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3000人看取った医師が語る「人生のしまい方」

人生では避けたいことだけど、避けられないものがある。それはわかっているけど、考えたくない。その代表が「死」である。臭いものに蓋をするかのように、考えたり語ったりするのを避けてしまう。僕もその一人だ。

本書『人生のしまい方』は、そんな避けては通れない問いを突きつける。いや「突きつける」と書いたが、相手に逃げ場を与えない、そんな押し付けがましさがない。まるで、著者が寄り添って「一緒に考えてみましょうか」と言ってくれるかのように、この封印したままにしたい蓋をそっと一緒に開ける手伝いをしてくれる優しさがある。それが本書の魅力だ。

著者は緩和ケアの専門医として、これまで3000人を看取ってきたという。誰にとっても修羅場である「最期」の現場をこれほど経験した人は、どのように死を捉えているのか。「死」について鈍感にならないと続けられないのではないか。本書を読むと、むしろ、死に対し限りなく高い純度を感じる。多種多様な経験により偏った考えがそぎ落とされたフラットさである。

いまや高齢化社会で長寿社会である。それは若くして亡くなる人が減ったこと、そして医療の技術が上がり多くの病気が治療可能になったことが大きい。今日、死因の第一位が癌となっているが、それだけ他の病気の治療法が確立されてきたことの証とも言える。3000人を看取ってきた著者は、今日における「死」のイメージを次のように語る。
「亡くなり方のイメージとしては、老衰に近づいた変化があって、それに何らかの病気が加わった『老衰9割+がん1割』や『老衰8割+がん2割』のような感じです」。そしていまの社会を「亡くなり方としてはかなり理想に近い、幸せな社会なのではないか」と書かれている。

こう考えるとかなり穏やかな気持ちになれる。そして自分の人生の終わりを冷静に考えてみようかと思える。本書では、死を迎えること、人生の幕を降ろすことを、書名の通り「人生のしまい方」と表現している。この表現は「死を受け入れる」というよりも、さらに能動的だ。自分の最期を自ら望む方向にしようという意思が感じられる。

人生のしまい方は「生き方」の延長にあるのではないか。自分がどういう生き方をしたいか、そしてどういう人生を歩みたいか、その先に「しまい方」がある。誰もが考えたくない死だが、「どう生きたいか」の延長だと思えば、思いを巡らそうという気になるのではないか。

本書での著者の主張は一貫している。それは、この「しまい方」を自ら考えることだけではなく、家族や周囲の人と話し合っておこうと呼びかける。

「しまい方」が生き方の延長ならば、自分の人生について、必ずしも他者に語る必要はないかもしれない。しかし、他者とどう折り合いをつけるかは、まさに人生の問題だ。ましてや人生をしまう局面は、本人が望むと望まないとにかかわらず、周囲の人を巻き込む。介護が必要になることもあれば、医療処置が必要になることもある。自分が意思を表明できなくなる局面も訪れる。そんな局面に備えて自分の考えを家族や周囲の人に共有しておくことは、自分らしい生き方をする上で欠かせないだろう。
別の側面もある。遺された人への想像力だ。自分がいなくなった時、家族や周囲の人にどういう影響を与えるか。これも他者とどういう関係を築く人生にしたいかを考える一環なのだ。

本書には著者が看取った方々の中から13のケースを紹介している。自分の人生の「しまい方」について、家族や周囲の人ときちんと話しができたケースと、そうした話しができずに人生を終えたケースの両方がある。これを「いい例」「悪い例」という書き方をせず、本書では「すればよかった」「してよかった」という表現をしているが、この表現にこそ著者の暖かい心配りを感じさせる。
一人暮らしで死を迎える人、若くして死を迎える人、夫婦揃って緩和ケアを受けることになった人など。年齢も40代の方から80代の方々まで様々だ。

どのケースを読んでも心にしみる。とりわけ、家族に自分の意思をきちんと伝え、自分らしい「しまい方」をされたケースを読むと、何とも言えない穏やかな気持ちになる。70代の一人暮らしの女性は最後まで自宅で過ごすことを願った。40代のお子さんのいる女性は、「子どもの記憶に残るくらいまで生きたい」と言う。家族で旅行をしたい人、あるいは兄妹が仲直りするのを見届けたいと言う人。それらの患者さんに対し、緩和ケアの立場からサポートする著者、そして「しまい方」に向き合いながら、自分がやりたいことを見つめ直す人たち。向き合うことで自分らしい最期を見つける人。人の数だけ「しまい方」があり、それぞれにその人が生きた証が伝わってくる。これに付き添う著者が、一人ひとりの患者さんに耳を傾け、一人ひとりに合った処方をしている姿も実に印象的だ。

これらのケースを通して、本書では具体的なアドバイスもなされる。病院との付き合い方や、「しまい方」を家族で話すタイミングなど細かなことまで紹介されている。それらすべてが、背中を押すでもなく、寄り添うように書かれているのが本書だ。

自分の最期について考えている人に本書は格好の一冊であることは間違いない。だが、まだ自分は死を考えたくない人も読むに値する。いつか考えることになった時、この本がどれほど役立つかがわかるだろう。先日、知人が前触れもなく亡くなった。会社の飲み会の後に帰宅し翌日の朝に起きることなく、そのまま帰らぬ人となった。他人事として読んでもいい。封印していた死に対し、勇気を持って向きあうことを迫らないのが本書だ。そして、少なくても読むだけで人に優しくなれる本だ。



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