではないだろうか。このエレベーターに乗っている誰もがルールを意識していない。ただただ、お互い同士の距離感に応じて、なんとなく窮屈でない位置どりをする、そのわずかな動きで、お互いが快適な空間を生み出している。

ここには、「エレベーター内の立ち位置」のルールが存在するのだ。ただし、このルールの存在を誰も意識していない。そして、このルールは誰が決めたものでもない。いつ決まったかもわからない。そして誰も「ルールに縛られている」と感じているわけではない。なのに、ここにはこのルールがはっきりと存在している。ある意味、エレベーターに乗っている人の能動的な動きでルールの存在が見えてくるのだ。

僕らはこうやって、知らず知らずのうちにお互いの暗黙の了解のもと、ルールを作って、それに従っている。そんなルールは世の中に無数にあり、罰則規定がなくても、誰もが緩く守ることで社会が成り立っている。歩いていて知らない人と体が触れ合ったら「すいません」と言い合うことで、それがなかったことにする。そんな日常もお一つのルールであり、それを認め合う両者が快適さを享受する。

この展示会に行った数日後、ちょうどアメリカのメジャーリーグではオールスターが始まった。大谷翔平選手が出場するということで、改めてアメリカのオールスターゲームが身近になったのだが、面白かったのはホームランダービーのルールである。
日本ではオールスターゲームの試合前に余興のように開催されている。それがアメリカではゲームの前日に、ホームランダービーだけのために観客を集める。ゲームはトーナメント制で一人ずつ持ち時間を与えられ、打者はその時間を最大限活用して、1本でも多くのホームランを打とうとバットを振り続ける。途中のインターバルの時間も決まっていて、また大飛球のホームランを打つと持ち時間が延長されるというルールもある。両者同数だった場合の延長戦のルールも厳格だ。

もはや、野球の試合でホームランを打つ技術とは別物のようにも思えるが、「誰が一番多くのホームランを打てるか」という単純なテーマに対し、それをエンターテインメントとして魅力的に見せるためのルール作りが素晴らしいのだ。聞くところによると、ボールも公式試合のものよりも飛ぶボールを使用しているという。投手がいないので、公式戦ではありえないルールも柔軟に取り入れるのだろう。会場は満員で大盛り上がり、これはルールの勝利の何者でもない。

ただのゲームも魅力的なルールをつくることでこれだけ人を魅了するのだ。賞金も1億円と言っていたが、魅了したルールを作り人とお客を集めることで、多額の賞金が可能になり、それがまたゲームを盛り上げる要因となっている。なんとも素晴らしい循環ではないか。

野球はグローバルなスポーツと言い難いが、メジャーリーグのレベルの高さが突出している。それは元々アメリカで盛んだったからという理由ももちろんあるだろう。そして優秀な選手の多いアメリカに、さらに優秀な選手が集まりメジャーリーグの一人勝ちの状況を生み出した。そんな説明が可能だろうが、優れたルールを作ったから優秀な選手が集まるようになったという説明も可能ではないか。日本や韓国、台湾だけでなく、メキシコ、ベネズエラ、プエルトリコなどの中南米からもとびきりの人材を引きつける。それは魅力的なルールによって、人とお金が集まり、その循環から優秀な選手も集まるという構図ではないか。

ルールは人を縛ることもできるが、人を魅了することもできる。ホームランダービーはその典型で、「どうしたら面白くなるか」を考え改良し続けてできているのが、現在のルールであろう。

ルールっていいなと思った。思えば子どもの頃は、遊びのルールを変えながら延々と遊んでいた。クリエイティビティとは「ルールの発明」とさえ思えて来る。その発明に著作権がないのもいい。組織や場をよくするのも、属人的な要素に頼らなくても、ルールによって実現するものである。

ルールは与えられるだけでなく、自ら作り出し、自ら書き換えていく。それによって、面白いこと、新しいことが生まれる。「ルール?展」とホームランダービーが教えてくれたことだ。

PS.「ルール?展」は11月28日(日)まで。休日なら午前中が空いていておすすめです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?