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後悔をなくすことができなくても、後悔を活かすことはできる。――『後悔を活かす心理学』

買えばよかったもの、買わなければよかったもの。やればよかったこと、やらなければよかったこと。言えばよかったこと、言わなければよかったこと。ことの大小は違えど、「よかったこと」と後悔は紙一重で、僕らは常にこのせめぎ合いの中で生きている。

『後悔を活かす心理学』を読んで、この日常の「事後的」なフィードバックとどう付き合っているのかを改めて考えるきっかけとなった。

そもそも、それぞれの「後悔」については身近な存在であり日々意識するのだが、抽象的に「後悔」という言葉を考えたことはあまりなかった。本書では、後悔を次のように定義している。

ある意思決定をするときに各個人が持っている「この程度の結果は得たい、得られるかも」という何らかの基準(予想や期待)と、その意思決定をした後に得られた結果との比較し、得られた結果がその基準に達しなかった場合に生じるネガティブな感情

(p.26)

つまり、言われてみると当たり前なのだが、後悔とは「意思決定」とその「評価」のプロセスで生じるものである。後悔理論なるものがそうで、それは「人間の意思決定は後悔感情を最小化する」という前提から成り立っているという。

後悔を考えるということは、自分の意思決定について考えるということに他ならないのである。ところで、本書でも登場するが、「できるかできないかより、やるかやらないかだ」という格言がある。これは、行動しないでうじうじするよりも、まずは行動してみることの大切さを解く。「できない後悔より、やらなかった後悔が大きい」ということだが、本書では、これが研究結果として正しいことが示されている。

「やった」後悔は結果が思わしくなかったから生まれるものである。結果が得られたことで、当初の期待値との差分が分かり、後悔の生まれる余地がある。逆に「やらなかった」後悔は、そもそも結果がわからないことから生まれる。「どうなっていただろうか?」が事後的にもわからない。未知なものが未知のまま残る。少なくても「やった」後悔は、その意思決定が自分にとって誤りだったことがわかるだけ、得られるものがあるとも言える。本書でも、

行動したために生じた後悔については、その行動をした直後は大きいが、その後悔は一時的・短期的で、時間が経過するとともに小さくなる。逆に行動しなかったために生じた後悔は、その行動を「しない」と決めたときにはそれほど大きくないが、その後悔は長期的に記憶に残り、時間経過とともに大きくなる傾向がある

(p.98)

と書かれている。そう、「すっきり」するのはどちらかは明らかである。

僕はどちらかというと、迷ったら「やってみる」意思決定をしがちである。なので、後悔は山ほどあるが、逆にいうと「やらなかった」後悔は少ないかもしれない。この本を読みながらそんなことを考えたが、一方で本書では、物事を直感的に決めるのがよいとは言っていない。むしろ、熟考した上での意思決定が明らかに後悔が少なくなることも指摘している。

「やってみる」ことで、失敗や後悔も含め、未知なる領域を知ることができる。自分の世界が広がるし、新しい学びが得られる。逆に失敗を避ける意思決定は、「やった」後悔を最小限にできるのは確かだが、自分の経験領域を広げられないばかりか、いずれ「やらなかった」後悔が付きまとう。要は、直観的にリスクをとるのではなく、熟考した上で「やらなかった後悔」を減らす意思決定ができるかどうかなのだ。これは言葉にすることはできたのが、実践する難易度は相当高そうだ。

ここで改めて気づいたのが、意思決定の本質である。何かを決める際に「よし・あし」という曖昧な価値基準から、「得たいもの」あるいは「どれが得か」「どれが楽しいか」などを想定しているが、その根底にあるのは「どうすれば後悔しないか」ではないかということである。「後悔しない」は必ずしも「成功する」だけではない。成功確率が少なくても、「試してみたい」欲求は、それを試してみないと、後々引きずるからである。

本書を読んで、後悔の少ない意思決定を下させる確率が高まるのか。そのための正しい意思決定も紹介されているが、仮に後悔がなくならなくても、そこから得られるものを増やすことは誰もができそうだ。それは、「後悔を活かす心理学」という書名の通り、「どう活かすか」で後悔の質が変わるのである。その意思決定を、時間を遡って変えることはできなくても、次の意思決定に活かすことができる。人生、無数の小さな意思決定の連続の中で、毎回、後悔をなくすことを考えるのではなく、毎回、後悔を活かすことを考える方が、自分の可能性は広がるし、はるかに楽しいのではないか。後悔から自由になれる気がする。

キーワードは本書でも登場する「ノスタルジー」だと思う。それは「その出来事を懐かしく思えるか」どうかである。「あんなことをしてしまった」過去の痛い記憶が、痛いままではなく、愛おしかったり、懐かしかったり、ネタだと思えたりするか。過去を振り返って悦に浸るのは好きではないが、思い出した過去がノスタルジーに溢れる人生は目指したいところだ。


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